田口が4歳上だが、ともに入団から2年間は2軍暮らしが続いた。寮で寝食をともにした仲で「よく三宮に行って、プライベートでの思い出が田口さんとはたくさんあるね」と懐かしんだ。もちろん、グラウンド上での思い出も尽きない。「お互い同期で意識してやっていた」といい、鉄壁の右中間コンビとして名をはせた。さらに「最もやりやすいセンターでした。アイコンタクトだけでいろんな情報が入ってくる。そういうセンターでした」と話した。語り草となっているのは96年10月24日、巨人との日本シリーズ第5戦。仰木監督の猛抗議によるプレー中断中に、左翼の田口とそれぞれの定位置間でキャッチボールを開始。2人の地をはうような力強い遠投は、イチローと田口の名を全国に知らしめた。
7月23日にヤ軍に移籍が決まった際には伝言メッセージをもらい、その後電話で話したという。「“頑張って”と。普通のメッセージだったですけどね」。その声のトーンは、最後まで寂しげだった。