彼女は生きていた - 第13話 -
私は、これからの入院に備えるため家に帰った。
ドアを開けると、主のことを察したかのような、
暗い玄関が待っていた。
私は照明をつけずに、寝室に向かった。
そして部屋に入るなり、ベッドに倒れこんだ。
今は何も考えたくなかった。
絵美のこと。
これからの生活のこと。
昨日いっぱい考えたが、答えはなかったから。
彼女は生きていた - 第12話 -
「石川さん、おはようございます。」
背後から、昨日の医者の声が聞こえた。
昨日の緑の手術着と違って今日は白衣だった。
私は、振り返り彼の顔を見ると、
昨日から胸につかえている事を聞いた。
「人間、目覚めないってことがあるんですか。」
彼は少し間を取って、話し始めた。
「人間の脳って脆いんですよ。少し傷ついただけでも、
その部分の機能が失われるんです。ですが、一度傷ついた
脳は今の医療技術では、治せないんです。
今回絵美さんの脳が傷ついたところは、経験則上、
永い眠りについてしまうんです。」
「では、絵美は永遠に眠ったままなんですか」
「はっきり言って、分かりません。脳は複雑で、
まだまだ研究段階なのです。
1週間で目覚める方もいれば、私の知る限り、
17年後に目覚めたという方もいます。」
17年という気の遠くなる数字に、私は改めて自分の
置かれている状況を知った。
彼女は生きていた - 第11話 -
朝、私は病院のロビーの椅子に座っていた。
寝たのか寝ていないのか自分でも分からない
でも私の気持ちと、まったく関係なしに、
病院内は昨晩と打って変わって忙しく動いていた。
私は、受付で絵美との面会を申し 出ると、ボランティアの女性が
ICUまで案内してくれた。
女性はとてもやさしく接してくれたが、私は一言もしゃべる気にはなれなかった。
この女性には、大変失礼な態度をとったと思う。
ICUの前まで来ると、看護婦が絵美のところまで案内してくれた。
私は、軽く会釈をして案内してくれた女性を見送った。
絵美は、静かに寝ていた。
すこし、顔色が薄いのを除いて、家で寝ているのと変わりなかった。
骨折をしていると聞いていたが、掛け布団で見えなかった。
布団の下から出ているコードが絵美を囲む機械に
伸びていて、機械の液晶に映し出される波模様が、
絵美が生きている証明であった。
彼女は生きていた - 第10話 -
「横断歩道で信号を待っていた絵美さんに、
車が突っ込んできたようです。
絵美さんは、足と腕を骨折をしておりましたが、
これは、先ほどの手術で処置をしてあります。
幸いにも内臓の方には損傷は、ありませんでした。」
「では、絵美は無事なんですね。」
命に別状はないと考え、安心した私は、念を入れた。
「心拍数は安定してい ます。骨折も1ヶ月ほどで直るでしょう。
ですが、1つお伝えしなければならないことがあります。
「なんでしょう。」
完全に安心しきった私は、軽い気持ちで聞き返した。
「まだ、ハッキリとは言えないのですが、
絵美さんは2度と目覚めないかもしれません。」
「え、」
「絵美さんは事故のとき強く頭を打っていて、
脳にわずかなんですが、損傷を受けていていました。」
頭が真っ白になって、冷たい汗が流れてきたのを感じた。
医者は私の顔色を見たのか、
「お疲れのようなので、話の続きは明日にでもしましょう。」
と言って、部屋から出て行った。
彼女は生きていた - 第9話 -
夜の病院は不気味だった。
夜間専用の出入り口から入り、緊急外来で受付をした私は、
看護婦に手術室の前まで案内された。
この中で絵美は戦っているのだと考えると、なにも助けてやれない
自分がとても悔しかった。
何時間がたっただろうか。ただずっと壁にかけられた時計の刻む音が、
乾ききった病院の廊下の空気に響いている。
突然、私の目の前のドア がゆっくりと開いた。
中から出てきたのは、30代半ばぐらいの医者だった。
手術着を着ていたので、この人が執刀してくれたのだろう。
「石川さんですか?」
「はいそうです。絵美は、」
「石川さん、落ち着いてください。詳しい結果をお知らせしますので、
こちらにどうぞ」と手術室に併設された小さな部屋に案内された。
案内された部屋はテーブルを挟んで椅子が4脚と、
テーブルの上にパソコンが置かれただけのこじんまりとした
部屋だった。
そして席に着くと医者は慣れた口調で話し始めた。
彼女は生きていた - 第8話 -
私は、携帯が震えていることに気が付いた。
液晶には「絵美」と表示されている。
「お~い、絵美遅刻だよ~」
少しからかった声で電話に出た。
「もしもし、東都病院です。」
私の声と被って、うまく聞き取れなかった。
ただ、絵美の声でないことには気付いた。
「どなたですか」
「東都病院、緊急外来の海野です。」
「え、どういうことですか?」
「落ち着いて聞いてください。石川絵美さんは、事故に合い、
現在手術中です。こちらで、こちらで運転免許からお名前を
確認させていただいたのですが、ご家族の連絡先が分からないため、
携帯電話に履歴のあったあなたに、おかけしました。」
「絵美は、あの・・・その、様態は・・・」
焦って呼吸と言葉が混じり、言葉がうまく出ない。
「石川さんは、現在意識不明で危険な状態です。
失礼ですが、あなたと絵美さんの関係は?」
「夫です。石川一成といいます。すぐそちらに向かいます。」
そう言って、レストランを飛び出た。
おそらく、急に席から走り出した私に、周りの客や店員は驚いただろうが、
私は周りが一切見えなかった。
私は、ただひたすら走った。
東都タワーから病院まで走って10分ほど。
高校の体育祭以来の全力疾走だった。
彼女は生きていた - 第7話 -
「あの~、このチョコレートケーキ頼んでいいですか?」
「は?」
あまりにも、予想外の言葉に驚いて、言葉が出なかった。
「だ~か~ら~、この『店長オススメチョコレートケーキ』を、
注文してもいいですか」
「はあ」
(なんなんだ、この女は。さっきまで泣いていたのではないのか。)
「すいませーん、店員さん。チョコレートケーキください!」
あきれる私を横目に、彼女はおいしそうにケーキを食べている。
「やっぱ失恋には、甘いものだよね~。で、あんた誰?」
「いや、君が土砂降りの中、泣いていたから、ここに
つれてきたんだけど・・・」
「あ~あ~、そうだったね。」
(あ~あ~、そうだったね?)
それから、彼女の愚痴を延々と2時間も聞かされた。
「今日はありがとう。」
急に彼女が言ったので、少しびっくりした。
「話を聞いてもらって、すっきりした。」
そうして、彼女は帰っていった。
これが、彼女との始めての出会いだった。
彼女は生きていた - 第6話 -
絵美と初めて出会ったのは、ドシャ降りの雨の日だった。
会社からの帰り、雨が急に降りだしたため、
駅で雨宿りをしていた私の目に映ったのが、傘をささないで、
駅前にある噴水の近くのベンチに座ったままの、ずぶ濡れの彼女だった。
しばらくはその場で彼女を見ていたのだが、気になった私は、
彼女の元へ向かった。
彼女は、私が近づいてきたのを気付いたようで、うつむいていた顔を
一度上げたが、気にそぐわなかったのだろう、すぐに下に顔を向けた。
私は、ちらっとだけ見せた彼女の顔に、雨にぬれていても、
涙が流れているのが分かった。
心配した私は彼女を説得して、彼女と近くのコーヒーショップに入り、
店員にホットコーヒーを2つ頼んだ。
彼女が話し始めたのは、コーヒーを半分ほど呑み終わった頃だった。
彼女は生きていた - 第5話 -
ビルの間をすり抜ける高速の上に、流されるヘッドランプの光跡。
形を変え、色を変え、忙しく動き回るネオン。
まるで、私たち人間が生きているスピードを目で見ている感覚だった。
夜景に見入っていた私であったが、ガラスに映し出された自分の顔に
気づくと照れくさくなって、目線をテーブルに戻した。
どれほどの時間がたっただろうか。
普段から腕時計を身につけない私は、携帯で時間を見た。
「8時25分か・・・」
約束の時間は、8時だった。
まあ、彼女の遅刻は毎度のことで、おっちょこちょいの彼女の
一番の特技だった。
一応念のため、絵美の携帯にかけてみたが、十数回のコールの後、
いつものアノ声で留守電の案内を聞かされた。
電波が届いていない訳ではないようなので、会議が長引いているか、
電車の中にいるからだろうと、勝手に理由を考え始めた。
この理由探しは、毎度遅刻で待たされる時間をつぶすために始めた、
私のマイブームである。結構、推理をしているみたいでおもしろい。
そして、彼女が来ると、彼女が遅れた理由と私が考えた理由を、
答え合わせする。
実は、私が彼女の遅刻に対して強く言えないのには理由があって、
彼女との出会いが、彼女の遅刻癖によるものだったからである。
