終末の唄_045 | talk show

終末の唄_045

 店には、まだ時刻が早いせいか、ぼくら以外には客はひとりもいなかった。
 そして、エアコンディショナーが適切に設定されていないせいで、少し蒸し暑かった。
 その暑さが、彼女の赤いダッフルコートと赤い手袋をしぜんととらせた。
 天井にぶら下がっているJBLのスピーカーからは、チャーリー・パーカーのナンバーが静かに流れている。

「大丈夫よ? ただのオレンジジュースみたいなもんだから。
 ところで、アータも、あのクリニックの患者さんなの?」

「ええ、そうです。あのクリニックのクランケ」

「それじゃあ、アリスとはしりあい?」

「いいえ。何度か、バスなんかで顔を合わせたことがあるだけです。
 ただ、あなたに会う前に、月兎さんにはじめて会って、彼からアリスの友だちになってやってくれって、頼まれたところです」

「そうなんだ? それじゃあ、もう彼から、わたしたちのことは、だいたいのところ聞いてるんだ?」

「ええ、まあ。だいたいのところ、は」とぼくは、言った。

「それなら話が早いわ。わたしはね、ひとにいちいちまどろっこしい説明するのって、すっごく苦手なの。
 よかったわ、手間が省けて。
 あ、わたし、マリリンっていうの。
 こう見えても、じつはストリッパーなのよ? よ・ろ・し・く」

 マリリンはぼくの腕に胸を押しつけて、また股間をぎゅっと掴んだ。
 彼女は、胸元が深く切り取られた淡いピンクのセーターを着ていて、その隙間からぼくの腕に押し上げられた彼女の胸の谷間がちらりと見えた。
 キュートな顔に不釣り合いなその豊かな膨らみの上には、何かの模様が描かれていた。
 それは、十字架の刺青だった。

「お待たせしました」

 バーテンダーが、きゅうりの輪切りのイラストがデザインされたコースターをぼくらの前に並べて、その上にそれぞれ注文されたカクテルを置いた。
 マリリンは細くて長い指の間に、Y字の華奢なグラスを挟んだ。
 そして、細いすらっとした左足を高くあげてから、その足を右足の上に組んだ。とてもカタチのいい足だ。
 ぼくの方のグラスは、縁にダイヤカットのオレンジがさしてあったけれど、まったく平凡なカタチのグラスだ。

「それじゃあ、ふたりの巡り逢いに、あらためて乾杯しましょう?」

 マリリンはグラスを持った右腕を、顔の辺りにかざした。
 すると、彼女は、彼女自身に起こっている異変に気づき、その乾杯は保留されてしまった。

「え? 何? この臭い? イヤだ、わたしの手から臭ってくるじゃない。何でこんなにすっぱいの?」

「ああ、そういえば、さっき月兎さんと回転寿司を食べにいったんだけど、彼はお箸を使わずに、全部手で食べていたよ?」とぼくは、言った。

「何考えてんのよ、あいつ。
 はっ、まさか――」

 マリリンはたすき掛けしている小さなポーチから、がさごそとあわてて手鏡を取り出した。

「何なのよ、この顔は!」

 マリリンは、店中に響き渡るようなきいきい声をあげた。

「お化粧も全部取れちゃって、めちゃくちゃじゃないの!
 いままでわたしは、こんなみっともない顔でバスに乗ったり、通りを歩いたりしていたわけ?
 恥ずかしいったりゃありゃしない!
 だいたいこのヘアスタイル、なんとかならないのかしら。ぜんぜんセクシーじゃないし、もうサイテー」

 ひとしきり騒ぎたてると、マリリンはものすごい勢いでトイレへ駆け込んでしまった。
 ぼくはただ、唖然としていた。
 アリスのあのおかっぱ頭は、アリス以外のほかの住人にはとても不評みたいだ。

To be continued.