東京は世界一のファッション都市か? (前編:”お洒落”の定義) | 伝統技術を現代のライフスタイルに合わせて発信するプロジェクト  ”ARLNATA” アルルナータ ディレクターの独り言

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約11年に渡るヨーロッパの様々なステージのラグジュアリーブランドを経て日本に帰国し、衰退産業とも言われている日本の伝統技術を今の形で発信するためのプロジェクト”ARLNATA”アルルナータを主催しているディレクターの独り言です。
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 バカンスが明けて、色々見ていると興味深い記事がいくつかあったので、それぞれに対するコメントをしたいなと思います。今日はいつものfashion snapのブログの内容から。

東京が世界一のファッション都市だと思う理由
http://www.fashionsnap.com/the-posts/2014-08-18/tokyo-fashion/

 なかなか面白い指摘です。勝手に要約すれば、東京ほど一つの都市の中に色々なエリアごとのファッションの特色があって、色んなスタイルが集約されている街はないのではないか?ということかと思います。僕は今住んでいるミラノ以外でいうと、ニューヨークは行った事がありませんし、ロンドンは夏場に語学留学で数週間滞在して、あとは何回か短期の旅行で訪れた程度、パリは好きでしょっちゅう訪れている物の、パリを知っているというにはほど遠い表面しか知らない程度で、いわゆるファッション都市のことを全て知り尽くしたとは到底言える立場ではありません。それでも、確かに東京は各地でまず集まる人の種類がだいたい決まっており、それゆえにファッションもその種類にあったものになっているため、各エリアごとのファッションというのがだいたい決まっているというのはあると思います。確かに僕自身も原宿駅前を歩くとやっぱりアウェイ感があるし、丸の内も溶け込んでるとはあまり感じません。原宿はどちらかというとファッションを通じてコミュニケーションを求める若者が多く集まる街なので比較的ポップで目立つ服装が多いですし、丸の内はやはりビジネス街ですので、仕事をする服装という枠組みの中でのファッションになるため、清潔感のある落ち着いた服装が多いのは自然なことでしょう。


 ただ、ここでこの筆者が言う『ファッション都市』という定義がどういうことなのかということが明確ではないので明言はできませんが、色々な服装が一つの街に集まっているという意味では確かに東京は面白い街であると思います。ただ、「ファッション都市」の定義を、「お洒落な人が集まる街」とすれば僕は少し疑問があると思います。となると「お洒落な人」とはどういう人か?という定義をしなければなりません。


 「お洒落」という言葉も非常に曖昧で、深く考える事もなかなかない(必要も無い)ものです。「あの人お洒落だね」と言う時、一つにテレビ等の芸能人、モデルさん等、既にもうスタイルも顔も整っている人達が着飾ればこういう言葉が自然と出てくるでしょうし、もっと言えば「モデルはジーパンにTシャツでもお洒落に見えるんだよ」という乱暴な言葉さえも出てくるでしょう。となれば、顔やスタイルが整っていない99.9パーセントの人間はお洒落にはなれないのでしょうか?そんなことはないでしょう、あなたの周りでも「お洒落だなー」と思う人は意外といるはずです。では、”お洒落”とは一体どういうことなのでしょうか。


 個人的な見解ですが、人が人に対して「お洒落」と感じる場合には二通りあると思うのです。一つは最初に述べた様な「美しい(整っている)→お洒落」という認識の場合。この場合、基本的にはモデルや芸能人は多くの人がスタイルが良かったり整った顔をしている人が多いので、実際来ている服というよりも、整ったその人自体に対しての評価が先行し(+服装)というおまけがついてくる場合です。もちろんよっぽど変な服装をしていれば否定的な評価も出てくるでしょうが、なにしろ「お洒落」を評価しているというよりも、実際はその人物そのものの見かけ“均整さ”に意識がいっているため、”美しさ”という基準と同じ「見かけの評価」の一つである”お洒落”に自動的に落とし込まれることで、「美しい→お洒落」という評価になるという場合です。つまりキレイな人は何着てもお洒落に見えるのはあたりまえだよねという考えです。


 もう一つは、「その人の(服装を含めた)雰囲気がその人にしっくり合っている→お洒落」という場合です。芸能人とかではなく、自分の身近な存在の人などに“お洒落”を感じるときはこの場合が多いのではないかと思います。例えばいつも見ている人がある日突然、「あれ、いつもと違うな、なんかいい感じだな」と思う事がありますよね。この時、「今日のなんかお洒落だね」という事になると思うのです。つまりその人の外見が背が高かろうと、低かろうと、痩せてようと小太りであろうと、その人自身とその服装、さらに言えば仕草や話し方などもその人にしっくりくる、合っていると共感できるとき、“お洒落”という評価が出てくるのではないかという事です。僕は“お洒落”の本質とはここにあるのではないかと思うのです。つまりあの人はこの人より美しいとかキレイだとかといった人間間の相対的な評価とは全く別個のもので、各々の個人の中での評価であって、全ての人がお洒落という評価は持ち得るのだという点が重要だと思うのです。つまり”お洒落”とは人と人との間でどちらが上か下かなどと比較するものではなく、洋服等を通じて表現される様々なスタイルを持つ一個人の中での評価なのだから、誰にでもお洒落な自分は存在するということなのです。少し難しくなりましたが次回に続けます。


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