フィギアの羽生選手の件、
止めるべきだったかどうかで議論されていますね。

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わたしもそこに喰いつくという。



主催側(?)には今回の件を契機に、他のスポーツや医療の専門家を招いて、怪我をした場合のガイドラインをきちんと制定してほしいなと思います。



ただ、中国GPの時点ではそれがなかった。


ここで、フィギアでももっと早くに制定していれば…というのは、不毛な意見です。

人の営みは作ってはアップデートし、はたまた破壊し、また一から作るという流れの中でしか改善されないからです。

そしてそれが出来るのは過去ではなく、今だから。




アクシデントが起こっとき、判断は選手・コーチなどチームに委ねられていました。ここで最優先されるべきは、選手本人の意思だろうと私は考えます。


・アドレナリンが出ていて普通の状態ではない
・強い責任感(スポンサー・ファンなどへの)
・安上がりのスポ根感情



外部にいる私たちには、それらは推測でしかありません。

当たっているかもしれないし、当たってないのかもしれない。

その推測は多分に各人の死生観が影響されています。





私個人の推測は、

本当に青文字の状態で羽生選手本人が我を失い、正常な判断ができない暴走状態であったらなら、周りのコーチは何がなんでも止めていただろうということ。(分かるからね、そういうの)


でも今回本人の意思によって出場したのは、羽生選手がそういったところを超えた部分から出場したい(それが何なのかはわからないけど)というエネルギーが伝わって、それを止めることは誰もできなかった(何がなんでも止めるという気にならなかった)のではないか、ということ。


羽生選手自体はあの時、死の恐怖を感じてはいなかったと思うけど(これも推測)、と同時に命をかけてスケートをする・いつ死んでも悔いのない状態でスケートをしているのだろうなとも感じました。

最悪スケートのリンクで再度倒れて立ち上がれなくなったとしてもです。



そして、怪我をしているのに強行出場するなんて、(選手)生命の無駄遣いはするな、という意見も理解できます。



正しい判断というのは存在せず、
わたしは今回は本人の意思が尊重されてよかったと思っています。



(これからのルール化・ガイドライン作りは絶対にやってほしいけど)





大きな議論になるのは、
この問題が各人がもつ無意識の死の恐怖を喚起させ揺さぶるからです。

死生観は、人生哲学とも関係してきます。




Twitterで占星術家のいけだ笑みさんが、
(羽生選手は太陽射手座、月みずがめ座らしい)



と、つぶやいていて、射手座のわたしはなんだか納得したのでした。

この見解があっているかどうか、はここでの議論ではないです。




人によって、考え方・捉え方は違うということ。


それぞれが思いを吐き出して、否定ではなく理解しようとし、その上で理解できなくてもそれも別に問題ではなくて、お互いの思いを伝えることの方が大切だということ。


違和感を感じる意見に、勝つ必要はないのです。







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