サリーン ’19 

 

 

吉田修司は英語が得意科目として学生時代を過ごし、それ以後彼のアイデンティティにそれがしっかりと書き込まれてある。彼の大学入試の結果はパッとしなかったけれど、民間の検定試験ならなんでもいいと思い適当に選んだ、目的も定めないまま受けた英語能力試験のTOEICで、いきなり800点以上をとって以来、一度だけ790点台だったのを除いては、点数は伸び続けている。吉田は得意な英語を喋って見せたりはしない。そもそも一人で勉強して伸びたものであるから、発音の方は多分無茶苦茶なんじゃないかな、と吉田はおぼろげに自覚している。勉強するときは教材にあるCDと並行して、自分でも声を張り上げて読み上げている。しかし、と吉田は思っていた。喉は耳まで骨で繋がっているから自分で満足しても他人も耳が聴けば、なんだ出鱈目じゃあないかとすぐにバレてしまうのだろうと、確信を持って認識している。しかし、この前『ハックルベリー・フィンの冒険』を読んだとき吉田修司はかなり勇気づけられた。なぜなら「知った」という単語、knowの過去形をわざわざknewとは書かずに、knowedって書いてあったり、「文明」だってsivilizationだと書いあるのを目の当たりにして、まあ文学表現の自由への寛大さは目から鱗的だなあと、初めて会得した学問スタイルとなった。やっぱりなんでも面白くやらなきゃ駄目なんだと、身につまされてしまった。

――才能ってものは、付き合って面白いやつのことだと言うのだと思うけど。何も頭がキレなくたって、関係ないんだよね。ガリガリとしがみついて手放せない自分の金の学説を持っていることなんかじゃあじゃなくて、気さくさを持った、性格的なものなのだ。

そうは言ったが、また元の木阿弥だと感じていた。それはあたっていた。

「吉田がきたぞ」

と、みんなが指差すように意識を向けた。毎回のことだけれど、吉田修司はこちらへ来るなり本を広げた。勉強だとみんなが思ったけれど、やっぱり見に染みついている勉強をおっぱじめるのだ。奴と話していると気が滅入って仕方がない。理論的な口ぶり。理路整然とした内容。自制をいかせて自慢するでもないさりげなさが、また計算高く感じられて思えて思うにムカつくばかり。自慢話なら大っぴらにやってくれた方が、どれだけ救われるかって言うことだろう。それで一体何を読んでいるんだと思ってタイトルを探ると、筒井康隆のSFなんかを読んでいる。筒井康隆を読むなら、いつかは自分の欠点はわかるものだろうと察するけれど、なんだか吉田は自分だけを特別待遇に仕立ててある、見えないバリアの防御空間を完成させていて、すでに自分の周りに取り付け完了しているようなのだ。なんて奴だ。バリアの中でサナギの生育みたいに、自分だけ知的クソ真面目を増殖発展させておるだなんて。

――お前、そのバリアがはち切れて、中のクソ真面目の毒が飛散した暁には、誰にも収束の責任が取れない、この世の地獄絵巻の状況が展開されるんだぞ。お前はいいぞ。そういう毒を生産している張本人なんだから。何にも問題ないだろう。けれどね、私らみんな、免疫持ってない。お前に備えての予防接種も打っていない。そんな告知も、お前の毒素に効く抗体があるということも、知らない! そんなにバリアの中に毒素があるってことも、想定できていなかった。そうだ! もとはと言えば、お前が「インフルエンザ」なんだから、お前が豚になって、抗体を作れ。毒素はお前自身がそれ自体だろう。

みんなは吉田修司に、触れずあたらず視線も送らず、存在してるの私知らないあるよ、を決め込んでいて、吉田修司は一人で、他のみんなはみんなで他のコミュニティーを形成していて、その中で囁き合っていた。もちろん吉田修司本人には、くれぐれも気付かれないようにして、だったが。吉田修司以外のみんなの中から、悲鳴が上がったのはそのすぐあとだった。水をこぼして誰も拭くものがいないままだった床に水気があり、一人が足を不覚にも足を取られてスベってしまったのだ。それはキャッチボールをしようとして持っていた庭球修司だったが、滑った弾みにあれよあれよと握られた手の内からすり抜けてゆき、運悪く吉田の方向へ真直ぐに飛ばされたのだった。

――不味い!

みんながそう思った。しかし庭球は、その、止まれ、もしくは、落ちろ、という願いに耳塞いでいるかのごとく、吉田修司に向かってまっしぐらだった。

「あーっ! ヤバい!」

と、数々の声が上がった。しかし、パリンと音も立てずに割れてしまった吉田修司の見えないバリアは、音もなく崩壊して砕け、四方八方に破片は飛散してしまったのだった。それよりも吉田修司の育成した、知的なんとかいう毒素は、無色無臭のくせに多大なる効果の顔を露わにして、人々の、眼孔、耳孔、鼻孔、口腔、尿道、肛門、肌の汗の出る穴と、あらゆる経路を探り当てるようにして、そこから体内に執拗に入り込んで行った。毒素はみんなの脳の奥まで入り込んでゆき、その害悪の驚異は、どこの誰が事前に想像できたかであろうか、というほどのものであった。

飛散はその場限りに収束するわけでもなく、たまたま吹いた風に乗せられて、街の郊外へ飛んで行った。瞬く間に街の公害となって、名高く知れ渡った。もっとも害悪の伝搬の方がずっと俊足であり、人々に取り憑くなり、脳の中を駆け回っておかし始めるのである。

人々がおかしな現象に気が付き始める頃、その害悪は「サリーン ’19 」と呼ばれ始めるのだった。

吉田修司も根は悪い人間では決してないので、サリーン ’19 の抗体作りを、身体を張って行ったのであった。吉田修司の考えではサリーン ’19 は自分の染色体に由来したもので、と考え、染色体と言えばなんの意味もないミトコンドリアが関わっていて、害悪を出しているのだろうと、山勘ながら実は事実を言い当てているのだった。

どの地域でも産婦人科は開業しているけど、産婦人科の医師、とりわけ不妊治療を専門とする医師なら、不妊の原因はミトコンドリアの劣化が原因だと、知らない医師もいないだろう。そうなると吉田修司は産婦人科の医師を仲間として、自ら培養してしまった害悪/サリーン ’19 の駆除に乗り出したのだ。産婦人科医はこう言った。

「私たちは不妊治療でミトコンドリアを再生起させているが、また逆に劣化死させる技術も持ち合わせておるんですよ」

「劣化死させる。朗報ですよ。その技術、すぐに使えますか?」

吉田修一は興奮して訊いていた。

「朝飯前ですよ」

産婦人科医は、お手の物ですよと述べるのだった。

「病院にミトコンドリアの活動を活性化させる薬剤は、大量にストックしてありますよ。要はその反対の効果をあらわす薬剤を使って、サリーン ’19 を駆除すべく、応用してみましょう。

サリーン ’19 から救われようと、薬剤の摂取に街の人々が詰め掛け、わずか三日間でサリーン ’19 の大騒動は収束を見せたのである。

 

その後の吉田修司であるが、英語の勉強はやめてしまったけれど、しかし嫌いになったのでもなかった。彼は今、英語の教師として名だたる功績を積み上げている最中の、カリスマ英語教師として、街の予備校で満席の講義を担当している。

 

(了)