新たな人生へ | 佐藤 祐介 

佐藤 祐介 

新たな人生へ

大分の日本文理大学の、
ヘッドコーチとして第二の人生を、
スタートしています。

タイを離れる決断から、
日本のJリーグへの再挑戦をかけ、
Jリーグのトライアウトへの参加。

だけど、このトライアウトを受け、
これまでのタイのプロサッカー人生に、
誇りを持て、
改めて自分のサッカー人生が、
無駄ではなかったと確認出来ました。

日本から見れば、
タイはサッカー後進国。
だけど、僕はそうは思いません。
その中で外国人枠で契約を勝ち取り、
助っ人外国人として戦い続けた事で、
日本のJリーグでやる事より、
ずっといい経験を自分自身で、
持って帰ってこれたと、
自信を持って思えました。


だからこれから、
Jリーグでプレーする魅力はなくなり、
それと同時に、
Jリーグに対する未練も、
綺麗に消えました。

この頃から大学から正式なオファーを受け、東南アジアのチームからの話が出始め、最後は大学に行くか、タイのチームで現役を続けて行くかの二択まで絞りました。

大学の返事が1月16日まで。
タイのチームも契約内容を確認し、
あとは合流するだけの状態でした。

最後まで悩みました。

最初の引退の時、
ロアッソ熊本から戦力外通告を受け、
どこのチームからも声がかからず、
仕方なく次の道に進んだ時の、
あの悔しさと虚しさの気持ちは、
もう二度としたくなかった。

その時を考えると、
どちらにでも進める選択肢がある事は
本当に幸せな事でした。

タイでの時間は、
これからのセカンドキャリアを考えず、
その日を必死に戦い
目の前の事に、
自分の全てを捧げて生きてきました。

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いつ解雇されるかもわからない中での
毎日は正直大変でしたが、
自分の人生を懸け、
生き抜いていく感覚は、
忘れたくなかったですし、
プロで戦える人生を、
自分で手放す事に、
中々踏み切れませんでした。

だけど、最後はこう思いました。

プロサッカー人生をやり切ったけど、
まだ燃え尽きてはいないし、
燃え尽きてしまうまでやる事は、
次の人生に進むための力を奪うから、
まだまだプロとしてやれる状態で、
引き際を作ることが、今の俺には、
ベストだし、それを望んでいたと。
そう考えた瞬間に決断が出来ました。

そして、最後は…

プーケットFCのキャプテンとして、
引退したいとずっと思っていたなと…

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こう思い、
1月16日の朝に引退を決断し、
長くやってきたプロサッカー人生に、
自分自身の気持ちで別れを告げました。

だから、後悔はありません。

本当に素晴らしいサッカー人生を、
過ごせてこれたと思えます。
だから…
自分のサッカー人生は成功だったと、
胸を張って言えます。

先を考え、今の人生を生きるより、
目の前に全てを懸け、
打ち込む事が、
何より大切だと思います。

それらを言葉ではなく、
まだまだ動くこの身体で、
大学生と一緒にプレーし、
伝えていきたいです。

これからもよろしくお願いします。

そして、このブログも今日で終わります。

長い間、読んでいただいて、
ありがとうございました。

プロサッカー人生は、
これからの第二の人生を、
素晴らしくするための布石。

また頑張ります。

本当にありがとうございました。

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