現存資料からタロットの歴史を知ろうとする試みは、アプローチの仕方としてはとても真っ当で王道だ。荒唐無稽なでっち上げに対する抑止力としても大きな意義があるとおもう。けれど、史実(と言われているもの)だけに囚われていると、視野が狭められ見えなくなるものもがあるのも本当だとおもう。『我妻鏡』に”嘘”が書かれていないとどうして言えようか?

 

 

現存、わたしたちがアクセスできる情報は、その時代時代で、隠されたり改竄されている可能性は大いにある。発見されていないものだってあるだろう。文書に残せなかった可能性だってある。天動説に異を唱えることができなかった時代、地動説については記録するどころか、語ることさえ許されない時代だってあった。宗教弾圧により、どれだけの書物が禁書となったのか私には想像もつかない。

 


そういうことを考えると、どんなに研究熱心に世界中の情報を集めて解釈してみたとしても、これが「事実・真実です」と言い切ることは、わたしは不誠実だとおもうのだ。

 

 

総合的判断で事実と見ることが妥当ということはあるかもしれない。そうだとしても、「現時点で私の知る限りでは」「もしかしたら違っているかもしれないが」などの枕詞が必要じゃないだろうか。あくまで『説』の一つに過ぎないのだから。

 

 

鎌倉幕府成立が今の歴史の教科書では1192年でない、という事実よ。ケネディ大統領暗殺に関する機密情報は、未だ一部公開のみで全ては明かされてはいない(国家安全保障上の理由を名目に公開が見送られている)。22世紀に残される公的な文書にコロナやワクチンはどのように書かれるのだろうねえ。謙虚さを持ちたい。

 

 

エジプトのムセイオン、アレクサンドリア図書館の蔵書が、カエサルにより焼き払われずに残っていたとしたら。今ある定説がひっくり返る可能性だってあるだろう。

 

 

タロットの起源を「これが事実です、真実です」と言い切る人の考えも、「それも一つの説ですよね!」くらいに受け止めて、いつか自分の中の真実を見つけるまで答えを保留にしてみてはとおもいます。



少なくともマルセイユ版の作者はわかっておらず、起源も意図も未だ不明。現存する最古のタロットがアップデートされる日だっていつか来るかもしれないしね、とわたしはおもっております。

 


 

 

 

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