昨日の記事の続き。









自分の思慮の浅さや
邪推して決めつけることとか
敬う心がないところとか

いっぱい思い当たって、
大反省したり、
すごく恥ずかしくなったけど



こういう自己嫌悪の時間も、以前に比べればずいぶん減った。
というか、ゼロに近い。








反省したら、改めればいい。

過去を無駄に掘り返して
他者を傷つけてきたかもしれないとか
いちいちやってたらきりが無い。

今さらもう、どうにもできないことだから。




それよりも、

改めるべきは改めて
またやり直すだけ。






そして、私が許せなかったことの
本当のところに、自分が気付いてあげること。






私は彼の
不誠実さや、人を小馬鹿にする態度が嫌なのだ。

Mさんの好意に甘えて
相手を軽んじる態度が嫌なのだ。



それは彼とMさんの間のことだ。
彼らに任せておけばいいのかもしれない。
それでも私はMさんの同僚として
Mさんの働きに、姿勢に尊敬の念を抱いていた。

これまでの彼女の貢献を軽んじて
彼女自身を軽んじているような態度が嫌だった。





私は人のために怒れる人なのだ。
私は人のために怒れる、優しい人間なのだ。

私は彼女の仕事ぶりを尊敬していた。
私は人を尊敬できる人なのだ。

私は正義感がある人間なのだ。






そういう自分のいいところに目を向けること。

反省しすぎて自分を責めるより
やらなきゃいけないこと。







自分に優しくしないと、人に優しくできないように
自分のいいところを認めないと、人のいいところも見えてこないのかもしれない。

自分を敬わないと、人を敬うこともできないのかもしれない。



もっともっと、自分のいいところを見つけよう。
自分のいいところを認めよう。








そしてね

こういうトラブルがあるとさ
その問題にばかり捉われて、ずっと気になってしまうんだけど

ちょうどよく、週末で
しかも予定もなくのんびり過ごせたので
家族と過ごす、穏やかな時間
家族と過ごす、穏やかな気持ちに意識を向けるようにしていた。



怒りや悲しみだけではなく
穏やかで優しい時間もある

そこに目を向けることを大切に。






私は今、心穏やか。

問題がなくなったわけじゃない。
むしろ目下継続中だけど。



問題があっても、不幸じゃない。
問題がなくても、穏やかでいられる。




幸せって、こういうことかもしれないなぁ。