A Course in Miracles
奇跡のコース(奇跡講座)
奇跡のコースとは、わたしたちの本質が神性(愛)、一なる心の状態であることをイエスが語る、という形で、コロンビア大学付属医療センターの心理学者であったヘレン・シャックマンとウィリアム・セットフォードによって7年の歳月をかけて文章化されたテキストです。
このテキストはかなりの部分が無韻詩、弱強五歩格の詩の形(弱強のリズムが五回繰り返されて一行を成す英詩の形式:シェークスピアが好んで用いた文体としてよく知られている)で書かれており、それが独特の世界観を編み出しています。
イエスが語るためキリスト教用語が多くつかわれていますが、宗教や新しい教派ではなく、心理学と霊性が融合されたひとつの思考体系を提示しています。各自が内なる教師を見つけ、その本質へと還るための原理を実践していくためのものです。その性質から、著者や関係者が権威的な組織を持つことはありませんでした。
影は、実態を持ちません。
わたしたちは自分の影を踏まれたり、けなされたところで、痛くもかゆくもありません。実体にはなんの影響もないからです。
「あなたの影は変わっている」
「影は丸くなければならない」
「こんなところに影がいるべきではない」
「どの影と仲良くすべきか」
そんな考えは意味を持ちません。
ところが自分を影だと思っていると(影への一体化・依存症)、ちがう意味を帯びてきます。
「変わってるんだ、何がいけないんだろう」
「いびつな形の自分はおかしいんだ」
「自分の正しい居場所はどこなんだろう、探さなくては」
「ソウルメイトはどこにいるのだろう」
わたしたちはこの影の部分、こころが投影された世界を現実だと思い込んでいる、というのがコースの考え方です。
影をつくるためには、そのシルエットをつくりだす”元”が必要になります。わたしたちが作り出す思考・イメージ・感情・欲求・信念がその元です。つまり自我です。
本来、影は踏まれても痛いはずがありません。
しかしわたしたちは、影を踏まれると痛い、悲しい、怖いという自我の信念を作り出し、それをリアルに感じるための知覚を生み出し、それこそが実体だとつよく信じるようになりました。
元となる自我がないとどうなるか、影は存在できません。というか、影は元々実在はしていません。スクリーンに投影されたつくりもの、夢の物語です。
実在するのは、ただ光のみ。
そしてそれこそがわたしたちの本質だと、イエスは述べています。
実在するものは脅かされない。
実在しないものは存在しない。
ここに神の平安がある。
奇跡のコースは、このように始まります。
参考文献:奇跡講座入門 講話とQ&A 中央アート出版社