こんにちは。SSDスタッフの狩谷幸志です。
では続いて高校編です。
高校は公立ですが大阪でもけっこう上の強さ(僕らはベスト16でした)
のところに入りました。
高校選ぶ基準がバスケ強くてチャリンコで通えるところやった。
さすがに部員数が多く、3学年で70人ぐらいおったかな。
中学でもやっぱりそこそこのレベルの人間が集まってきます。
途中、半分くらい辞めますが。練習かなりきびしいんで。
部員がかなり多いのでチームが1軍と2軍に分かれていました。
1軍はベンチ入りメンバーとあと数名、2軍はその他残りです。
僕はもちろん2軍でした。
1年から1軍入りは各中学のエース級です。
基本、2軍は朝練なし、夕練も体育館は使えない、外での練習がメインです。
そんな環境では上達するはずもなく
2軍から1軍に上がるのは非常に困難です。
僕はやっぱり不器用な練習バカなんで一人で朝来てトレーニングルームで
ウェイトトレーニングを始めました。
テクニックもスピードもなく、この時点では周りに比べて背も高くなかったので
そんな自分にできるのは「頑強なからだを作ること」でした。
くる日もくる日も筋トレを行い、ゴール下での競り合いに負けない体を作っていきました。
そんなときにひざを壊しました(この様子はブログ「ジャンパーズニー」で)
でもひざをこわしながらも練習し続け、1年の終わりについに1軍に上がることができました。
それからはベンチ入りも何度かし、
2軍に降りて2軍のキャプテンなどしていました。
うちの学区では公立だけで普段試合に出れない部員のための
「セカンドカップ」という大会があります。
その大会には1軍は出場せず2軍が試合に出ます
(ただ他の学校は2軍などないのでレギュラーが出てきます)
そこで僕のチームは優勝し、僕はMVPももらいました。
そんな高校バスケは僕にとって本当に充実したものになりました。
引退したときは号泣でした。
涙が止まりませんでした。
とてもいい想い出です。
ですのでスラムダンクも大好きです。
スラムダンクを読むと高校時代を思い出すのです。
SSDスタッフ kohji kariya
では続いて高校編です。
高校は公立ですが大阪でもけっこう上の強さ(僕らはベスト16でした)
のところに入りました。
高校選ぶ基準がバスケ強くてチャリンコで通えるところやった。
さすがに部員数が多く、3学年で70人ぐらいおったかな。
中学でもやっぱりそこそこのレベルの人間が集まってきます。
途中、半分くらい辞めますが。練習かなりきびしいんで。
部員がかなり多いのでチームが1軍と2軍に分かれていました。
1軍はベンチ入りメンバーとあと数名、2軍はその他残りです。
僕はもちろん2軍でした。
1年から1軍入りは各中学のエース級です。
基本、2軍は朝練なし、夕練も体育館は使えない、外での練習がメインです。
そんな環境では上達するはずもなく
2軍から1軍に上がるのは非常に困難です。
僕はやっぱり不器用な練習バカなんで一人で朝来てトレーニングルームで
ウェイトトレーニングを始めました。
テクニックもスピードもなく、この時点では周りに比べて背も高くなかったので
そんな自分にできるのは「頑強なからだを作ること」でした。
くる日もくる日も筋トレを行い、ゴール下での競り合いに負けない体を作っていきました。
そんなときにひざを壊しました(この様子はブログ「ジャンパーズニー」で)
でもひざをこわしながらも練習し続け、1年の終わりについに1軍に上がることができました。
それからはベンチ入りも何度かし、
2軍に降りて2軍のキャプテンなどしていました。
うちの学区では公立だけで普段試合に出れない部員のための
「セカンドカップ」という大会があります。
その大会には1軍は出場せず2軍が試合に出ます
(ただ他の学校は2軍などないのでレギュラーが出てきます)
そこで僕のチームは優勝し、僕はMVPももらいました。
そんな高校バスケは僕にとって本当に充実したものになりました。
引退したときは号泣でした。
涙が止まりませんでした。
とてもいい想い出です。
ですのでスラムダンクも大好きです。
スラムダンクを読むと高校時代を思い出すのです。
SSDスタッフ kohji kariya