生まれたときは裸だった。

それから、いろんな服を着る。

はじめは自分で選ぶのではないね。

親が選んだものだったり、周りの人からプレゼントされたものだったり。


少し経って、自分で選ぶようになるかもしれない。

果たしてそれは本当に自分の着たいものだろうか。

流行に左右されてはいないかい?

安さに、または高価なことに影響を受けていない?

「あなたにはそれが似合うから」と、ときめかない服を選んでいない?

買ってくれる人、恋人の趣味に合わせてはない?



服は象徴として、価値観や役割と捉えてもいいと思う。



恋人の趣味に合わせたいという意図のもとに選ぶのと、合わせないと嫌われるかもしれないという思いで選ぶのでは、違う。自由さが違う。前者はいつでも脱ぐことができるが、後者は簡単には脱ぐことができない。



知らない間に着込んで厚着していた、好きでもない服を脱ぐ。

開放的になる。

タロットで言うと、愚者だろうか。




CBD Tarot de Marseille by Dr. Yoav Ben-Dov, www.cbdtarot.com




でもこれで自由が完成した訳ではないと思う。

裸のままで暮らし続けることはできない。

ずっと裸でしかいられないのは、この世界ではかえって不自由だろう。




好きなときに好きな服を着れるようになること。

これが大切だと思う。




華やかな場所ではパーティードレスに。

花火大会では浴衣に。

運動をするときは、動きやすい服とスニーカーで。

泳ぐときは水着に。

赤い服を着たいときもあれば、青い服を着たいときもある。



自由は、裸になることが出来て且つ好きな服を着ることができるようになることだと思う。



人生はひとつの舞台なのだから、好きに演出できる自由さがあるといい。



大アルカナの残り21枚のカードは、テイストの違う洋服のようなもの。

21の世界は、オートクチュール。創造の扉。





ここを目指している。


いつだって脱ぐことができるんだから、服を選ぶことをためらわなくていい。着心地が悪かったら、チェンジすればいいのだから。


裸になることはそのスタートでしかないね 
キラキラ





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