年女終了
みなさま、今年もおせわになりました!
今日で仕事納めです。
今年は初めましての方とたくさんご縁をいただきまして、広がりを感じました。このご縁が来年さらにどのように広がっていくか、今から楽しみです。
中には切れたご縁もあるのですが、それはそれで完璧でした。
ちっちゃなエゴの欲望に永遠に振り回されるひと、正論を振りかざすことで自分の矛盾から目を逸らし続けるひと、そういう人を目にして、ああ、わたしが作る幻想、わたしが見てる世界ってくだらないなあ、この夢から覚めて本質に還ろうという気づきをいただく年にもなりました。
それにしてもまぢで蛇のようにしつこかった、笑!
地上的な力への欲望、物質(身体)への執着を、他人を鏡にして見せてもらった感じです。ヘビはヘビで必要な力ですが、濃すぎるとうへぇっとなる。もうちょっとさわやかに生きたいです。
愛でないことは真実ではない。それを創造とは呼ばない。足りない、苦しい、悲しいことは幻想です。幻想って比喩ではなく、文字通り幻想。実態がないこと。これを本気で受け入れますか?と問われたような一年。
来年3月には変容の星、冥王星が水瓶座に移り、本格的な風の時代に入ると言われています。
そのための準備が、一人一人に最適なかたちで訪れた1年だったようにおもいます。大切にしたいものはみんなちがいます。わたしは「うへぇっ」となったけど、蛇を大切にしたってもちろんいい。
わたしにとって大切なのはエネルギーの純粋さです。透明さ、といってもいい。愛といってもいい。霊といってもいいです。わたしは愛とは何かをわかっていなかった。
以前もご紹介したけれど、精神性(スピリチュアリティ)のエネルギーをわたしが感じる動画を、今年最後に貼っておきます
●マーシャルが語る精神性(スピリチュアリティ)について
- 語りに、プレゼンスを感じられます
「そして、そのエネルギーが世界を作り出すんだ」
●ニーナ・シモン
- たましいが震える
歌詞はこちら
●観るたびにボロ泣きする映画
『愛と追憶の日々』
- デブラ・ウィンガーが演じる母、愛しかない
(シャーリーもいい味出してます)
<映画>愛と追憶の日々
今年マーシャルの語りを聞いて、わたしが精神性(スピリチュアリティ)を感じた実体験ってなんだろう?と考えました。
わたしは思春期の頃に、母親と理由も覚えてないくらいくだらないことで大喧嘩をしまして。
一度だけ取っ組み合いになって、「産んでくれなんて頼んだ覚えはない、生まれてなんてきたくなかった」というドラマの台詞のようなひどい言葉を投げかけたことがあります。
(わたしはスターシードなので、地上的な波動の重さに慣れなくて厭世観がすごかったんです。まあ、今度こそ失敗はしないと、この宇宙的なフェスティバルに参加することを望んで生まれてきたんだけどね。その頃は分かってないから。。。)
そうしたら「もうご飯つくらない」宣言をされまして。わたしも生意気なもんで、じゃあお金をよこせ(口わるい…)、親には子が大人になるまで扶養義務があるとか言って、実際5千円だか1万円だかをその時もらいました。
で、スーパーにご飯買いに行く気まんまんだったんですよ。全然わたし、生きていけるし、みたいな。
でもその夜もご飯、つくってくれたんです。一食も抜かすことなく。
こっちはむちゃくちゃアドレナリン出てるし臨戦態勢だからびっくりしたの。なんで?って。それからじわじわとハートに温かさが広がっていって。ご飯の力、すごい(ちがう)。
このときの蟹座(母)と射手座(私)の合戦は、蟹に軍配が上がりました。がんばれケンタウロス。
あのときわたしの心が感じた温かいものが、この世界を創っているエネルギーなのでしょう。学生の時のひとりよがりな大恋愛で感じたものとは全然ちがうものでした、愛は。
いま書いていても泣けてくる。愛だけが溶かしてくれる。
犠牲(葛藤)と愛を結びつける必要はないのだけど、わたしは犠牲がある方が愛を感じやすいんだなと自覚しています。取引ではない無償の愛って、そのほうがわかりやすいから。
けれど、その犠牲ももういらない。そしてよくよく観察すれば、日常に愛は、奇跡は溢れているんだとおもう。ただ見ていないだけで。蛇のような欲望のエネルギーの方が主張がつよいから。
「あなた方は愛が何かを知らない」
『奇跡講座』のイエスの言葉です。
来年は、犠牲なくただただ愛を感じて広げていくトレーニングをしたいです。
タロット講座を受講するしないに関わらず(きて欲しいけど、笑。タロットの世界観を分かち合いたい♡)、エッセンシャル・ジャーニーを共に歩む旅友を増やしていきたい。
風の時代だ。
皆さんとつながれて、支えられた1年でした。ありがとう。
よいお年をお迎えください。
そして来年もどうぞよろしくお願いいたします。
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