『今の自分を創ってくれた人・服たち』前編 | 伝統技術を現代のライフスタイルに合わせて発信するプロジェクト  ”ARLNATA” アルルナータ ディレクターの独り言

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約11年に渡るヨーロッパの様々なステージのラグジュアリーブランドを経て日本に帰国し、衰退産業とも言われている日本の伝統技術を今の形で発信するためのプロジェクト”ARLNATA”アルルナータを主催しているディレクターの独り言です。
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<今回の記事は北村悦子さんに寄稿していただきました>


『今の自分を創ってくれた人・服たち』前編

私が服に興味を持ちそれを職業にするまで、また仕事し始めてからも様々な人と服との出会いがあり今に至ります。
そんな記憶を掘り起こしてお話しさせていただこうと思います。
興味を持っていただけましたら是非お付き合いくださいませ。
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《針を持つ》
初めて針を持ったのは幼稚園に上がった頃だったでしょうか・・。
我が家にはお針の達者な明治生まれの祖母がおりました。
私の最初の先生です。
今どきでは見かけない、ひっつめのお団子頭に着物が日常の姿で、近所の歯医者に行くだけでよそ行きの着物に着替える様な人でした。
遊び道具のお手玉や人形は手作り。その他枕、針山、浴衣、帯紐何でも手縫い。
お手玉には小豆を、枕には蕎麦ガラを、針山には髪の毛を中に入れていました。
(気味が悪いかもしれませんが髪の毛は針を錆びさせないのです)
今では既製品の中身はどれも代用品ですが、本来はそういうものだったのですね。
中でも絶対に真似できないのは刺し子の雑巾。

刺し子










イメージ画像。Yahoo検索(画像)より

もう手元に一枚も残っていない為実物はお見せできませんが、イメージ画像の様に一針一針手縫いで幾何学柄を作るのです。
祖母はこういった柄の雑巾をコンパスも定規も下書きも一切無しでササッと縫っていました。
そんな祖母の見よう見まねで針を持つようになりました。

《ミシンで縫う》
小学校も高学年になり、家庭科でミシンを習うようになりました。
まだ2台のうち1台は足踏みミシンだったような。
初めは雑巾もおっかなびっくり。すぐに怖くなってハンドルを手で回していました。
しかしそのうちミシンの虜になってしまい、家で母のミシンを借りてはペンケースやら巾着やら色々縫うようになりました。
昔は手芸屋さんも町のあちこちにあったので、ワゴンの安い生地を見つけては少ないお小遣いで買っていました。
兄弟は兄だけなのでお下がりも期待できず、かと言って滅多に新しい服なんて買ってもらえません。
いよいよ服にチャレンジし始めました。
まずはスカート。
パターンのパの字もわからない頃です。
10歳の私は閃きました。巾着の拡大版です!
買ってきた生地を長方形のまま両脇を縫って筒にする⇒裾とウエストをそれぞれ三つ折りして縫う⇒ウエストにゴムを通す⇒出来上がり!
何とも単純なものですが、生地によってはなかなか可愛いのです。自分では大満足。
次に母のスカートを床に平らに広げてみて気付きました。
何だか台形の様な形をしている・・。なぜ?
おまけに裾がカーブしている。どうして?
ウエストに何本も縦の縫い目がある(その時ダーツの意味は知らず)。これは何?
意味がさっぱりわからないまま服の形をなぞって型紙を作ってみました。
ウエストとヒップは自分でメジャーで採寸してピッタリその寸法に型紙を直しました。
そして生地を裁断⇒縫製⇒ついに試着。
「き、きつい・・!何で?ちゃんと測ったのに!(泣)」
その時初めて知ったのです。服には緩みと言うものが必要なのだと。
中学の家庭科ではパジャマの上下を習い、少しバリエーションが増えました。
自己流で大失敗を何度も何度も繰り返して高校に上がる頃には衿なしのジャケットまで縫えるようになりました。
友達と出かける時に着て行こうと徹夜したこともありました。

《憧れる》
時代は少し前後しますが、11歳頃の話。
私にはフランスで10年修行を積んだ遠縁の親戚(説明が複雑になるので以下、叔父と呼びます)がいます。
セルッティ、テッド・ラピドス、クリスチャン・ディオールでオートクチュールの技術を習得して帰国しました。
ある日、全く覚えていないその叔父をバス停まで迎えに行くように母に言われました。
そしてその後叔父は我が家の2階を仕事場兼住居として同居することになりました。
時々2階のドアが少し開いていて、その隙間から見えるボディやアイロンや縫いかけの服。
その部屋の中が何だか特別神聖なものに思えて10歳ながらもとてもズカズカ入って行く気にはなりませんでした。本当はもっと見たくてしょうがないのに。(今思えば惜しいことをしました!)
私のプロの職人へのリスペクトはその辺から始まっていたのかもしれません。
素人が料理屋の厨房に足を踏み入れてはいけないと思っていたし、無神経に人の作業場に立ち入っては行けないと思っていました。そこへは修行を積んだ者だけが入る資格があるのだと。誰にもそんなこと教えらた覚えはないのに何故そう思ったかは不明です。
この時はまだ“服”の道に進もうとは思っていません。
ただただ職人さんに憧れていたのです。

つづく。


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