ニューヨークの生活と私 ニューヨークの生活と私

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寒かったけど自由の女神(Statue of Liberty)を見たかったので、Battery Park 「バッテリーパーク」に行きました。ここからフェリーに乗れば自由の女神の所までいけるんですが、この日はちょっと寒かったので。。。。^^;;
このフェリーは有料なんですが、無料で自由の女神を近くで見る方があります。それは Staten Island Ferryを乗れば良いです。Staten島に通勤する市民のために無料で運行しているんです。だから自由の女神像が立つリバティ島には行かないんです。 ^^

春になって暖かくなれば島に直接行って見るつもりです。

<バッテリーパーク>

バッテリーパークはマンハッタンの南側の庭園です。以前、港を守る大砲基地で名前を取ったこちらはニューヨークで海を見るのに一番良い場所と言われてます。

公園内には 19世紀初に建てられたクリントン城と 26個の大砲がいまだに残っていて、1524年初めてニューヨーク港を見つけたフィレンチェの探険家であるベラザノの銅像もあります。こちらには自由の女神像とエリス島に入って行くペリーチケットも販売しています。

行く方法 : 地下鉄サウスペリー駅やボーリンググリーン駅で降りれば良いです。

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学校がタイムズスクウェアの近い所にあるのでいつも通るんですね。。。

でも、渋谷がもっと綺麗かも。。(個人的な意見!!!^^)
とにかく、12月31日にカウントダウンする所で有名ですね。でも、2008年12月31日は行ったんですが、すぐ帰りました。人も多かったし、すごく寒かったので、、、OTL
上の写真は通る時々撮ったものです。
あ。。。BoAの写真もありましたので。。

では、タイムズスクウェアの詳しい説明はWikipediaから引用致しますので参考お願いします。

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タイムズスクウェア (ニューヨーク州)
タイムズ・スクウェア(Times Square)は、アメリカ合衆国のニューヨーク市内ミッドタウンにある繁華街・交差点の名称。マンハッタン島の42丁目と7番街、ブロードウェイの交差を中心に位置し、東西は6番街から9番街まで、南北は39丁目あたりから52丁目あたりに広がるが、厳密な境界はない。いわゆるブロードウェイ・ミュージカルが上演されている各シアターが所在するシアター・ディストリクトの中心とほぼ一致する。

タイムズスクウェアには建物外壁へのビルボードの設置が多く、世界中の企業の広告や巨大ディスプレイ、ネオンサインや電工看板が多くあり、アメリカのみならず世界の繁華街の代表的風景ともいえる。また、UKポップ・グループ、スパイス・ガールズの大ヒット曲、2Become1のプロモーション・ビデオの撮影地としても有名。世界中からの観光客が集まる場所でもあり、ここの交差点は世界の交差点と言われる。

歴史

1904年4月8日、ジョージ・マクレラン・ジュニア市長により、名称が現在のものへと変更された。当時はニューヨーク・タイムズの本社ビルが42丁目の角にあり、これを元にした名称変更であった。タイムズ紙編集者の要請により、地下鉄駅も作られた。 その後タイムズ紙本社ビルは1913年に移転したが、タイムズ・スクウェアの名称は残った。

1910年代~1920年代にかけて、劇場・音楽ホール・きらびやかなホテル等により、タイムズ・スクウェアは急速に発展を見せた。しかしその後1930年代の世界恐慌の訪れとともに、その雰囲気はガラリと変わる。いかがわしいショーや連夜のエロティック・ムービーを上演するような風俗街へと成り下がり、多くの危険地帯も生まれる。その結果、1960年代~1990年代初頭まで、タイムズ・スクウェア一帯はニューヨーク市の危険地帯を代表する場所、とまで言われるようになった。

1990年代半ば、ルドルフ・ジュリアーニ市長の指揮の下、その一帯からはポルノショップ等は姿を消し(ブルックリンやクイーンズへと移った)、安全面を向上させ、観光客に親しみやすい地域、としてタイムズ・スクウェアは生まれ変わった。

カウントダウン

1904年から毎年12月31日夜~1月1日にかけてのカウントダウンは世界的に有名で、2005年度はタイムズ・スクウェアにおけるカウントダウン100周年ということもあり、世界各地から約70万人が訪れた。2007年度はタイムズ・スクウェア・ボールが導入してから100周年であり、初めて発光ダイオード(LED)の水晶球が導入される。


交通・地理

マンハッタン島のミッドタウン、セントラルパークの南端より10ブロック程度南に所在し、マンハッタン島の東西中心からやや西によった付近に所在する。実際に住所はWest地区に属する。

ニューヨーク市地下鉄の「Times Square-42 Street」駅がほぼ直下に立地し、N・R・Q・W線(黄色)と1・2・3線(赤色)、7線(紫色)、S線(黒色)が交差する。また、A・C・E線(青色)の「42 Street-Port Authority Bus Terminal」駅(8番街42丁目交差点下)ともつながっている。全急行路線が停車する。 クイーンズやダウンタウンからアッパー・ウェストサイドへ向かう場合など、ここで乗換えとなることも多い。

地上や地下駅構内を含め、観光客を含め利用者が非常に多く、駅構内でストリート・ミュージシャンの演奏を見ることも多いなど華やかな場所であるが、混雑や構造の複雑さから乗換えなどを含め、分かりにくい面がある。繁華街一般と同様、スリなどの多発にも注意が喚起されている。また、タイムズスクウェア周辺といえども夜は繁華街から一歩出ると街灯も非常に暗い路地がある。

タイムズスクエアの西側には、近隣空港・都市などへのバスターミナルであるポート・オーソリティ・バスターミナルが位置する。東側はオフィス街で高層ビルが建ち並ぶほか、ロックフェラー・センター、五番街などのショッピングエリアが隣接する。


メディア

タイムズスクエアには、ABCのグッド・モーニング・アメリカ、MTVのトータル・リクエスト・ライブのスタジオがある。


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「TRIP AND THE CITY」はアメリカの最大都市であるニューヨーク中、ミッドタウン中心に多くの短期アパートメントホテルをご用意しております。皆様の生活やご旅行のニーズに合わせて、いろいろとご用意しました。

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ロックフェラー・センター(Rockefeller Center)は、アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市マンハッタンの五番街にある超高層ビルを含む複数のビルからなる複合施設。設計はレイモンド・フッドほかによる。

建設

クリスマスツリーとアイススケートリンク大富豪のジョン・D・ロックフェラーによって1930年から建設された。前年に起きた大恐慌の影響でその後建築計画が変更され、全ての建築物が完成したのは9年後の1939年であった。

構造
マンハッタンの中心部ともいえる48番街と51番街の22エーカーの土地に、19の商業ビルが四方に建ち、各ビルの低層階はひとつの建物として繋がっている。一番大きいGEビルディングは、高さ259m、70階建てである。

中心にある半地下のプラザには、万国の国旗とプロメテウスの黄金像が立ち、夏にはカフェテラス、冬にはアイススケートリンクとして使用される。特に12月になると特大のクリスマスツリーが飾られることで有名。また、2003年秋には村上隆の作品「REVERSED DOUBLE HELIX」が展示された。

三菱地所による買収劇
1989年10月、三菱地所がロックフェラーセンターを約2,200億円で買収した。これはバブル景気期の「ジャパンマネー」による海外資産買いあさりの象徴的な例とされ、ニューヨーク市民の反感を買い、アメリカで日本脅威論が広まることとなった。

しかし、その後の不動産不況(バブル崩壊)で莫大な赤字を出すことになり、1995年5月に連邦破産法11条を申請し、運営会社は破産。三菱地所が買収した14棟のうち12棟は売却され、現在は下記の「タイムライフビル」と「マグロウ―ヒルビル」の2棟のみが三菱地所の所有となっている。

Ice Rink at Rockefeller Center
5th Ave between 49th and 50th Streets
New York, NY 10020
(212)332-7654 - General Information
(212)332-7655 - Skating Lessons

Gotham


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Gotham may refer to:

Real places:

In media and entertainment:

In music:

Businesses:

People:

Big Apple




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The Big Apple is a nickname or moniker for New York City . It was first popularized in the 1920s by John J. Fitz Gerald , a sports writer for the New York Morning Telegraph . Its popularity since the 1970s is due to a promotional campaign by the New York Convention and Visitors Bureau, known now as NYC & Company .

History of the term

Although the history of the Big Apple was once considered a mystery, research over the past two decades, primarily by noted amateur etymologist Barry Popik and Professor Gerald Cohen of Missouri University of Science and Technology , has provided a reasonably clear picture of the term's history. Prior to their work, there were a number of false etymologies, of which the most ridiculous was the claim, subsequently exposed as a hoax and now replaced on the source web site with more accurate information, that the term derived from a New York brothel whose madam was known as Eve.

The Big Apple was first popularized as a reference to New York City by John J. Fitz Gerald in a number of New York Morning Telegraph articles in the 1920s in reference to New York horse-racing. The earliest of these was a casual reference on May 3, 1921:

J. P. Smith, with Tippity Witchet and others of the L. T. Bauer string, is scheduled to start for "the big apple" to-morrow after a most prosperous Spring campaign at Bowie and Havre de Grace.

Fitz Gerald referred to the "big apple" frequently thereafter. He explained his use in a February 18, 1924, column under the headline "Around the Big Apple":

The Big Apple. The dream of every lad that ever threw a leg over a thoroughbred and the goal of all horsemen. There's only one Big Apple. That's New York.

Two dusky stable hands were leading a pair of thoroughbred around the "cooling rings" of adjoining stables at the Fair Grounds in New Orleans and engaging in desultory conversation.

"Where y'all goin' from here?" queried one."From here we're headin' for The Big Apple," proudly replied the other.

"Well, you'd better fatten up them skinners or all you'll get from the apple will be the core," was the quick rejoinder.

Fitz Gerald's reference to the "dusky" stable hands suggests the term's origin may lie in African-American culture. Support for this is found in the Chicago Defender , an African-American newspaper that had a national circulation. “Ragtime” Billy Tucker, a vaudeville/ragtime performer and writer for the Defender, there used "big apple" to refer to New York in a non-horse-racing context on September 16, 1922:

I trust your trip to 'the big apple' (New York) was a huge success and only wish that I had been able to make it with you.

The same writer had earlier used "Big Apple" as a reference to a different city, Los Angeles. This example, from May 15, 1920, is the earliest known use of "Big Apple" to refer to any city. It is possible that the writer simply understood "Big Apple" as an appropriate nickname for any large city:

Dear Pal, Tony: No, Ragtime Billy Tucker hasn't dropped completely out of existence, but is still in the 'Big Apple', Los Angeles.

By the late 1920s, New York writers other than Fitz Gerald were starting to use "Big Apple" and were using it outside of a horse-racing context. "The Big Apple" was a popular song and dance in the 1930s. Walter Winchell and other writers continued to use the name in the 1940s and 1950s.

By the 1960s, "the Big Apple" was known only as an old name for New York. In the early 1970s, however, the New York Convention and Visitors Bureau (now NYC & Company, the official marketing and tourism organization for New York City), under the leadership of its president, Charles Gillett, begin promoting "the Big Apple" as the city's moniker. It has remained popular since that time. Mayor Rudolph W. Giuliani in 1997 signed legislation designating the southwest corner of

West 54th Street and Broadway, the corner on which John J. Fitz Gerald resided from 1934 to 1963, as "Big Apple Corner." Since 1980, the New York Mets ' baseball stadium has featured a top hat that a "Big Apple" rises from when a Mets player hits a home run.


other cities

Big Apple also refers to the literal Big Apple in Colborne , Ontario .

Manhattan , Kansas , refers to itself as "The Little Apple" in its promotional literature.

Minneapolis , Minnesota has called itself "The Mini-Apple".

In Evita , Buenos Aires is referred to as "B.A., Buenos Aires, Big Apple" in the song Eva, Beware of the City. This reference was invented by lyricist Tim Rice and does not reflect preexisting use.

Other cities with similar nicknames include:

<Big Apple>

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The Big Appleと言えば、ニューヨークのことと誰もが知っています。この呼び名がジャズのミュージシャンの間から出たものだという説があることをご存知ですか。

1920年代の終わりごろから1930年代にかけて、あちらこちらの街から市へと旅するジャズ・ミュージシャンたちは、街々のことを"apple"と呼んだのだそうです。

1930年代はNew Yorkでジャズが栄える時代です。しかも、ここは当時から一大都市です。ジャズ・ミュージシャンたちはニューヨークを特別に”The Big Apple”と呼ぶようになり、既に有名だった編曲家でバンドリーダーのフレッチャー・ヘンダーソンが、この呼び方を広めたのだということです。

ジャズのミュージシャン達ははBig Appleでplayすることを夢見たのです

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Fletcher Henderson
(1897-1952)

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ニューヨークは、別名「Big Apple、ビッグ・アップル」と呼ばれています。何故このように呼ばれるようになったかを調べると、「ジャズメンがそう呼んだから、、、」という説が有力です。しかし、じゃぁ、「ジャズメンは、何故そう呼んだのか」とさらに突っ込むと、そこから先は諸説紛々です。

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真っ当そうな説
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一番普通に言われている理由は、「同州では、昔からリンゴが名産であった」というもので、面白くも、おかしくもありません。まぁ、観光案内のパンフレットに書く場合には、無難なのでしょう、、、ということで、それは置いといてぇ、、、

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アダムとイヴ説
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19世紀のフランス移民で、結構裕福な出であったEvelyn Claudine de Saint-Evremondは、新大陸に来てからは恵まれず、ついには娼館をニューヨークで開くまでに落ちぶれたんだそうです。なかなかの才媛であったこともあって繁盛したこの娼館は、彼女の名にちなんで「イヴの館」と呼ばれるようになり、アダムとイヴの逸話もあって、「ニューヨークのリンゴは、ウマイ」というオトコ共の噂話から、皆がニューヨークを「Big Apple」と呼ぶようになったという説があります。これは、まぁ、良い話ですネ。

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競馬の賞金説
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ニューヨークでは、競馬も盛んに行われたようで、その賞金も多額に上ったといいます。ある時、モーニング・テレグラフの記者が南部の競馬場を取材した時に、「ここなんかより、ニューヨーク競馬の方が、ずっとデカイよ。あそこの賞金は、ダントツ(Big Apple)だからなぁ、、、」と、皆が話すのを聞いたそうです。それが耳に残ったので、記事にしたところ、皆が「ニューヨークは、Big Appleだ。」と認識するようになり、それが定着したという説があるのです。ちなみに、メディアで最初に「Big Apple」という表現を使ったのは、この記者であるといいます。ご承知のように、お馬さんはリンゴが大好物なのです。

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ジャズメン説
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上記競馬の話の少し後頃から、ニューヨークではジャズの隆盛が始まりました。ジャズメンは、皆が皆、ニューヨーク、それもハーレムで舞台に立ちたがったようです。その理由は、ギャラが良いとか、スゴイ奴と共演できるとか、ファンが熱いとか、、、色々あったようですが、つまりは憧れの地だというわけです。そして、競馬ファンと同様に、ジャズメンも「ニューヨークは、Big Appleだ。」と言い合ったようで、これが人口に膾炙(かいしゃ)したということのようです。

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「Scrapple from the Apple」
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ジャズとリンゴと言えば、この曲に止めを刺します。この曲は、Charlie Parkerの曲として良く知られており、彼らしく「Honeysuckle Rose」を下敷きにした曲のようです。自身の演奏も、「The Best of Dial Years」盤で聴けます。Nelsonとしては、「Our Man in Paris/ Dexter Gordon」での演奏が好きです。
この曲を演奏している盤には、
「Grovin' High/ Sonny Stitt」
「Communications/ Tommy Flanagan」
「Bule's Mood/ Blue Mitchell」
「Phil Talks with Quill/ Phil Woods」
「The Complete Village Vanguard Sessions/ Art Pepper」
「Dedication to Albert Ayler and John Coltrane/ Massimo Urbani」
等、枚挙の暇がありません。
なお、「スクラップル(Scrapple)」は、まぁ、食べたことが無いので自信がありませんが、ポークを使ったミート・ローフのようなもので、庶民料理の一種だそうです。
同様に、「Apple」関連では、「Adam's Apple/ Wayne Shorter」盤がありますし、このセクションのタイトルにさせてもらった「Biting the Big Apple/ Dexter Gordon」盤も聴きものです。

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エンパイア・ステート・ビルディング(Empire State Building)は、アメリカ合衆国ニューヨークのマンハッタンにある超高層ビル。「エンパイア・ステート(帝国州)」はニューヨーク州の愛称である。

歴史

建築家集団、リッチモンド・H・シュリーブ、ウィリアム・ラム、アーサー・L・ハーモン(Shreve, Lamb and Harmon)の3名によって設計されたエンパイア・ステート・ビルディングは、マンハッタン島を代表する高級ホテルであるウォルドルフ=アストリアが建っていた跡地に建設された。 工事はクライスラー・ビルから「世界一の高さのビル」の称号を奪うために急ピッチで行われ、1931年に竣工したが、世界恐慌の影響でオフィス部分は1940年代まで多くが空室のままであった。そのため、「エンプティー(空の)・ステート・ビルディング("Empty State Building")」と揶揄(やゆ)されることもあったが、戦後は多くの人々が訪れる観光名所となり、1972年にワールドトレードセンターのノースタワーが竣工するまでの42年の間、世界一の高さを誇るビルとなっていた。完成して55年が経った1986年には、アメリカ合衆国国定歴史建造物に指定されるなどニューヨークのシンボルの一つとして認知されていった。

2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件によってワールドトレードセンターが破壊されてしまったさいには、ノースタワーを電波塔にしていた各局が放送不能となるが、WCBS-TVはエンパイア・ステート・ビルの電波塔を活用し、放送を続けた。テロ後、WCBS-TVは被害を受けた各局に電波送信スペースの貸し出しを行った後、2005年より地上波テレビ各局の電波塔がこのビルに集約されることになった。

2008年現在、ワールドトレードセンターの崩壊により嘆かわしい一面ではあるが、再び「ニューヨークで最も高いビル」となっている。フリーダム・タワーが完成する予定の2011年まで、10年間はこの状態が続くことになる。

施設
ビルの総床面積は20万4,385㎡におよび、質量は全体でおよそ33万 t ある。 6,500個の窓や73基のエレベーター(貨物用の6基を含む)、1,860個の階段などで構成されている。

最上階である102階の床面は地上373.2m(1,224 ft)の高さにあり、軒高(本体構造物の最高所の地上高)は381.0m(1,250 ft)である[3]。 また、1950年代に付け加えられた上部付属施設である電波塔(67.7m〈222 ft〉)を併せた場合の地上高は448.7m(1,472 ft)である。

最上階付近一帯と電波塔にはイルミネーションによる光の演出が施されており、日によって色の変化を見せる(右上、テンプレートの画像を参照)。 かつては尖塔部分に飛行船を係留できるようになっていたが、現在は電波塔が設置され、テレビ・ラジオ用送信用アンテナ機材が取り付けられている。

頂上はニューヨーク・エリアにおけるテレビ・ラジオの電波塔としての役割も持っており、以前よりWCBS-TVがこのビルをサブの電波塔として利用していた(テロが起きるまでは、メインはワールドトレードセンターであった)。

事故・事件
<B-25の衝突事故>

1945年7月28日の9時49分、深い霧の中をニュージャージー州のニューアーク・リバティー国際空港に着陸しようとしたアメリカ陸軍の中型爆撃機 B-25 ミッチェルが、79階の北側に衝突して機体が建物に突入するという事故が起こった。 衝突時の衝撃で機体から脱落したエンジンがエレベーターシャフトを破壊し、79階と80階で火災が発生したが、約40分後に消火された。 乗員3名を含む死者14名を出したものの、着陸直前で燃料の搭載量が少なかった上、比較的小型の機体であったことから、建物自体への損害は比較的少なく、事故後2日で営業を再開している。

<9・11の流言>

2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件の際には、エンパイア・ステート・ビルにもハイジャック機が向かっているという流言が一部で流れた(この噂は、テロリストの意図に基づくデマゴギーであった可能性も排除できないが、証拠が無い)。この影響でビル内部にいた職員などが急遽、避難するといった混乱も見られた。


フィクション
エンパイア・ステート・ビルはさまざまな映画や小説に出ているが、とりわけ有名なのは特撮映画『キングコング』であろう。 人間の所業に怒り狂うコングは、エンパイア・ステート・ビルに故郷の断崖を見たか、外壁を剥がしつつよじ登り、頂上で野生を叫ぶ。 しかし、文明の象徴でもあるその場で森の王者の命運は尽き、人々には問い掛けが残される。

なお、キングコングがこのビルに登ったのは、1933年製作のオリジナルと、2005年製作のオリジナルの筋立てに忠実なリメイク版の2回。 1976年製作のリメイク版で登っているのは、ワールドトレードセンタービルであった。これにはエンパイア・ステート・ビルの関係者から「何故うちに来ないのか」との抗議の声が挙がったらしいが、その時代のニューヨークで一番高いビルにキングコングは登っているのである。つまり、1933年にはエンパイア・ステート・ビルが、1976年にはワールドトレードセンタービルが、2005年にはエンパイア・ステート・ビルがそれであった。 ただ、2011年以降にリメイク版があるとすれば、このコンセプトは変えられるかも知れない。 何故なら、新しくニューヨーク第1位になる予定のフリーダム・タワーは人々の複雑な感情をあまりに背負い過ぎている。

『キングコング』(1933年製作)
『キングコング』(1976年製作)
『キングコング』(2005年製作)

20世紀のモニュメント
エンパイア・ステート・ビルは、米国土木学会(ASCE)によって2001年、20世紀の10大プロジェクトを選ぶ「モニュメント・オブ・ ザ・ミレニアム(Monument of the Millennium)」の「高層ビル」部門に選定された。これは、20世紀最高の高層ビルと認められたことを意味する。

なお、この「モニュメント・オブ・ザ・ミレニアム」は他に9つの部門を設けており、例えば「水路交通」部門ではパナマ運河、「ダム」部門ではフーバーダム、「空港の設計・開発」部門では関西国際空港が、「鉄道」部門には英仏海峡トンネル、「長大橋」部門にはゴールデンゲートブリッジが選定されている。

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[ Apple Store (アップル・ストア)]
767 Fifth Avenue (bet: 58 & 59th Street)
New York, NY 10153
Tel: 212-336-1440
 
こちらの5番街店はマンハッタンでは2店舗目のアップル・ストア。
(一店舗目はご存知、若者のファッションの街、ソーホーにあります。)
高さ約10メートル、そして930平方メートルのガラスキューブの店舗の中は
これまたガラス製で出来た螺旋(らせん)階段があり、その階段を下りて地下へ行く形状となっています。
(Jobs氏、Johnson氏、建築事務所Bohlin Cywinski JacksonのPeter Bohlin氏による設計。)
その店内にはトレーニングを受けた約300人の社員が24時間体制で売り場や各カウンターで
顧客対応をしています。
商品店の充実っぷりも素晴らしく、また購入前に色々と自由に試したり出来るのも嬉しい限り。
アップル・ファンは勿論のこと、今や観光名所の一つともなっているアップル・ストア。


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<ニューヨーク近代美術館 The Museum of Modern Art, New York>

愛称 : MoMA
専門分野 : 近現代美術
開館 : 1929年
所在地 〒 : 11 West 53 Street,New York, NY 10019-5497 USA
電話 : (212) 708-9400

ニューヨーク近代美術館(The Museum of Modern Art, New York)は、アメリカ合衆国ニューヨーク市にある、近現代美術専門の美術館である。

マンハッタンのミッドタウン53丁目に位置し、1920年代から「ザ・モダン」と呼ばれたモダンアートの殿堂。
英文館名の頭文字をとって「MoMA(モマ)」と呼ばれて親しまれるニューヨーク近代美術館は、20世紀以降の現代美術の発展と普及に多大な貢献をしてきた。

また分館として、2002年から2004年にかけてマンハッタンの本館が工事中のときに利用されていた施設をそのまま利用したクイーンズ分館 (MoMA QNS) と、より現代的・実験的な作品を展示する美術館であるP.S.1がある。