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先日ダークダックスの高見澤さん(写真の左端)の訃報があったばかりなので、ダークダックスの1965年のヒット曲『アンジェリータ』(Angelita di Anzio)を取り上げてみた。


 ☆アンジェリータ
   訳詞:ダークダックス

アンジェリータ 今も呼ぶよ
アンジェリータ アンジェリータ
アンジェリータ いずこ行きし
アンジェリータ アンジェリータ
月だけが輝く夜のアンツィオ
われら強者が敵前上陸
われらを迎える青い月の中に
貝殻を握りしめて
泣いている女の子 アンジェリータ
今も呼ぶよ
アンジェリータ アンジェリータ

強者は夜明けに進むアンツィオ
われらの行く手に朝の太陽
われらを慕って共に進む子供
楽しげに歌を歌い歩いてる女の子
アンジェリータ 今も呼ぶよ
アンジェリータ アンジェリータ

音もなくわれらは進むアンツィオ
辺りのしじまが突然破れた
われらが見たのは血にまみれた子供
かたく握った小さな手には四つの貝殻が…
アンジェリータ 今も呼ぶよ
アンジェリータ アンジェリータ
アンジェリータ いずこ行きし
アンジェリータ アンジェリータ
アンジェリータ アンジェリータ
アンジェリータ アンジェリータ



第二次大戦時の連合軍によるアンツィオ上陸作戦の時、砲弾行き交う中、海辺をさまよっていて連合軍の兵士に保護された6歳の女の子アンジェリータ。赤十字に引き渡された直後に砲弾の炸裂によって死んだというアンジェリータを歌った歌で、イタリアで1964年にLos Marcellosの歌でヒット。日本でダークダックスの歌がヒットしたのはその翌年だった。

戦争が終って20年。「もはや戦後ではない」と言われてから10年が過ぎていたとは言え、まだまだ戦争を生々しく記憶している人々が数多くいた時代だった。
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マンボウさんの昭和歌謡ブログを読んでいるうち、僕も持っているレコードなど中心に時々書いてみようかなと思って、とりあえず最初に有砂しのぶの『港のホテル』を取り上げてみる。

発売は1975年4月25日。オリコンチャートイン13週、最高50位との事だから大ヒットした曲ではないが、まあそこそこには売れたという感じなのかな。

 ☆港のホテル
   詞:千家和也
   曲:鈴木淳
   歌:有砂しのぶ

ガラス一枚へだてた外は
雨も泣いてる港のホテル
ちょっとそこまで出かけるような
顔をしたまま消えた人
あなた捜してあなた捜して
なるようにしかならない恋よ

恋の願かけやめてる酒に
指がのびます辛さに負けて
背広姿の似ている人に
声をかけたり違ったり
あなた捜してあなた捜して
なるようにしかならない恋よ

誰のためやら寝化粧すれば
白い枕に口紅の色
馬鹿な女の心を唄う
ギター流しのはやり歌
あなた捜してあなた捜して
なるようにしかならない恋よ



歌手の有砂(ありさ)しのぶは宝塚からの転身でこれがデビュー曲。この時22歳で美人。歌もうまい。

でもこの人が一部で話題になったのは美人であることや、歌の上手さによってでは無かった。
声と言い歌い方と言い、青江三奈にそっくりだったのだ。

黙って歌だけ聴かされたら誰もが歌っているのは青江三奈と思ってしまう…そんな感じだった。

有砂しのぶも青江三奈そっくりと言われることを気にしたのか、次の曲から歌い方を変えた。でも『港のホテル』の迫力は失われてしまって、結局その後は忘れられて行った。

もし青江三奈が居なかったら、或いは青江三奈より先に有砂しのぶがデビューしていたらどうなっていただろうかとふと思う。
韓国の中央日報の報道で見る限り、アジア杯決勝でゴールを決めた李忠成選手に対しては「同胞」扱いで共に喜び誇りに思っているようで、一部で懸念された「裏切り者」呼ばわりは無かったようだ。

かつてバレーボールの日本代表のエースアタッカーとして、モントリオール五輪での日本チーム金メダルに貢献した白井貴子選手に対して、韓国メディアから激しい「裏切り者」攻撃があったのを思えば、韓国メディアも大人になったなと思う。

或いはそれは、李忠成選手が民族名のままで帰化した事と関係があるのかも知れない。

ただ白井選手の時代には、例え民族名のままでの帰化を望んでもそれが認められなかったのだから、日本名で帰化したのは白井選手の責任ではない。

民族名での帰化が可能になったのは1983年7月に法務省が帰化時の日本名強制をやめると発表して以後だが、実は帰化時の日本名強制は創氏改名そのものではないかと最初に指摘したのは僕だった。(1982年12月、朝日ジャーナル)
この直前に高見山が日本に帰化する際に渡辺ジェシーの名での帰化を望んだが認められず、結局渡辺大五郎の名でやっと申請が受理されたという事があって、米国では日本名のままでも米国に帰化出来るのに、これは変ではないかと思って投稿した。

その1ヶ月後に朝日新聞夕刊のコラム『今日の問題』(現在は『窓』と改題)で僕の投稿とほぼ同じことが書かれた。

さらに83年6月にはTBSの番組『そこが知りたい』でも同様の主張がされた。この時のディレクターが岡庭昇だったので、僕は岡庭昇が僕の投稿を読んであの番組を制作したのではないかと思っている。

『そこが知りたい』が放送されて1ヶ月後に法務省が帰化時の日本名強制をやめると発表したのだから、やはりあの番組の影響なのだろうと思う。

今なお、帰化した者を裏切り者呼ばわりする人は在日コリアンの中に少なからず居る。
李忠成選手の活躍がそんな風潮を変えて行くきっかけになれば嬉しい。