「住んでる」「住まわされてる」という感覚 | ウズベク、ナンパ道場

「住んでる」「住まわされてる」という感覚

Timaです。
これから書くことは結構非難されるかもしれません。そもそも非難されるほどの発信力は持っていませんが。
福島について。

原発事故を受けその議論が成される中で、

『どうしてタバコや自動車を運転するリスクの方が高いのに、そちらに言及しないのか?』

というご意見をよく目にします。
これ僕は、リスクを受け入れているかどうかだと思うんですよ。
タバコを吸って肺がんになった → しょーがねーや。
車で事故して大怪我した → しょーがねーや。
とね。

車が児童に突っ込んで死亡させたら、つい先日もクレーン車が6名の命を奪うという酷たらしい事故がありましたが、マスコミはこぞって取り上げます。だってリスクを理解してないであろう、そして理解しててもそれを取り扱わなかった方々が被害を受けてるわけですから。

僕は今、ウズベキスタンに住んでます。
日本で適当に仕事して生きていこうと思えば出来ますよ。そんな難しいことじゃない。
でも、こっちの方が面白いと思ったからここにいます。
この国は平和です。でも何が起こるか分かんないんですね。

例えばここに原発があったとして、それでも僕は来ましたよ。
寧ろ停電が少なくなり、普段はハッピーかもしれません。
そして爆発したら、しょーがないですよね?だってリスク知って来てるんだから。
お金も大して持ってません。逃げれる範囲と言っても限られるでしょう、特に緊急時は。

そう言ったリスクを理解してる、予測可能な事故というのは、自然災害に近いのではないかと思います。
火山爆発して『火山バカヤロー』、こう言う人少ないですよね?
亡くなってしまったものに対して悲しむ、こんなの人間なら当然なんですよ。
じゃあ人間が出来るのは、その前後、いかにリスクを抑えるか、そのリスクが耐えられないなら予め逃げておくか。

今回とても感じたのは、原発非難してる人が、被災地の方が【住まわされてる】という感覚を元に議論してるということです。
確かに原発を理解することは難しい。色んな資料を漁りましたが、まあ一朝一夕では分かんない。これをある程度解り易い形で公開されてないことは、それを取り扱った、建設した方々の責任と思います。

ただ、公開してればそれまでだと思うんですよ。
公開してたら調べますか?マジョリティーは調べないでしょう。
僕だってウズベキスタンがどこにあるかも知らないで来ました。ぶっちゃけた話し、最初はロシアの西にあるなんて思ってました。
それで何か起こっても文句は言えませんよね?

とても理解し難い感覚があるんですが、日本の中だから安全、というものです。
海外旅行の際、この国は危険だからと回避された方は多いと思います。
日本国内でそんな事を考える方は少ないでしょう。でも何で?日本だって選択肢の一つですよ。

あなたが南米で生まれてたら、あの地域は危ないから行かないでおこう。僕は南米知らないので申し訳ないですが、そう考えるんじゃないですかね?
日本でもあの路地は危ないから、と回避しますよね。
でも「~県」「日本」という枠で見ると、途端にその感覚が消え失せる。
そして、何か起こったときに、"仕方ない"じゃなくて"何で?"と言う。

一番の被害者は、移動出来ない子供。これは間違いない。これはもうどうしようもないんです。
でも「子供がいるから」を移動出来ない理由にした方々は、実はリスクも、我々が思っているより理解してるんじゃないかと思うんです。だから頑張ってる。理解して、恐らく頑張ってるという感覚もない中で、我々から見たら相当頑張ってる。

東電の社員だって、まして社長だって人間です。あなたの子供が、将来あのポストに着くかもしれない。みんな変わんないはずなんですよ。何か置き物に言うみたく罵声を浴びせる方もいますけどね。
つまり我々みんな、彼に成り得るということです。まあ僕は彼ほど賢くはないかもしれませんが。

だったら責任の所在は?
これやっぱみなさん、僕も含めてみなさんにあると思うんですね。
ここでちょっと勘違いしないで頂きたいのが、『よーし!改革だ!!』と僕は言ってないんです。
この辺のスタンスはちょっと違うかもしれませんが、責任があったなら、「仕方ない」とまず受け入れる必要があるんじゃないかと。
改革だ何だと叫ぶのは、まずそこを理解してからでしょう。

僕から原発に対して提案出来ると言えば、まずこれを理解してる人がリスクを可視化させること。読む読まないに関わらず、現段階で分かっている範囲での情報を公開する。これだけです。
後は全て自己責任。とても重たく、ときに何でもない言葉ですが、世の中そういうもんだと思います。

また新しい問題が出るでしょう。情報が公開されてないじゃないか!ってね。
でもそういう終わりないリレーを繰り返しながら、いつか

「何かを作る際は必ず情報を公開しておく」

こういうシステムが出来上がればいいなと、僕は思ってます。

長くなって申し訳ありません。
最後までお読み頂き、ありがとうございます。



この度3月11日から続く未曽有の悲劇でお亡くなりになられた方々に、追悼の祈りを捧げます。願わくば彼/彼女等の想いが既に救われているものでありますように。
そして今なお現地で苦しい環境に立たされている方々、その地で支援・復興に当たられている方々に、この6,000km離れた地から想いという力が、何かに影響すればと願っております。
いつもたくさんの力をありがとう。いつか必ず還元します。


  2011年4月19日 斎藤 隆博