自分の中に何かがあるのは知っていたの。
何かまだつかってない道具のようなもの。
それを仕舞ってある暗い倉庫から見つけ出してあげなければならない、という焦りのようなものがあった。
私がシンボリックメソッドを習いはじめたのは2011年4月。
マルセイユタロットを習ったのも同じ月から。
その頃、自分が喜ぶことが何なのかわからないという状態まで落ち込んでいた。(でもよく考えると当時も嫌いは割とはっきりしていたと思う)
何かまだつかってない道具のようなもの。
それを仕舞ってある暗い倉庫から見つけ出してあげなければならない、という焦りのようなものがあった。
私がシンボリックメソッドを習いはじめたのは2011年4月。
マルセイユタロットを習ったのも同じ月から。
その頃、自分が喜ぶことが何なのかわからないという状態まで落ち込んでいた。(でもよく考えると当時も嫌いは割とはっきりしていたと思う)
ただ向かう先が欲しかったんだ。
どこへ行けばいいのか知りたかった。
どこへ向かっているのか分からない自分が不安でたまらなかった。
こっちじゃない気がするってことだけは分かっていたけれど、それはわたしが大きな集合意識の波に流されてしまっていたから。
聖なるものにゆだねたのではなく、人間の集合意識に(世間と言ってもいいかもしれない)漂流してしまっていた。
生き方がわからない。
夢なんかない、という人に夢は確かにない。でも人生はある。
私にはやりたいことも、なりたいものもなかった。
あきらめが強かったのだと思う。
頑張ってもどうせだめかもしれない。
1つ1つの欲求をやる前からだめな可能性にかけていた。
でも、
自分の中に何かがあるのは知っていたの。
何かまだつかってない道具のようなもの。
何かまだつかってない道具のようなもの。
仕事に関しては、一番悩んだと思う。
会社員という枠から出ることがとてもこわかった。
そこが一番安全だからと親に何度も言われてきたから。
私の居場所でないことは分かっていたのに。
だって全然楽しくなかった。
だって全然楽しくなかった。
仕事があるだけでもありがたいことなんだよと思い込もうとしたこともあるけど、ごはんを食べるためだけに、お金のためだけに生きてるんじゃないよというところに行きつく。
ごまかせなかったです、自分は。
ごまかせなかったです、自分は。
人生をどう送るかの責任と自由は、親でも先生でも政治家でも社会でもなく本人にある。
そう教えてくれたのが、シンボリックとマルセイユタロットでした。
当時、強力に後押ししてくれる何かが必要だった、動くために。
当時の先生方にはメソッド以上のものをいただきました。
誰から習うかは大事だなと思います。
そのままでもいい。
でも嫌だ・飽きたと思ったらいつでも変えられることを知っていてほしいなと思います。
魂は無限の世界に住むが、このからだは有限。
からだで感じるために生まれてきた。
チクタクチクタク。
いつからだって、はじめられるよ。