タイトルの
ないものはない(なくてもよい・大事なものはすべてここにある)
は、海士町という離島で掲げられている言葉だそうです。
いい言葉ですね。
わたしたちは、ないものに目を向けるような言葉づかいや思考が、癖になっているようにおもいます。
このことが書いてる本”「わかりあえない」を超える”の中で、理由は単純ではないけれど、そのルーツははるか昔から神話とともに始まった、と著者のマーシャルは言います。
その神話は、人間を基本的に邪悪で身勝手な存在とみなし、悪の勢力を粉砕する英雄的な勢力のあり方が善い生き方である、とみなしています。わたしたちは長い間、そうした破壊的な神話のもとで生きてきたのです。その物語に不可欠なのが、人間から人間性を奪い、モノとして扱ってしまう言語なのです。
わたしたちは、他者を道徳的な判断・決めつけで捉えるように教育を受けています。意識の中に、「正しい」「間違っている」「よい」「悪い」「利己的」「利他的」「テロリスト」「正義の味方」という言葉が染みついているのです。しかもそうした決めつけは、自分が何に「値するか」という正義の概念とつながっています。悪いことをした人は罰を受けるのに値する、よいことをした人は報酬を得るのに値する、という具合に。
残念ながら、あまりにも長い間、わたしたちはこうした意識のもとに、つまり不完全な教育の支配下に置かれてきました。それが、この星に蔓延する暴力の核心だとわたしは考えています。
「ない」に意識を向けること、しょっちゅうです。わたしは自分でパートナーシップに課題があることを認識しています。手に入るかもとおもうその時、手のひらからすり抜けてゆく。こんなわたしではダメなんだ、変わらなくては、と自分を責めそうになる。いや、昔から責めていた。手に入らないのはわたしが悪いことをしたからだ、他の人はよいことをしたから報酬を得たのだ、と。
罰と報酬のシステムの外に出る。リベンジをやめる。
ないものはない(なくてもよい・大事なものはすべてここにある)
から始めたいです。
ダメなわたしを変えなくちゃという動機で行動することをやめて、一旦立ち止まる。なくてもいい。大事なものはすべてここにある。いまのわたしをありのまま受け止める。抱きしめる。そこから、出発する。
わたしが提供する場も、このようでありたいと願っています。変わりたかったらどんどん変わっていい。だけどその原因が、今のままではダメだから変わるのではなく、今のままの自分を、他者を受容したまなざしでプロセスを共有したいです。
ちなみに下線部、”決めつけは、自分が何に「値するか」という正義の概念とつながっています。” の箇所は、そのままタロットの正義(8)のカードです。自分に値すると深層意識で認識しているものを与えるのが、正義です。愛されないわたし、ダメなわたしが自分に値するとおもっていれば、そういう現象を目にします。けれどこれ、実は単なる(セルフ)イメージです。イメージ(18月)は幻想なので変えることができます。けれど実際にやってみると、なかなか手ごわいことも確かです。
わたしたちが太陽系の惑星意識とともに意識を広げていくプロセスには、マインドセット、つまり”自分が自分をどのように見ているのか”というセルフイメージの認識を見直すところから始まります。
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