山内久司プロデューサーの訃報 | 山田誠二の仕事場

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必殺シリーズの生みの親・山内久司プロデューサーが、八月十三日にお亡くなりになっていたことを知った。最後にやりとりをしたのが春過ぎか初夏頃だったと思う。なので、とても驚いた。
故人の強い意志で訃報は公表されなかった。
山内プロデューサーとは、中学生の頃からのお付き合いで、とてもよくしていただいた。
とにかく頭脳明晰な方で、こちらが言わんとすることを、まだ説明が終わらないうちに、「つまりこういうこっちゃな、そしたら、こうすればええで」と、すぐ理解して、より良い具体的方策を提示してくれるという感じで、直感と、発想を膨らませることに鋭く、即断即決。お話をおうかがいして、随分と教えられたことが多かった。
制作部から離れ、顧問となられた後もお付き合いは続き、自らの手を離れて復活した新生仕事人について、お会いした時に色々お話をうかがった時も、実に明晰な分析をされておられた。
また、藤田まことさんがお亡くなりになられた時も、「ちょっと話をしよう」とご連絡いただき、京都の某店で藤田まことさんの思い出話を語りつつ「あれだけの国民的俳優の、送る会がなされないなんてことは、残念だ」と、藤田まことさんを送る会の実現に奔走されていた。
私が、さいとう・たかを先生の劇画版仕掛人の脚本を担当させていただくことになった時も、とても喜んでいただき、また興味を抱かれて、劇画の脚本はどのようなシステムで作成され、作画に至るのかを、熱心にご質問され、お聞きになられていた。
その時の眼は知的好奇心に輝いていて、ああ、変わらず明晰な頭脳と好奇心はご健在だなと、感心し、嬉しく思うと同時に、また現役に復帰して、陣頭指揮をお取りになって下さったらなと思った。
また、山内プロデューサーは、世情の分析も的確で、早くからテレビ業界の不調を予測されていた。
朝日放送の、必殺シリーズに並ぶ看板番組「部長刑事」シリーズの脚本を担当させていただくことになり、制作部で担当プロデューサー氏と打ち合わせをしていると、山内プロデューサーがたまたま通りかかり、「お、山田君、何してんねん」とお聞きになられたので、部長刑事の脚本の打ち合わせですと返事すると「そうか。あのな、(必殺みたいに)殺したらアカンで」と、笑いながらその場を後にされた。
山内プロデューサーとのことは、書いても書いても字数は尽きない。本当にありがとうございました。