わたしが生まれる前の映画
『ホーリーマウンテン』
を見てきました。
『リアリティのダンス』
とは、醸し出す雰囲気が違う。
その違いは、監督のこのチラシに
書かれていることがすぱっと
表しています。
『ホーリーマウンテン』を監督していたときは、
私の人生は私のものだと思い、私自身のことを語ろうと思っていた。
だが、今は違う、私の人生は他人のためにあり、私以外のことを語ろうと思って作ったのが『リアリティのダンス』だ。
ちなみに、リアリティのダンスは自伝を元にしています。
自伝なのに、そこで語られているのは、「私」ではなく「私以外」。
チリへ捨ててきた、家族でもあり、他者について。
ホドロフスキー自身が作ったマルセイユタロットの大アルカナには、人間が辿る魂の霊的な成長段階が描かれています。
私の人生は私のものだ、という経験を為尽くしてからでなければ、私の人生は他人のためにある、とは言えないものなんだろうと思います。
「私のために生きる」という自我を捨て去るために、『DUNE』の製作頓挫は大きく関係しているはず(推測)
現象的には失敗かもしれないけど、魂的にはOKな出来事だったのかもしれません。
その境地に行くまでには大変な思いもしたでしょうし、今でも自我のかすかな痛みはあるのかもしれませんが。
自分のために作る映画と他者のために作る映画、
この違いを感じてみたい方は、古いものも見てみると面白いと思います。
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