前回、「特許の価値評価」は、経済の専門家の仕事では?などと泣き言をいいましたが、ネットではこんな意見がありました。
「知財権価値評価について、知財権の本質を踏まえた適切、合理的な評価をし、社会の発展に貢献するためには、知財業務に最も係わり、精通し、知財権の本質を理解できる弁理士が適任であり、弁理士が関わるべきである」
このような知財権価値評価ができる弁理士はすごいですね。おそらく、弁理士と無関係な知識の習得についても、弁理士試験と同じくらいの努力をされてるのでしょうね。
さて話しは戻りますが 特許「出願」の価値評価について、前回のブログでは、
(出願する価値) = (技術的な価値) × (特許的な価値)
とモデル化してみました。
一般的に「質の高い出願」と言うときには、「技術的な価値」にだけ目がいくものですが、「質が高い『発明』」ではなく、「質が高い『出願』」という以上は、上記の「出願する価値」こそ、真に「質の高い出願」の基準と言えないでしょうか。
そう言えるとすると、「質の高い出願」を生み出すためには、「特許的な価値」を高める必要があるわけで、そこに弁理士の出番があるわけです。
前回、「特許的な価値」とは、29条2項のみを考慮したときの、特許になりやすさ(無効になりにくさ)を表すもの、と定義しました。
では、特許になりやすくするためにはどうすればよいか?
「発明を育てる」「発明を多面的に捉える」「応用例をたくさん書く」という正統なものから、「どうにでも取れるような曖昧な記載にする」などのテクニック的なものまで、さまざまな出願書類の作成手法が用いられています。
しかしもっと直接的な方法があります。それは、拒絶理由のない出願書類を作成すること!ですそのまんまですね
上記の出願書類の作成手法は、弁理士にとって言わば常識です。
常識を疑うことは難しいし、多くの場合、ばかげていることです。
しかし、常識は時代とともに変わることもあります。
進歩性に関する弁理士の知見と、情報化時代を組み合わせれば、「拒絶理由のない出願書類を作成する」という一つの理想に少しでも近づけるはずです。
上記の「常識」が、「拒絶理由の引例は予め知ることができない」という前提のもとに成り立っているのだとしたら、その「常識」は、疑ってみるのも面白いかも知れません。
例えば「応用例をたくさん書く」には、メリット(補正のネタ等)とデメリット(保護と開示のアンバランス等)があるわけですが、拒絶理由の引例を予め想定できるのであれば、必ずしもメリットは大きいとは言えないかも知れません。
こんな考え方は「非常識」でしょうか。
最後までお読み頂きありがとうございました。
弁理士 田村誠治