昨日は月と冥王星が重なる山羊座の満月でしたね。
きょうは山羊座っぽく『権威』とタロットカードの関係についてです。
『権威』をタロットであらわすと「5教皇」のカードでしょうか。
そして「15悪魔」にも山羊の角があります。
CBD Tarot de Marseille by Dr. Yoav Ben-Dov, www.cbdtarot.com
『権威』(スーパー大辞林より)
① 他を支配し服従させる力。
② ある方面でぬきんでてすぐれていると一般に認められていること。またそのような人。
タロット講座のとき、教皇のカードを苦手とおっしゃる方はまあまあいます。偉そう、言うことを聞かなくてはと思う、堅苦しい感じがするという理由が多いです。①の意味で捉えるとそうなりますね。
でも教皇のカードの本質は、左手に持つ3重の十字を媒介に、天からは神の声を降ろして伝え、地上からは人々の祈りを上へ届けるメッセンジャーのような役割です。②の意味にちかいかも。でもこのメッセージ、天の届け先をどこにするかで意味が変わってきます。
教皇が届ける祈りのつながる先がこの「悪魔(恐れ・虚構・時空間)」であれば、支配や命令、思い通りにことを運ぼうと要求し、コントロールする(される)世界へ自身の願望を捧げていることになります。一言でいうとエゴの世界。
悪魔は、闇と偽の光の二元性、恐れや嘘・快楽でなりたつ虚無の世界です。
悪魔にお願いした願望は叶うこともあるし、叶わないこともあります。気まぐれです。どれだけよいことが起こったようにみえても、光と同じだけ闇を抱えているのでいつか叩き落とされます。わたしたちはどこかでそのことを知っているので、願いが叶ったとしても恐れが消えることはありません。
教皇が届ける祈りのつながる先が、教皇と同じ”祈り”をキーワードに持つ「審判(愛・スピリット・永遠)」のカードであればどうでしょうか。
ここでは願望は純粋な祈りに変換されます。純粋な、ということは、要求も命令もコントロールも手放さなければなりません。無条件の愛。
「病気が治ってほしい」「お金が必要」「仲直りしたい」といった具体的な現象レベルでの願いを要求することを放棄する。(願いを放棄することではなく、要求を放棄する)
形(具体的なもの、人、場所、状況、時間)を手放さないといけないんですね。形を手放してもそこに愛がある、すべて与えられているということを経験するために。無条件に愛されているという経験です。
と書くと失う恐れがでてくるかもしれませんが、形はそのまま願った通りに叶うこともあれば、叶わないこともあります。それは悪魔と一緒。そして叶わなかったとしても、悪魔のときのような不安や恐れは残っておらず、別のかたちで叶えられていることに気づくはずです。
月と冥王星が重なる山羊座の満月
わたしたちはあらためて
自分の『権威』をどこに置くのかを
問われているのかも。
悪魔? それとも 審判?
コントロールを手放すことはこわいね。
すべてを失う気がして。
みている景色が変わっていく大きな変化の途上に、わたしたちはいまいるのかもしれません。