私事なんですが、私の祖父が他界し、1週間ほど不在にしておりました。
92歳で、市の最高齢の現役税理士として倒れる前日までお仕事しておりました。
さみしくて、かなしいけど、でも感謝しかなくって。
倒れてすぐに亡くならず、救急病院で1日、意識はなくてもあったかいおじいちゃんのままでいてくれました。
ICUでもHUC(救急の部屋)でも、本当にたくさんの家族が集まってきて
おじいちゃんの両手足をずーっと揉んでました。
5人6人、じーちゃんの周りで、皆が「大好きだよ」と両手、両足、肩、さすったりマッサージしたり。
その場は、本当に愛と感謝しかなくて。
残念ながら話すことはなく亡くなったけど、全部聞こえてたと思います。
死の現場は、恐れや喪失の恐怖や、悲しみ、(突然のことへの)怒りだけしかないのかと勝手に思っていましたが、全然違いました。
じーちゃんは、誰の手を煩わせることもなく、92歳までずっと、みんなを守り続けていました。
母方のおじいちゃんなので、浮田と言います。
集まってくれたおじさんたち、おじいさんたちがたくさん話をしてくれました。
おじーちゃんは、戦争の体験が強烈だったので、戦争の話を良くしてました。
でも昔、「浮田ってのはな、戦で負けたからこっちに逃げてきて、ばれないように宇喜多から浮田にしたんだ」と聞いていました。
豆知識のように思ってたけど、
今回血縁のみんなに改めて言われて、武士の血なんだな。
だから潔く生きて死ぬんだな。
と思いました。
宇喜多は、岡山。
だから、私は今、なぜか愛媛から岡山にいるんだな。呼ばれたんだな。
おじいちゃんの血は、私の中に生きてて、
あの賢さが私に宿っていると思うと、心強く思います。
1週間、講座やカイロ、レッスンをお休みさせてくださったみなさま、本当に感謝しております。
皆さまのおかげで、たくさんたくさん泣けました。
ちなみに、私の旧姓は毛利と言います。
宇喜多と毛利が両親で、なんか強そう。
そんな坂野ですが、これからもみんなよろしく!
喪中なんで、年賀はがき送れなくてすみません。