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なんでもないようなことが〜
幸せだったとおも〜う〜

と、メロディが浮かぶくらい
カフェの時間が大切だったことを
おもいだしました。

このカップほしい、かわいいぞ。

 

 

 

 

さて、

 

なにかを手に入れれば

しあわせになれる

 

と、あなたがおもうなら

それは逆かもよ。

 

 

 

不幸のたねを手放すことで

しあわせに気づけるようになる。

 

気づける、という言葉を

つかったのは

それがわたしたちの

デフォルト状態だからだ。

 

 

 

しあわせであることは

勝ち取る権利ではなくて、

もともと備わっている性質です。

 

 

 

不幸のたねから出た雑草を

ぽいぽいっと抜くことで

本来の状態に戻ってゆきます。

 

 

 

たまに根が深いものもあってね。

それを抜くと「変容」が起こります。

 

 

 

そして大地は

隣(人)、また隣(人)と

すべてつながっています。

 

 

 

抜くことをさぼっていると

そのうち不幸のたねから花が咲く。

隣の敷地にも飛んでゆく。


 

 

それがまた

色鮮やかで目を引くんだ。

 

 

 

きれいならいいじゃん!

っておもう?

 

 

 

あまりに増え過ぎると

同じ空間にいるだけで

悲しみや恐れ、不安の

つぶつぶが漂ってくるよ。

気をつけないと中毒になりやすいんだ。

 

それに見た目に

惑わされることもあるね。

快楽という苦痛。


好きで楽しんでる分にはいいんだよ。

刺激ってまったくないとつまんないから。

 

 

 

でも自分で雑草を抜くのを

めんどくさいからと止めておいて

不幸の花を咲かせ続けたのなら

被害者ぶるのはやめるときです。




まあ教わってこなかったからね。

仕方ない部分もあるのだ。

だから自分を責める必要はなくて。




でももう知っちゃったね。

ふふふふふ。




庭はじぶんの好きなようにつくれる。

咲かせたい花を咲かせられる。




じぶんの庭がきれいだと

お隣の庭のヘルプもできるようになるね。

じぶんの庭が荒れているのなら

他人の庭のことやってる場合じゃないよ。




宇宙の大きなうねりが起きている。

その流れを利用するならば。

 


 

自分にとっての

真実を反映していない雑草は

8・9月頃までに抜いておくといいです。


大きな手放しのサポートは

このあたりまで、と言われています。

(その後はサポートの力は

弱まるけれど、自力で抜くことは可能)




いまは目に見える形で世界が

生まれかわろうとしています。

お産はまだまだつづきます。


 

 

庭を荒れ放題にしていたひとは

ちょっと大変な作業かもしれませんが

ここでがんばっておきましょう。

 

 

 

そして年末・冬至までに

引き続き雑草のお手入れはしながら

これから自分が望むライフスタイルを

明確にして、無意識の土壌に

咲かせたい花のたねを蒔いておきます。

(ビジョン)

 

 

 

それから2〜3年かけて

ゆっくりと成長(実現)してゆく

イメージでいるといいとおもいます。

 

 

 

大事なのは「土」です。

完璧にできなくてOK。

ゼロにすることは無理だし、

それは必要ないです。




これを一言でいえば、

無自覚に痛み(快楽)につき動かされて

行動することをやめよう、

ということになるのかな。


 

 

その間にも

世界ではいろんなことが

起こるとおもいます。

 

 

 

でも大丈夫おすましペガサス

心配することが好きな人以外は

どっしりしていましょう。

しあわせは、デフォルトです。

 

 

 

その状態にわたしたちはいま

地球ごと戻ろうとしています。