衣料とブランドとファッション 前編 | 伝統技術を現代のライフスタイルに合わせて発信するプロジェクト  ”ARLNATA” アルルナータ ディレクターの独り言

伝統技術を現代のライフスタイルに合わせて発信するプロジェクト  ”ARLNATA” アルルナータ ディレクターの独り言

約11年に渡るヨーロッパの様々なステージのラグジュアリーブランドを経て日本に帰国し、衰退産業とも言われている日本の伝統技術を今の形で発信するためのプロジェクト”ARLNATA”アルルナータを主催しているディレクターの独り言です。
https://arlnata.com/index.html


 昨日の予告通り、今回もまた南充浩氏のブログから考えを展開したいと思います。

http://www.fashionsnap.com/the-posts/2014-05-08/mujirushi-copy/


 簡単に要約しますと、ブランド店内と違いユニクロ無印POP(Point of purchase advertising: 紙の上に商品名と価格、またはキャッチコピーや説明文、イラストだけを手描きしたものであり、数ある広告媒体の中でも単純なツールの一つ)を利用して、商品の背景などの説明を積極的に行っている。これをブランド店も見習う余地があるのでは、という話です。


人はなぜブランド品(今回は服、アクセサリーを前提として考えます)を買うのでしょうか?ブランド品の魅力は何なのでしょうか?わざわざ高い金を出してまでどうして買いたいと思うのでしょうか。人間は着ているものもメイクも全部はがせば、みんなただの裸の人間です。でも人間の中には自己主張をしたい人がいます。オレはミュージシャンだからそれっぽく思われたいとか、みんなから恐れられていたいとか、動機は様々ですね。そういった自己主張をする中で一番簡単で、自分から説明しなくても向こうから勝手に理解してもらえる良い方法は、”着る”ということになると思います。身なりによる視覚的情報は自分から勝手に発信され、向こうが勝手に受信するので非常に便利かつ自己主張したいことがある人にはとても有効ですね。つまりこういった自己主張は相手がいて初めて成り立ちます。つまり、外からどう自分が見られているか、もしくは見られたいかという主張がその時に着る洋服に出てくるのです。この他人の視線を前提とした着衣をファッションと考えます


 人間の中にはもっと自己主張をしたい人がいます。見栄や虚勢を張る人、本当の自分よりももっと良く思われたいと思う人です。普段はそうでなくても、たまに背伸びをしたいという人もいるでしょう。そんなにお金持ちじゃないけど金持ち風に見せたい、デートの時に本当の自分よりもっと良い印象を与えたいとか。ブランドはこういった自己主張をしたい人たちに大いに助けられていますし、逆にブランドはそういった人達を大きく助けてもいます。


 ここで僕は、服についてこう定義したいと思います。

他人目線を意識した瞬間にそれはファッションになり、ブランド品は自分を何らかの点でより強く(より良く)見せようと主張をする際のツールとして利用される。


 では、自己主張を目的とした服を買いたい時にユニクロ無印にまず行こうと思うでしょうか?自己主張をする時にユニクロ無印を着るでしょうか?いないとはもちろん言いませんが、やはり少数派だと思います。それは、ユニクロ無印の服は見られるということ、他人からの目線を意識する服というよりも、自己目線の実用的な機能性を重視する人のためであるからです。これを衣料品と考えます。僕は(厳密には僕の仲間内では)衣料品の意味をこうとらえます。

何かの目的を達成するために身につけるものの中で、他人からの目線よりも自己目線からの機能性を重視した服

もちろんユニクロ無印の服が他人から目線を考えていないなんてことはないでしょう。つまりファッションの一部であるのは間違いありませんが、彼らの服は機能性、つまり保温性、動きやすさ、肌触りの良さ、洗濯のしやすさ、着回しの良さ(個性過ぎない)、汚れから守る、などなど、自分が主体となって感じる感覚(自己目線)に訴えかける、衣料品としての意味合いが大きいという事です。


 そう考えると南氏が言うように、機能性を求める客が大半のユニクロ無印で機能性の説明等を積極的に取り入れるということは、客の心理を捉えたとても親切なサービスと言えると思いますが、厳しく言えば店として当然の業務だとも言えなくもありません。


 では、他人目線を意識し、自分を良く見せるための服を買いにブランド店に入ったとしましょう。そこで、ユニクロ無印のように色々な商品説明がキレイにご丁寧に並んでいたら、えっ、、、て思いますよね。じゃあ、何で「えっ、、」なのでしょうか?それは、ブランドには、機能性などの現実的な要素を第一には求めていないからです(正確にはそのような現実性を見たくない) 。そう、ブランド品とはただの主張ではなく、何かしらの自分の要素をさらに強めたい、高めたい、という主張をしたい時に利用するツールであって、これはまさに現実からの飛躍を夢見る行為であるので、その夢を見るために来たブランド店が現実に引き戻される様な状況だったら、はっきりいって興ざめなわけです。人はブランド品に現実を見たいのではなく、現実を離れた都合よく作られた夢を見たいのです。と考えると、ブランドの店内は現実を見せる様な要素を置くべきではなく、商品はもちろん接客や値段までも、夢を与える様な雰囲気、環境づくりが必要になってくる訳です。つまり値段が高いことがブランドっぽいと思ったりするのも、こういう風に考えると納得いきませんでしょうか?


明日に続きます。





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