そーなの
そーなの
しゃーないのよ。
2006年だったかな。
「発達障害」って言葉を知って
2007年に、ADHDの診断を受けました。
子供の頃から、他人より「できない」ことに悩んでいて、診断を受けた当時も事務仕事が辛くて仕方がない時で。
当時はまだ「大人の発達障害」がメジャーになりかけた頃。それ以前は、「子供の病気」ってイメージが強かった。
なのでわざわざ、大人でも発達障害の診断をしてくれる病院を探して行ったの。
しかもわざわざ、大学病院で。
街の心療内科よりちゃんと検査してもらえそうだったし、何より看板が大事だな、と思って。説得力があるじゃん。
自分の「出来なさ」にうんざりしてて
ダメ過ぎて嫌いで
ダメな自分が周りにバレないように、隠しているから心がどんどん閉じる。
出来るフリをしたり、失敗を隠したり、バレて怒られたり…
生活のために仕事しなきゃいけないし
事務仕事が嫌いだし圧倒的に向いてないけど、他にやりたいことも、出来ることもない。
30代半ばという年齢
実家の父と、折り合いが悪過ぎて帰れない。
八方ふさがりで、
全てから逃げ出したくて
「出来ない自分」に理由が欲しくて、診断を受けた。
診断を受けて、心底安心した。
「出来ないのは、努力が足りないからだ」
「頑張れないヤツは、怠け者だ」
「忘れっぽい、片付けられないだらしないヤツ」
「人の心が分からない、空気読めないヤツ」
そう言われて育って
自らも、その言葉を強いて生きてきて
ああ、もう終わるんだ。
出来ないことも、
頑張れないのも、
忘れっぽいのも、
片付けられないのも、
失くしものが多いのも、
人の気持ちが分からないのも、
空気読めないのも、
私が悪いんじゃなかった。
全部、障害のせいだったんだ。
許せない。
努力を強いてきたヤツらも
怒鳴りつけてきたヤツも
嫌な顔をしたヤツも
怠け者扱いしてきたヤツも
お前らのせいで
私は常に怯えていて、他人を信じられず
自信もない、自分に価値を見出せない
そんな人間になってしまった。
自分を責めてきた分、
他者に責められて黙って我慢してきた分、
他者を責めたくて仕方がない。
他者を責めるための武器を得た気がした。
復讐。診断を受けた理由のひとつ。
特に母は、ショックを受けていた。
当時、母は小学校の特別支援学級で、教員補助の仕事をしていたんだけど
まさか自分の娘に発達障害の診断が下りるとは、思わなかったようだ。
診断が下りてからの母は、優しかった。
あれほど「自活しろ」と言ってた母が、
仕事を辞めて実家に戻って来いと言った。
罪悪感があったんだろうと思う。
私も、罪悪感で胸が苦しかった。
ほら見ろ!私は悪くなかった!
って責めたい気持ちはあったけど
母を悲しませるつもりはなかった。
出来ない苦しさ
頑張れない苦しさ
自分をどうにかしたいのに出来ない苦しさ
責められる悲しさ
伝えられないもどかしさ
分かってもらえない悲しさ
ただそれを、知って欲しかっただけなのに。
その後、結婚が決まって
仕事を辞めることが決まって
長年の苦労から解放された。
心屋に出会ったのも、この頃。
診断を受けた病院で薬をもらっていたのだけど、気持ちの波が激しく、怒りが抑えられない性格をどうにかしたいと思っていた。
結婚して、その辺の本性が露わになったら、捨てられるんじゃないかって不安があった。
社会人になって、十数年やってきた事務仕事がまったく向いてないことを痛感したので、マスターを出てカウンセラーになれるなら、やってみようかな、とも思ってた。
マスターコース中は
発達障害で、生きづらさを抱えた人たちを
救うお手伝いをしたい、と思ってた。
当時も既に、ピアカウンセリングや
講演活動をされていた当事者がいたし
私もそうなりたいなぁ、と思っていたけど
時間が経つにつれ、違和感が強くなった。
夫との生活が始まって…
当初は狭い部屋で二人分の物を片付けるのに四苦八苦したり、言い争いになったり、「私が片付けられないからダメなんだー!」って泣いたら、夫もつられて泣き出して、二人で泣いたりした(笑
ある日、夫が
「お掃除、好きなんだね〜」って言うので
「はぁ!?こんなに苦労してるのに、好きなわけないじゃん!」と思ったんだけど
綺麗好きなんだね〜〜」
お?
そうなの?
そうなの???
私、掃除が好きなの?
片付けがほんとに苦手で
掃除機をかけられる頃には夕方になってて
なんでこんなに片付けられないんだろう
なんでこんなにダメなんだろう
って思い込んでいて
掃除が好きだとはまったく思ってなかった。
でも毎日毎日、飽きもせず
掃除機をかけている私。
綺麗な部屋を、気持ちよく思う私。
ああ、きっと好きなんだな〜〜。
片付けられない自分を責めてばかりで
そんなシンプルなことも分からなかった。
そのあたりから、
「物を減らせば片付けがラク!」
って発想が出てきて、今は定期的に物を捨てたりして、だいぶ楽に出来るようになった。
料理は段取りが多すぎて苦手なので、休日は夫にやってもらうことにした。
今は、休日と平日の朝ごはんも夫の担当。
車の運転は、私が担当。
夫は苦手なので、運転が好きな私がもっぱら運転手。
病院へは、診断から一年経たないうちに行くのをやめた。
生まれてこのかた、この脳みそなのに
なんで薬を飲まなきゃいけないのか分からなかったから。
最近、ツイッターで見かけたツイート。
パートナーに
「私はADHDで、ADHDっていうのはこんな障害で…」って説明したら、
「僕が知りたいのはADHDのことじゃなくて、
目の前の僕のパートナーのことだ。
君が何に困っていて、
僕がどうしたらいいのか教えてほしい。」
って言われて、ハッとした。
そうそう、それそれ。
私が大学病院に診断を受けに行くとき
当時、付き合ってた夫にも話していたのだけど
夫はその話を聞いて、
「障害について」知ろうとしてくれた。
(すげぇいい男だな!)
でもたぶん、
私が何に困っていて
夫にどうして欲しいのか、ということは
一緒に暮らすようになって
頑張ってみたり
挫折してみたり
喧嘩してみたり
任せてみたり
することで、どんどん分かってきて
息子が生まれて、またバランスが変わって
頑張ってみたり
挫折してみたり
喧嘩してみたり
任せてみたり
して、ひとつずつ解決していった。
だから正直、
障害の名前なんてどうでもいいのだ。
私が何に困っていて
夫にどうして欲しいのか
それを伝えられさえすれば。
マスターコース中に抱いた違和感。
「発達障害で生きづらさを抱えた人たちを
救うお手伝いをしたい」
私は、発達障害者として生きたいわけじゃなかった。
発達障害であることをカミングアウトして
「発達障害です」という看板をさげて生きることが、「障害を受容する」ことだと思っていたけど、そりゃ違うな〜と。
だって、困ってないんだもの。
出来ない自分を責めなくなったら
我慢して、ひとりで頑張らなければ
手抜きすることを許したら
夫に頼ることを許したら
「出来ない自分」に困らなくなっちゃったし
今後も出来ないことがあれば
都度、人に頼ればいいだけなのだ。
「出来ないこと」は悪くないんだから。
出来ないことを克服する必要もない。
障害のせいにする必要もない。
困らなくなったら、
発達障害なんてことすら、忘れちゃう。
「発達障害」という言葉を聞いて
「へぇ〜〜、発達障害。
あ、私もか!」
くらい、忘れてる。
ほんと、どーでもいい。
あれ?
ぢんさんは、なんて書いてたんだっけ。
本筋から外れた気がするけれど
それもどうでもいいよね。
詰め込まず
のんびりと
人に頼って生きて行く。
ぼー………
【追記】
facebookの夫からのコメント。
「ADHA懐かしいね」
懐かしむ話になっちゃってるし(笑
つか、間違えてるし


