前回の日記の続き。
長いよ。









前回の日記に書いた大発見
「私は自分自身を信頼できる人間じゃないと思っている」
に気付いた後、

ぐったりというか…




昨日はかなり腑抜けてました。







夫がいろいろ話を聞いてくれた。


親のことはほっとけ。
子供と正面から向き合え。


っていうのが、夫の流儀。




夫は学生の頃、

3歳くらいから、高校生まで

障害児もいれば、
外国人(米軍基地が近いので)もいる

超雑多な生徒たちの、プールの指導をするバイトをしていたことがある。



その経験の中で、
子供との接し方に悩んだり
実際にやってきたことを話してくれた。








私もその、例のママさんとは変わらず距離を置いたままで、その男の子と普通に話してみようと思った。


ただ問題児扱いして見張って
何かあれば注意する、ってだけじゃなく
普通に

「何やってんの?」とか
「学校、どう?」とか

そうして声をかけてみようと決めた。




その男の子だけじゃなくて
よその子供にも、話しかけてみよう。









うちの息子は、
大人を全面的に信頼しているなぁと感じる。


担任の先生が大好きだし
園の他の先生方も
ママさんたちも大好きだ。




私はいつから大人を信頼できなくなったのかな。
あまり記憶がないけど




夫は、高校生くらいまで、大人を全面的に信頼していたらしい。

うーん、さすが。
信頼の大地に立つ男。








子供ってやっぱり、鋭いから

自分に関わる気がない大人とか
見て見ぬフリをする大人とか
面倒ごとを避ける大人とか

すぐ見抜くよね。



だから大人がいようが、普通に悪さをする。
何も言ってこないって分かってるから。







昔の大人のように
ちょっと口うるさいし、うざいけど
声をかけてくるおばさん。

やってみようかな。
怖いけど。





そう、怖いのよ。

面倒なのは、自分の子だけで十分だと思ってる。
拒否されたら嫌だな、と思ってる。
うざがられたら嫌だな、と思ってる。
よそのママさんの、反応が気になる。
不審者扱いされたら嫌だし。



でも、私がお迎え後の公園遊びを通じて
息子と同じクラスの子たちの顔や名前を
一部とはいえ、覚えて

その子たちが、園やスイミングで会うと
声をかけたり手を振ってくれるのが
嬉しいんだよね。



息子のクラスの子だけじゃなくて
そういう輪を、少しでも広げていったら
面白いかもしれないなぁ。

少なくとも、
公園遊びで退屈しなそう(笑









でー




「自分を信頼していない」
って話に戻るんですけど





それもやっぱり、
よその子と積極的に関わらない理由の一部だったのね。


自分の子供を叱ることも
自信なくやってるのに

他人の子なんて叱れないって。





でも、私が子供だったら
やっぱり大人には気にかけて欲しいと思うのね。

うちの息子が周囲の大人を信頼してるのは
自分を気にかけてくれていることを
自覚してるからじゃないかな。





「叱る」って、ハードル高いけど
まったく接したことがない子供に
いきなり叱らなきゃいけないから
ハードルが高いだけで

挨拶したり
ちょっと雑談したり
顔を知っているだけでも
注意はしやすくなる。



そんな感じで、やっていこうかね。











私は自分を信頼していなくて

だから、何に対しても
「マイナス100」をかける感じだった。



人の好意を受け取れない。

何か嬉しいことがあっても
それを失うこと、うまくいかなくなることを考えて怖くなったり

誰かにひどい扱いをされたら
「まぁそうだよね」
と変に納得してしまったり




先に進もうとすると

上を見ようとすると




何かに引きずり戻されるような
闇の力みたいなものを感じて

怖くて一歩が踏み出せなかったり
「こんなもんでいいや」と諦めたり。


諦めちゃうから
すり鉢状の穴の底から動けなかった。








ここんとこ、いっぱい勇気を出して
前を見て、上を目指してみて

引きずり戻すものの正体を見た気がした。
今までは近すぎて、見えてなかった。
それは例えるなら




アリジゴク。






前に向かうと
上に向かっていくと
砂をかけて落とす、アリジゴク。




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こわ。








不信のアリジゴク。











前向きな言葉を口にすると
ざわざわしたり

前に、上に行こうとすると
大失敗したり


どうせ無理
どうせ嫌われる
どうせ怒られる
どうせ人は私から離れて行く
どうせ見放される
どうせ忘れられる
どうせ失う




拗ねと怖い妄想のほとんどは
この不信のアリジゴクのせいだった。





だから、他人から信頼されようと


無理なことを安請け合いしたり
断れなかったり
嫌だと言えなかったり
興味のない話に付き合ったり
楽しくもないのに笑ったり


安請け合いしたことを結局できなくて
さらに信頼を失ったり

他人と無理に付き合うことで
ストレスで身内に八つ当たりして
険悪になったり



そういう自分がどんどん嫌になった。











昨日、息子のスイミングがあった。
私は毎回、息子の着替えの手伝いをしに行く。

コーチが着替えを手伝ってくれるから
私が行かなくてもいいんだけど
行くと息子が安心するらしいので、行ってる。



今、園児クラスには年少さんがどっと増えて
コーチも年少さんの手伝いにてんてこ舞い。
年中さんは、ほっとかれがち。

息子の着替えを済ませたあと
何人か、着替えが進まない年中さんがいて
その子たちの着替えを手伝った。






そういう「良いこと」をするのも
すごく抵抗があって、いつも迷っていた。

ええかっこしいだと思われたくないとか
自己満足だと思われたくないとか
裏があると思われたら嫌だなとか。



でも昨日は、迷わずできた。








見学席に行ったら

前回の日記で書いた
ボールをぶつけちゃった男の子もいて



「暑いね」とか
その子が着てる服の話とか
雑談したりして。


いつもその子、
弟のスイミングを見学中に
退屈して、走り回ったり階段を飛び降りたり
やりたい放題なんだけど

昨日は、大人しくしてた。



よその大人からでも
構われたり、気にかけられたりすることは
子供にとって大事なことなんだな、と改めて思った。

たまたまかもしれないけど。









自分や他人から信頼されていない前提で
信頼を得ようとする「良いこと」と

純粋に「手助けしたい」からする
「良いこと」の違いを知った。



信頼されていない前提だと

押し付けるようにする
嘘くさい「善行」なのだ。

そして他者からの評価が得たくなる。
与えるというより、奪う感じ。





私がいつも「良いこと」をするときに

純粋に手助けしたいのか
評価を奪い取るためにやりたいのか
どちらが本音か自分でも分からなくて

それも迷いの原因のひとつだった。






昨日、
純粋に「手助けしたい」と思って
やってみたことは

私の中で、小さな誇りになった。








まだまだ、信頼しきっているとは言えない。
「仮免」みたいな感じ。



でもたぶん、

「自分を信頼してみるか」
「自分のことを、信頼してやってもいいかな」 

くらいからでも始めることで



信頼できる証拠が
信頼されているという証拠が

集まってくるのだろうと思う。







たのしみ。









「べしゃりパブさちよ」
やりますよ〜〜