久々のブログ更新です。約3年ぶりでしょうか。
色々ありました、この3年。
なぜ突然書く気になったかというと、先週、5/2の早朝に、20年来の友人が亡くなったからです。私にとっては、かけがえのない友人で、みんな、そうだと思いますが、彼女の代わりはいません。
高校3年間、同じクラスで、楽しいこともつらいこともいっぱい思い出があります。幸か不幸か、同じ大学に通うことになり、当時、地元に残ることで気が狂いそうだった私を、よさこいに誘ってくれた恩人でもあります。お互い結婚するまでは、一緒に旅行もたくさん行きました。
長くなります。
去年、ちょうどこの時期、私は2年ぶりに日本に帰国していました。(ひとつ前のビザ更新がギリギリ間に合い、アメリカに戻ってから)
もともと、インプラントの治療も予定していたため、日本滞在を9月ごろまでと決めていたので、その話を彼女にもしていました。4月末、日本に帰国し、すぐ東京で歯科に通い、GWに1泊2日で実家に帰省しました。その時、彼女から「どうしても会いたい、1時間でいいから時間作ってほしい」、とラインがありました。9月までいるし、今回は1泊しかしないから、6月とかじゃだめ?って聞いたら、「朝でも会いにいくからどうしても時間欲しい」と。うちも彼女の実家も農家なので、GWは家の手伝い等もあり、忙しいことは知っていたはずなのに、と若干思いつつ、正直、その時点で、これだけ彼女が強く言ってくるってことは、何かよくない報告なんじゃないだろうか、っていう不安が漠然とありました。
それで、ご主人も一緒に会って、彼女から聞いた話は、、、胃がんステージ4という告白でした。きっと、これを人に話すっていうことは、めっちゃ勇気が必要だったと思います。彼女が言うには、2016年9月に次女出産後、出血が止まらず変だなと思い、再度、病院へ行って検査したところ、出産が原因の出血ではなく、胃からの出血だったということ。その時点で、胃の全摘しか手術の方法がないと言われたこと。そして、その後、色々セカンドオピニオンなども行ったが、結局診断は同じだったということ。そして、既に2017年1月に胃の全摘他、周囲に浸潤していた部分の切除手術を行ったこと、を聞きました。既に抗がん剤治療や最先端治療(保険外)をいろいろやっている、と。
甲状腺の病気も多少あったので、そのせい?と聞いてみたけれど、それは関係ないとDrに言われたと言っていました。また、胃が変だなっていう自覚あったん?と聞いたら、それも、妊娠のせいだと思って、全然自覚なかった、と。もちろん、妊娠前の(2015年7月)の会社の健康診断には行っていた、と。(2016年7月は妊娠中で行っていない)
事実を聞いて、どうしようもなくなって、私は、一人で抱えきれないと思いました。彼女は告知を受けてから、時間が経っているからか、私からは落ち着いて見えたけど、「完全復活するから!」とラインでも言っていました。
私にできること、と言えば、できるだけ一緒にいて、話をすることぐらいしかありません。本当に無力、と思いました。何もできない、と。ただ、仕事をしていない分、自由な時間が人よりはあったので、実家にいる限り、彼女の体調、時間が許す限りは、会いに行くことができました。
昨年7月に同学年の小林麻央さんが亡くなったときは、本当につらかったと思います。連日の過熱報道で、1週間経ってもずっとその話題だったのは、さすがにみていられず、彼女に連絡も取れませんでした。胃がんと乳がんで多少病気は違いますが、そのころには、乳腺への転移、リンパの転移などがすでにあり、子供が2人いる点でも似ているところがあり、きっと自分と重ねているだろうな、と思っていたからです。もう報道止めてくれ、と思ってました。
どうしても一人でこの事実を抱えきれなかった私は、近い友人数人に彼女の許可なく話しました。いや、もし、話さなければ、知らずにこの友人たちも会えないんじゃないかって不安があったからだと思います。話すべきでないのでは?とも考えました。でも、私に話してくれたのは、きっと、私に会いたかったから、とうぬぼれかもしれませんが、思えたので、、、、。彼女には、「旦那(旦那も同級生)に話してもいい?」と確認して、その了承は得ました。「たばこ止めなって言っときなよー!がんはお金かかるよー!」ってそのアドバイスとともに。
そこで、もう1人、3年間同じクラスだった友人が夏休みに、実家に帰省した際に、連絡しました。これでも悩んで、言うべきか、言わざるべきか、、、、と2,3か月考えていました。彼女には、「私が病気のことを話したことは言わないでほしい、ということと、一緒に9月の連休に会いに行こう!ということ、おそらくそこで、本人が自分から言うだろうから、、、」と。絶句していました。そして、私がアメリカに帰ったあと、もちろん、家庭もあるのは十分理解しているけど、できるだけ、休みがあれば帰省して会ってあげて欲しい、と。話している友人が少ないから、きっと、話せる人が必要なはずだから、と。9月の連休に2人で本人の家にお邪魔して、本人が自分から、友人に話をしました。
本当のところはどう思っていたかわからないけど、9月末、最後に病院で会った時は、新しい抗がん剤治療を行うにあたり、サイドイフェクトが心配だから念のため1週間入院するよーという感じで。「私あんまり副作用ないみたいでよかったー」と、御飯にふりかけかけながら、話していました。雨の日でした。帰り際も、ハイタッチして、「じゃあ、また、来年帰るからね!」って。
その後、私はラインでしか彼女とコンタクトはしていなかったけど、年末年始の予定も誕生日のメールも検査数値があんまよくなかったよーとか連絡できていたので、来月、6月に帰国したときに、絶対会えると信じていました。なので、突然彼女のラインからご主人名で連絡が来て、飛び起きて泣きました。
どうして彼女が病気にならなければならなかったのか。原因は何か。彼女は、コーヒーもあまり好きではなく、もっぱら紅茶派でした。また、たばこも吸いませんし、お酒もそんなに飲む方ではありません。私の方がよっぽど胃に悪い生活をしていると思います。なので、彼女も「原因がわからないから、私、何に気をつけて生きていけばいいかわからない、それが一番イライラする」と言っていました。これは、まだQOLが確保されていたときの話なので、気力も体力もまだまだあったと思います。私は、「がんばれ」という言葉だけは使わないようにしていました。すでにめいっぱい頑張っているのを知ってたから。これ以上何やればいいの!と思ってたと思う。それでも、ご主人からは、さすがに最後の方は弱音を吐いていたと伺いました。
お通夜、葬儀に参列するために、帰国したいという気持ちがありましたが、現在臨月の私では、どうしても今飛行機に乗るリスクを負えないことと、引っ越しの手続き、準備もできていないので、無理と判断し、他の友人たちと旦那に任せることにしました。彼女もわかってくれるはず、と。最後にしたラインは、どうやったら早く生まれるか、という話題で、迷信や都市伝説をよく信じていた彼女らしく「ラズベリーリーフティーとオロナミンCに焼肉だよ」と言っていました。「この町にはオロナミンC売ってないし、焼き肉屋もないから、ラズベリーリーフティー買ってさっそくのむよ」と言ってたところでした。ねぇ、10日以上毎日飲んでるけど、まだ生まれないよ!やっぱ都市伝説じゃん!
なんだか、散歩したりふとぼーっとしたりすると、まだ近くにいるんじゃないか、って思います。現実のこととして、なかなか受け入れられないです。うちの実家のエリアでは、新聞に亡くなった方が毎日掲載されるのですが、旦那が送ってくれた新聞のお悔やみ欄を見て、彼女の周りが80-90代ばかりで、さらにやるせない思いでした。
当時の先生、友人に声を掛けたら、多くの参列があったそうです。
彼女の分まで、、、、などとおこがましいことは言えないけれど、一緒に過ごした時間、思い出はたくさんあります。20年前に出会ったときは、そもそもこんなにずっと仲良くできるなんて思ってもなかったし、こんなに早く別れが来るってことも思ってなかった。
健康でいることが当たり前じゃないっていうのは、本当にその通りだと。
どうしても、自分の中で整理しないと前に進めないような気がすること、アメリカでまったく彼女のことを知らない人に、細かく話せるわけもないので、思っていたことを書きました。彼女の分まで生きる、なんてことは言えないけど、健康でいることに感謝して、生きていかなればいけないなと。
もっともっと一緒にくらだない話したかったよ。
でも、私と友達になってくれてありがとう。いっつも笑ってた顔しか思い出せないよ。そっちでゆっくり休んでね。いつかまた、昔に戻ったみたいに話したいね。ありがとう。