ファストファッションはプロフェッショナルか?(中編:ブランドに求められる事) | 伝統技術を現代のライフスタイルに合わせて発信するプロジェクト  ”ARLNATA” アルルナータ ディレクターの独り言

伝統技術を現代のライフスタイルに合わせて発信するプロジェクト  ”ARLNATA” アルルナータ ディレクターの独り言

約11年に渡るヨーロッパの様々なステージのラグジュアリーブランドを経て日本に帰国し、衰退産業とも言われている日本の伝統技術を今の形で発信するためのプロジェクト”ARLNATA”アルルナータを主催しているディレクターの独り言です。
https://arlnata.com/index.html

 ファストファッションの成功の裏で、苦戦を強いられている、“今まで通り”の生産体制で経営しているブランド、さらには若いクリエイター達に多い小規模ブランド。彼ら(僕ら)に生き残る道はあるのでしょうか?


 まず、ファストファッションはなぜ始まったかを考えてみると、そもそも富裕層だけが享受していたオートクチュール(高級オーダーメイド)が、1960年代に本格的に始まったと言われているプレタポルテ(既製服。コレクションを発表しサイズ展開して先に量産した後お店で客に買ってもらう方法で、オートクチュールとは逆の生産方法、現在の主流)の台頭で一般の人々も楽しめるようになり、それぞれの需要に合わせて様々な価格とクオリティのバランスを提供するブランドが増えた結果、お客さん獲得の競争が激化し、“値段”という至極分かりやすい数値にとらわれた結果、元々高級商品であった洋服が下へ下へと(値段の意味で)裾野を広げ、その極めつけの結果がファストファッションの出現ということになったと考える事が出来ます。ファストファッションが受ける理由は、その価格とクオリティのバランスもそうですが、なんと言ってもその選択肢の多さ。どんな人でも店に入れば一つや二つ、何かしら気に入るものがあるという、完全に消費者目線での戦略ということになります。


 ここで、再確認の意も込めて、“ブランド”について、wikipediaからその意味と概要からまとめさせてもらいました、

“ブランド”とはある財・サービスを、他の同カテゴリーの財やサービスと区別するためのあらゆる概念。元々、自分の家畜などに焼印を施し、他者の家畜と区別するために行われたものである。商標法で保護されている「ブランド」も同じような商品を見分けるために製造元が取り付けていた商標やマーク、タグなどの付属物に過ぎない。しかし、その商品が優れていた結果広く使われるに従い、付属物が「商品が良質だ」「使い勝手が良い」等といった判断基準を消費者に連想させるような働きをするようになる。また、その逆もある。商品を現すイメージを確立した後は、付属物自体(ブランド自体)が重要な意味を持つようになった。それが商品やサービスとは離れて、独り歩きする場合もある。

~”ブランド”とは他者との区別化を図るための概念~ 今、世の中に無数に存在する“ブランド”が自分自身を他者と区別化することに努力しているようにあなたには映っていますか?むしろ同化するように見えるものが多くないでしょうか?そんなブランドを消費者に提案する側が、この無数にあるブランドを区別するように努力をしていると映りますか?


 どんな世界にせよ、生き残るためには“自分にしか出来ない、持っていない長所に気付き、それを伸ばし、活かすことが出来るかどうか”が大事だと思っています。ということは、ファストファッションの長所が、安さ、新しい商品の生産スピード、なおかつ新しい流行に乗っていてお洒落、そして豊富な選択肢、であるならば、我々“従来のブランド”はその他の点で差をつけるしかない。それは何かと例を挙げてみれば、流行を追うファストファッションでは出来ない“流行を作る事=独創性、創造性”であり、低価格大量生産では実現できない”素材や加工の様々な表現方法”であり、さらに言うならば、“品質の高さを物語らせるに足りる商品の見せ方”、つまり洋服そのもの自体の価値だけではなく“洋服にまとわりつく雰囲気への付加価値=ブランドだけではなく服一つ一つのイメージ戦略”、 で勝負するということでもあると思うのです。

1:あなたの会社がファストファッションではないという誇りがあるのならば、もう数にモノを言わせて、消費者の機嫌を伺いながらブランドの行き先の舵を切る様なモノ作りはファストファッション にまかせればいい

2:あなたの会社がいいブランドをセレクトしているという誇りがあるのならば、消費者の機嫌を伺いながらブランドをセレクトするのではなく、ブランドという本来の意味を理解した上で、それらを区別し、その個性、特別性を消費者に伝えて行く努力をする

3:自分の事をプロだと思っているなら、自分しかできないこと、自分だからできることは何かを必死で考え、他と差をつけ、さらに上を追求する

 そういうプロが各分野に必要な時代になったのではないでしょうか。「言うは易く、行うは難し」なのは分かっていますが、このプロ意識を持ちつつ、皆が少しでもこの世の流れを改善する方向に動き始めたならば、それは時間がかかるのかもしれませんが、きっと良い未来が見えてくるに違いないでしょう。


 ファストファッションはこの先も無くなる事はないでしょう。世の中のほとんどの人は一般的な所得の人な訳ですから、この安くてお洒落なお洋服の需要が無くなる訳が無いからです。それに、いわゆる高級ブランドに限らなくても、世の中の服はやっぱり高いですよね。僕もどれだけで服が好きでも正直に言って頻繁に定価で買う事は出来ないです。ただ、洋服が好きな人なら誰でも、清水の舞台から飛び降りる、ではないですが、店でどうしても欲しいものに出会って、予算を軽くオーバーしているけど、頑張って買っちゃった!という経験ないですか?服じゃなくてもいいです。どうしても欲しくて無理して買っちゃったっていう経験!予算をオーバーしてまで買ったのに、それなのになんか嬉しい、そんな経験!洋服の売り上げが下がっているのが現在の問題点なら、“あの感覚”を覚えさせるような機会が減ったという事も原因ではないでしょうか。それはいい服が減ったから?いや、それもあるのかもしれませんが、それだけではないでしょう。そんな洋服に出会える環境を作りあげることを怠っている人がいるのが原因?巷に同じような服が溢れかえる現状が“あの感覚”と出会える機会を減らしているということもあるのでは?じゃあ、この現状を作っているのは誰?どうして同じような服が巷にこんなに多数に必要なのか? そもそも必要か?、、、各々が考えれば各々で答えが出てくるはずです。


 今日で締めくくる予定が、もう少し長りそうなので、明日、“ファストファッションの出現はブランドの良さを再確認する絶好の機会”といったような内容で締めくくりたいと思います。ちょっと簡単に考えていましたが、ファストファッションの出現って、結構意義深いなと文字にしつつ改めて感じてしまいました。ちょっと長くなりましたが、皆さんにも改めて考えてもらえればありがたいなと思います。



読んでいただいた方は、下記ワンクリックお願い致します。これは広告収入では無く、僕の利用しているアメブロ以外の所からの人にも出来るだけ来てもらえるようにと参加したランキングサイトです。

人気ブログランキングへ