様々な「思い」をエッセーにしてブログに掲載していきたいと思っています。私自身のこと、私の体験したこと、そして社会や大自然についても、それへの「思い」を書いていきます。お読み頂いて、ご意見や感想を下されば幸いです。suzukite@jcom.home.ne.jp
「失われた30年」を脱したとの話はまだ聞こえてこない。失われた…は、いつまで続くのか?! 株は、1989年の大納会でつけた史上最高値の3万8915円を、今年の2月22日更新した。 さらに7月11日には史上最高値の4万2224円をつけた。 初めての4万2000円台だ。 これでも、まだ日本の景気は悪いままなのか?! 株だけが上がっているのか?! 物価も上がっているが…! 株には先見性がある。 景気もついていくのだろう!? まもなく好景気の日本が来るか!?景気が良いと感じると、控えていた買い物が始まる。 景気は加速する。 新生日本は大きく動きだすのだろう。 人々が前向きになると、旅行も始まる。 若者は長期の海外旅行だ。 爺婆は近所の旅行か?! 東京や京都は混んでいて嫌だ。 そう!高野山や鎌倉か?! そこも込み合っているようだ。 街の人混みを、更に老人が増やしてはならない。 もう爺婆は、息子や孫の旅行土産を待つのが良さそうだ。さて、今日も近所の多摩川まで散歩に行くか、40分4000歩の。 まだ、がんばってますよッ! *今日の東洋経済ONLINE9月23日号に、「ついに『日本の失われた30年』 が終わりそうだ」との記事が出た。 終わりそう?? イヤ!もう終わった! ぞ! *NYダウは最高値更新を続けている!10月9日も 失われた30年はまだ続く?
その日のことを記した私のブログを再掲する。東海道新幹線開通初日に私は乗った!1964年10月1日、東京~新大阪間に東海道新幹線が開通した。続く10日には東京オリンピックが開催され、いずれも日本中が大騒ぎだった。日本人は自信を取り戻し、このころから高度経済成長が始まった。私は当時学生で、新幹線の10月1日1番列車の始発6:00に乗りたかったが取れず、9時東京発にやっと乗れた。オリッピクは券が取れず、やむなく下宿のTVにかじりついた。友人と一緒に乗った新幹線では、客車、食堂車などウロウロと見て回った。アッ200㌔だ!との表示を見たり、驚きの連続だった。そして気がついたらもう名古屋へ着いていた! それが初乗り新幹線への実感だ。あの頃は大きな行事や事件が多かったように思う。それが今はどうか? 平穏な社会が続いている。それが一番良いことなのだが……。7月1日 名神高速道路が全線(岐阜・小牧~神戸・西宮間)開通10月1日 東京~新大阪間の東海道新幹線が開通10月10日 東京オリッピク開催 *オリンピックへ向けて全力で走っていた日本。一方で、当時 流行っていたのは、みゆき族、アイビー・ルック、東洋の魔女、 ウルトラC、…… そんな日本と私でした。
私を含め多くの人が、次の総選挙で中道連合が政権を取ると思っていた。 もう自民党では日本を変えられないと…。 そんな風潮の中で、自民党・小泉進次郎43歳が 「新時代の扉をあける」 と出現した。 彼の顔は最近変わってきた!自民党からの政権交代を期待していた、私を含めた多くの人たちが小泉へと視線を変えた。 自民党ではない!小泉党へ、だ! 老若を問わずこの方向がしばらく注視されるだろう。 私は小泉ガンバレと…期待をしている。 若い人たちも同じだろう!!従来からの旧体制は終り、これから新社会が始まるようだ。 やっと日本は、新社会で、前へ向かって進んでいくのだ。 本当の前へ!だッ。 チョッと!すまし過ぎだが!
大谷翔平選手が歴史を塗り替えている。50本塁打、50盗塁だ。日本中が、いや!世界中が本塁打王も期待し、待っている!彼は日本人離れした体格だ。岩手県の出身だとか。凄い日本人だ!両親も奥さんも出てこないところが良い!しっかりとした家庭なのだろう!まだ30歳。これから様々な記録を伸ばしていく! 大いに期待しているぞ!
なんと 殺し合う戦争の真ッ只中でも、休戦!人道休戦があった。 人類は進歩している。 イスラエルはこの紛争を戦争と位置付けている。 その戦争の中で、イスラエルとハマスとは、子ども64万人のポリオ予防接種のために休戦入りをした。 凄いことだ!大人は諸事情から戦争をせざるを得ない。 しかし今件で、“全て”を巻き込まない戦争が姿を現した。 様ざまな事情があれば、戦争を“部分化”するのだ。 これからは紛争と平和に様ざまな“部分化”が起きていくだろう。 素晴らしい第1歩と言える。 “今日はお祭りだから3日間休戦にしよう!” とかとか……。紛争や戦争は無くならない。 しかし、様々な事情を生かしながら、“部分休戦”が、これからはあちこちで生まれるだろう。 それは、世界がしだいに平和に近づいていく!と、見える! 先へさきへと続いていく、人類のこれからの方向であって欲しい!!
7月8日に府中市で観測史上最も暑い39.2度を記録した。 体温を越えた39度!冷房がなければ生きていけないッ! 35℃を越える夏が続き、2年連続の、史上最も暑い炎夏の夏だった!更にさらに、雨の降り方も、もの凄くなった。 突然!の大雨だ。 おまけに大粒が一気に降る! 隣町では大粒の雨でも、わが家近辺には来なかったり…。 狭い範囲に集中して降り、移っていくようだ。 荒い気候だと実感できる今日この頃。 荒い天候に対応するにはどうしたらよいのか?!しかし、自然の変化は、その荒さを、その都度受け入れるしかない。 その都度その都度に!しっとりと木々や若葉を湿らせてくれる、春の雨…! そんな悠長なことを言っていられない日本になっていくのか?! つれて、日本人の精神も変わっていくだろう。 短期集中完了型日本人に! ノンビリでは住めない社会になる!? それ、止めて欲しいが、どんどん落ち込んでいくのだろう!自然をユックリ楽しむ時代は終り、次へつぎへと、移り変わる日々を生きる。 そんな目まぐるしい社会に、爺婆はついていけなくなるのかも?! 炎夏蒼天=えんかそうてん=真夏の青空
男子、女子が別学の公立高校は1960年代には全国に300校以上あったが、今では42校だけだそうだ。 男子校や女子校の伝統や校風に愛着を持つ人は多い、とも記している。しかし、私は京都の高校だったが、当時男子校や女子校は公立に落ちた人が行く学校だと思っていた。 地域によって、時代によって、違いがあり、 様々な風土が生まれたのだろう。 全国均等でない方が良い。 風土の違いがあってこそ日本は発展していくのだ!話変わって、私の東京での学生時代は、公益財団法人の和敬塾という男子寮にいた。北海道から鹿児島まで、様々な故郷の男たちと過ごし、元気な楽しい学生時代を送れた。今でも年に1回は同期会がある。最近は寮なんかイヤだという若者が多いそうだ。しかし、ぜひ1度は経験してほしい。 学ぶのは学校でだけではない。 寮生活は様ざまな人間関係を経験し、学べる。 少子化の今、必要不可欠な経験だ。 和敬塾を訪ねてみたらどうか! 目白にある。 正門
日経BP総研がビジネスパーソンを対象に住みよい街の調査をした。ベスト3は、1位武蔵野市、2位沖縄・浦添市、3位大阪・吹田市、だそうだ。 ベスト6には、東京都の千代田区、文京区、府中市が加わる*。 思った以上に府中は住みよい街のようだ!!なお、上位30自治体のうち4割を都内の自治体が占めている。たしかに、府中は都心へは近いし、緑も多く、多摩川もあって、バランスのとれた郊外の街といえる。さらに、市としても府中は伝統のある街だ。 なんと大化の改新によって、武蔵国(現在の埼玉県・東京都・神奈川県の一部)の国府が、7世紀後半から現在の府中市に置かれた。それ以来の、伝統のある町並みなのだ。 東京の人は、このことを知っているのかな?!大國魂神社、けやき並木通り、桜通り、そして4月末のくらやみ祭り。 1度来てみて欲しい! 私は府中に住んで23年が経った。 府中では東芝ブレイブルーパス東京と東京サントリーサンゴリアスの両ラグビーチームが市内を活動拠点としている。 東京競馬場がある。 デパート・伊勢丹は撤退してしまったが…。 *24年8月23日日経新聞「シティブランド・ランキング―住みよい街2024―」 より 大國魂神社のくらやみ祭りけやき並木通り 源義家像(通称:八幡太郎義家) けやき並木通り 右奥に八幡太郎像
高齢者の逆走事故が多い。8月16日夜、栃木県内の東北自動車道で81歳の男性が逆走し、オートバイと衝突した。 最近高齢者の逆走事件が多発している。 それも、私と同じ81歳が多いようだ。 81歳の人は、俺はまだボケてなんかいないぞ!と 誰もが思っている。最近は道も複雑で、道路の案内標識がとっさにはわかりにくい。 知らない道をそれなりのスピードで走っている時、カーブを曲がって、オッと!と思う時がある。 歳だけのせいではなさそうだ!今、私は落ち葉マークをつけている。 若い人たちは落ち葉マークを見ると、危ないアブナイと思うらしい。 が、決してそんなことはない! もう50年以上も走り続けているのだから。 落ち葉は大ベテランのしるしだ!! 今年免許証を更新する。 これが最後の更新になりそうだ。 その後は自転車か?! 雨の日はどうする?! 車がないと、しだいに外出が減っていく。 ますます家にこもってしまう! 更にさらに老化が進む!! これはしょうがないのか!
来年の当日は新聞やTVは終戦特集だらけだろう。 静かに1年前に、私の敗戦後を振り返ってみた。私は、私は昭和17年(1942年)12月21日生まれで、敗戦時は2歳と8カ月だった。宮崎県延岡で生まれ、終戦時は高千穂へ疎開していた。その年父が延岡で亡くなった。戦争と父の記憶はまったくない。ここから母の苦労が始まった。母と私は、母の姉を頼って岡山へ移住し、間借りした。小学校は岡山の石井小学校だった。当時は幼稚園などなかった。その後京都へ移り、中学・高校と過ごした。学校は下鴨中学、洛北高校だった。立教大学へ入り、東京で日本電子(株)に就職した。当時躍進中の日本電子は電子顕微鏡などのメーカーだった。入社3年目に営業で大阪へ転勤し、京都の自宅で母と同居した。72年に由嘉と京都で結婚した。結婚翌年に東京へ転勤となった。その後、おかげで71歳まで日本電子と他で仕事を続けられた。東京では福生、八王子と住んで、娘・息子を送り出し、今は府中に住んでいる。府中は緑が多い街で、都心へも近い。ちょうど良い場所だ。 府中 けやき並木通り
焼き芋が売れているというTVニュースがあった。 本当に売れているのか? 焼き芋が! この暑いときに!? 敗戦直後幼年期だった私にとって、サツマイモは「代用食」でしかなかった。ご飯も満足になかったその時代には、代用食としてサツマイモを食べた。早くご飯が食べられるようになれ!と思いながら食べた。 美味しいなんて思わなかった!そのためか、今でもサツマイモはあまり食べたくない。一方で終戦直後を知らない女房は「焼き芋はおいしい!」と しっかりと食べている。 買ってきた焼き芋を食べてみた。悪くはないが代用食のイメージがぬけない。思い込んだら100年目! そこから爺はなかなかぬけ出せないのだ! でも、それは年寄りの言うことか?! 若い人たちの感覚は常に変化し、新しいものをすぐに受け入れる。 おいしくないのではなく、思いがぬけないのだ。 これこそが年寄りの証拠だと言えるかも、ムムッ………。
いま、8050問題があるそうだ。80代の親が50代の子どもの生活を支えるために、経済的にも精神的にも大きな負担を負うという社会問題のことだ。 増えているそうだ! とくに独身無職の高齢男性が増えているようだ。子どもの社会的孤立の長期化(ひきこもり、離職など)・高齢化などが背景にあり、親の衰えや病気による親子共倒れが懸念されている。 2010年代以降に増加している社会問題だ。お陰でわが家は娘一家、息子一家にも2人ずつの孫がいる。時々やって来るのが楽しみだ。一方で、娘や息子の友人たちにも、結婚しない、しても子供は欲しくない、とかの人たちがいる。これから日本はどうなっていくのか!? 衰亡の日本は困る! そうでなくても人口は減っていくとの予想がなされている。 国立社会保障・人口問題研究所の新たな全国将来人口推計総人口は、「50年後に現在の7割に減少、65歳以上人口は約4割に」との発表があった。 人口がそんなに減ってしまうのか! おまけに年寄りは増える一方だ!!爺婆はもう子供を…とはいかない。若い人たち!がんばってほしい!! 早く結婚して少なくとも2人の子供を!! なぜ、結婚しないのか? 私にはわからない!?! 家庭をもって新生活をしたくないのか?お見合いでも、ネットでも…相手探しは出来るだろうに! そう言う私はお見合いだった! 50年前だ! 8050問題の記事
桜のシーズンは過ぎたが、日本は桜の国。 三大「桜の名所」はどこか? 残念ながら知らなかった! 何処だ!? 青森県の弘前公園、長野県の高遠城址公園、奈良県の吉野山、とされている。 いずれも行ったことがあるが、残念ながら桜の頃ではなかった。 もう、桜の頃に行くことはないだろう! 今では遠出がきつくなったから。 近場では「スタジアム通り」と「多摩川かぜのみち」の桜となる。 どちらも見事な桜並木だ。 いま、多摩川へは隔日に散歩に行っている。 今年の桜も見事だった。 かぜのみちだけではなく、その近所の住宅街の桜並木もぜひ見て欲しい。桜が終わると、散歩では黄色い帽子をかぶった新入1年生の帰宅に会える。楽しそうな彼らを見ると日本の平和を実感できる。 私は今、金曜日に交差点で、学童帰宅支援ボランティアをしている。事故にあわないようにとの黄色い旗振りだ。 爺にとっては楽しい時間。 「こんにちは!」と声をかけると、「こんにちわ」と返す子は10人に2人ぐらい、ニッコリが4人ぐらい、後はすまして行ってしまう。変なおじさんにはかかわるなと言われているのかな? 爺にとっては社会や子供たちのお役に立てている!と嬉しくなる時間だ。 22年11月
彼は大統領選挙への立候補をあきらめた。もう大統領での仕事はムリだと世論や献金者が声をあげたのだ。 失礼で、かわいそうだが、しかたがない! 81歳か!? 彼は私より1カ月だけ兄貴だ。 世の中、81歳はもう引退しかないのか? 私は60歳で定年になり、その後72歳で仕事は終った。そして今は月曜日のボランティア仲間との会合と金曜日の学童帰宅支援だけになってしまった。定例的にするのはそれと、隔日にする多摩川までのウオーキング、いャッ!散歩? だけだ。 あッそうそう! 週1回のこのブログ書きもある。 これはこれからもがんばって続けていくぞ!!このブログで前にも書いたが 「80歳まで仕事、90歳まではボランティア、90歳からが隠居」と。これが望ましい。 が、・・・ 現実は違う!これからも、ボランティア活動を続けよう! 学童を守るためにも! いま、爺のできることはそれくらいになってきた。*私はこのブログに、23年5月12日「80歳バイデン大統領の再出馬表明に米国民の7割が『高齢不安』」 を書いている。それもお読みください。
「個」を「孤」に変えてはいけないという新聞記事があった。確かにそうだ!「個」を大事にしなければならないが、大事にし過ぎて「孤」にしてしまうことが、結構あったように思う。 どうも日本人は大事だいじで「孤」に祭り上げてしまうようだ。アメリカ人は、新大陸での新しい仲間の中で、自分の位置を確立するために自己主張があたりまえの国になった。 その逆が日本だ。 島国の日本人は古くからの仲間同士だから、その必要がない。多くの日本人は、祭り上げられると困るので大衆の中に紛れ込む。目立ちたくないのだ。ただ最近の若い人は自分を目立たせよう、売り出そうとする人もけっこう居る。良いことではあるが行き過ぎないで欲しい。ついつい!行き過ぎてしまい、日本の“和”の社会を壊さないで欲しい。日本で“和”は必要なことなのだ。 年寄りの愚痴だなんて言わないでくれ。日本のためのことだ!! “和”は世界中に広がって欲しい。 国境での紛争が各地で起きている。世界の端のはしの島国日本からだから世界にアドバイスできるのだ! “和”をだ!! 私の字ではありません
昭和6年(1931年)12月3日の昭和恐慌時の記事だ。当時の恐慌がいかに大変であったかがよくわかる。しかし、義士祭りの記事もある!一方で祭りもしていた?! 1929年(昭和4年)10月に、アメリカで起きた株価大暴落「暗黒の木曜日」を契機に、日本は1930年から1931年にかけて経済が危機的な状況に陥った。 なんと!今から93年ほど前には、娘を売らざるを得ない、深刻な大恐慌が日本を襲っていたのだ。現代の人には考えも及ばないだろう。今、日本は平和が79年間続いている。なんとか江戸時代と同じ260年以上は続いて欲しいものだ! 記録を更新しようではないか!日本が戦争を仕掛けることはもうないだろう。しかし、戦争を仕掛けられることはあるかも。中国、北朝鮮、ロシア…。独裁者が国を動かす、民主化が遅れている国々だ。民主化が進めば戦争はなくなるだろう! 人、ひとりヒトリを大切にする“民”“主”、そう!“民主”化だ! 彼らも早く、日本と同じような民主国家になって欲しい!
我が国の総人口は、前年に比べ82万人減少している。一方、65歳以上の高齢者人口は、3627万人と、前年に比べ6万人増加し、過去最多となった。総人口に占める割合は29.1%と、前年(28.8%)に比べ0.3ポイント上昇し、これも過去最高となった。なお、75歳以上人口は、総人口に占める割合が初めて15%を超えた。これは、いわゆる「団塊の世代」が2022年から75歳を迎え始めたことによる。一方で、終戦前生まれは14%に減少という新聞記事があった。私は戦前生まれの人がまだまだ2~3割は居るだろうと思っていたが、なんと14%!だそうだ。私は1942年12月生まれでこの14%に入る。 敗戦の1945年に生まれたた人たちは、今年79歳。戦争をまったく知らない人たちだ。隣での戦争、朝鮮戦争(1950年6月- 1953年7月)が日本に戦後復興と好景気の恩恵をもたらしてくれ、その恩恵を受けた人たちでもある。その後も今まで戦争を知らず、平和に暮らしてきた、本当に幸せな人たちだ。今後もこれが続くことを願う!!以前にもこのブログに書いたが、79歳はまだまだ若い、80歳は傘寿でおめでたい!! 81歳から、やっと老人、お爺ちゃんお婆ちゃんなのだ!と。日本はどんどん老人が増えていく。長寿になり更にさらにだ。そのうち、「100歳まで生きる」が当たり前の時代になるのだろう!老人国家になるが、それも良し。北半球は老人国家群になるが、南半球は若い国々になるのだろう。喧嘩しないで南北共に平和が続く地球であって欲しい。……。人口を維持するためには合計特殊出生率*が2.07必要だそうだ←23年7月1日日経新聞。2023年の日本の合計特殊出生率は1.20で、最も低かった東京都は0.99と1を下回った。どうなっていくのか日本は!? 8050問題もある。 消国?! *合計特殊出生率とは、一人の女性が一生の間に出産する子供の人数
気の毒な事件だが、反省のために我々も知っておかねばならない。いずれも未知・未経験により発生した事例である。 タコマ橋の崩壊(米国) リバティ輸送船の沈没(米国) コメット飛行機の墜落(英国) この3つが世界三大失敗だそうだ。タコマ橋の崩壊は、米国ワシントン州ピュージェット湾口の海峡タコマナローズに架かる吊橋の崩壊事件だ。 設計上の問題により、架橋後間もない1940年11月、想定に満たない強風の影響で落橋した。リバティ輸送船の沈没は、第二次世界大戦中に米国で量産された貨物船・リバティ船が脆性破壊を起こすという事故が1,031件(建造されたリバティ船の総数は2,708)報告されている。溶接不良と、冬季の海の冷たさから起こった脆性破壊が原因であった。この事例は、失敗の検証を通じて技術を改良した事例として、技術史・失敗学においてしばしば言及される。コメット連続墜落事故は1953年から1954年にかけ、世界最初のジェット旅客機である英国デ・ハビランド社製「コメット」に連続して発生した。構造上の欠陥による空中分解事故である。最先端の航空機であったコメット機に内在した、当時の航空工学および金属工学の分野で未知の領域にあった重大な欠陥がその後解明された。これらの事故により、改善、改良が繰り返され、安全な時代へと進んでいく。タコマ橋開通時リバティ輸送船 写真はジョン・バーク号:1944年12月28日に神風特別攻撃隊の攻撃によって爆沈し乗員全員が死亡した世界最初のジェット旅客機 コメット
日本三景は松島、天の橋立、宮島。江戸時代の初頭、儒学者の林春斎が全国を行脚して、この3つの場所を「日本三景」と定めたとされている。 美景を求めての全国行脚! 彼は最高の景色を見つけようと、がんばりぬいた偉い人だ!! 松島 仙台湾の北隣にある松島湾に島々が点在 天の橋立 京都府若狭湾内の宮津湾に面した3.6㌔の砂洲 宮島 広島市の隣の市、廿日市市の島と厳島神社私はいずれも訪れたが、この名勝三景は3カ所とも海に面している。日本人の景色には海が必要なのだろう! ヨーロッパ人は山のセンスなのかもしれない。 私は小さい頃京都に居た。天の橋立は、小学校時代に日赤の主催する臨海学校で3回ほど行って、現地の小学校の教室に寝泊まりした。日赤の看護学校生がアシスタントに着いていてくれて、お姉さん達と一緒が嬉しかったことを思い出す。いまでもやっているのかな。小さい頃の団体生活がその後の友だち作りに役だったような気がする。うちの孫たちにも、今そんなのあるのかな?!
孫に地球儀を買った。それを見て驚いた! 地球を真横から、赤道上から地球儀を見ると、アフリカ諸国には大きな面積の国々があるのに、欧州諸国は極めて小さいということを見せつけられた。エエッ! 面積的にはそれが実態なのだ。今は、アフリカから欧州へ避難民が続々と地中海を渡っている。大きな面積のアフリカ諸国から小さな欧州の国へ移民が押し寄せれば、欧州はつぶれてしまうのではないかと、地球儀を見て実感した。それほど面積が違うのだ。調べてみた。独、仏、伊、英国の合計面積1,446,100㎢は、赤道直下のコンゴ民主共和国面積(2,345,000㎢)の62%ほどしかない。なお、アフリカ最大の国は地中海に面したアルジェリア民主人民共和国で2,382,000㎢。コンゴ民主共和国は第2位の面積だ。ちなみに、日本は378,000㎢で、ドイツよりは大きく、フランスよりは小さい。日本は極東の端に位置しており、難民も押し寄せては来ない。・・・・・。