昨日の「プロフェッショナル」は
在宅医療をしている医師だった。
担当されている患者さんは
病院でいろいろ手を尽くされた後、
最期を家で迎えたい
という希望を持つ方が多い。
患者さんや、
看護を続けるご家族のお話を丁寧に聞く。
そして
「素敵な奥様ですね」
「優しいご主人ですね」
「お互いのことを気遣われているんですね」
と、言葉をかける。
硬くなった、患者さんやご家族の心をほぐしていく。
頑張って食べさせようとしてしまうのも
言えずに我慢してしまうのも
相手を想う心があるからだけど
家族って、そういうことを口にしづらいし
「分かれよ」と押し付けてしまいがちだし
「分かってもらえない」と拗ねがちだ。
先生は、相手の心を決めつけず、
第三者の視点から感じ取って
優しい本音を引き出していく。
互いを思い合う、優しい気持ちを代弁する。
先生は、ホスピス病棟に勤務していた時
無念の思いを抱えた患者さんの心を
どうすれば癒せるのかと、悩んでいたという。
体の痛みをコントロールできても
心の痛みを癒すことができない自分に
無力感を感じていたと。
そんな悩みを抱えたまま数年過ぎ、ある時
「無力でもいい」
と気付く。
無力だからこそ、傍にいる。
無力だからこそ、話を聞く。
ただ、それだけ。
その話を聞いていて、
ああ、そうか。
私もどこかで、母に対して
何もできなかった自分を責めていたなぁ。
母の弱音を受け止められなかったし、
「今の私だったら、もっと」って
考えることが結構あるなぁ、と。
それはたぶん、
父も妹も思っているんじゃないかなぁ。
それでもやっぱり、私たちは
よくやってきたのだと思う。
母がいなくなってしまう
恐怖と不安を抱えながら
よくやってきたと思う。
私は、最後の1ヶ月くらいしか密に関われなかったけれど、そんな私だからこそ話せたこともあっただろう。
もちろん、私に話せないことを、父や妹には話していただろうし、
私たちや家族に話せないことを、医師や看護師、夫や義弟に話していたのかもしれない。
毎朝、食事の手伝いと新聞を届けていた父に対しては
「お父さんは、ここに来て椅子に座って居眠りしているだけだけど、それも気楽なんだよね〜」
と言っていたし。
来て居眠りぶっこいてるだけでも、役に立つ。
家族って、
あーいう時に、もっと何かしたいのに
何をしたらいいか分からなくて
不安になったり、焦ったり苛立ったりしてしまう。
役に立ちたいという気持ちが
どんどんストレスになっていく。
でもきっと、
いればよかったんだね。
私も毎日、母のところに行って
ただ話しているだけだったけど
楽しかったもんな。
それだけで、よかったのかもしれない。
そいうえば以前、
介護用品の仕事をしていた時に
配達や、搬入搬出でご本人やご家族と
よく話をしていた。
私自身は介護の経験もないし
体の自由が効かないなんて経験もないから
分かってあげることもできないし
ただただ話を聞くだけしかなくて
無力感を感じていたなぁ。
でもきっと、
聞くだけでよかったんだね。
あの頃は、勝手に無力感を感じたり
抱え込み過ぎたり
大変大変、って思ってたけど
ご本人やご家族と話をするのは楽しかった。
若い頃のお話を伺ったり
戦時中の話とか、衝撃を受けたけど
楽しい仕事だったなぁ。
何も決めつけず、
解決しようとせず
ただ聞く、って難しいけど
心がけてみよう〜。
