呪縛から解き放たれるときが来たか | いつもオレンジ気分で

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関西在住のエスパルスサポです。
ホームの試合が遠征になってしまいますが、出来るだけ参戦するべく頑張っています。

鳥栖戦で累積警告で出場できないラドンチッチに代わり、トップの位置に入った翔。
過去、何度もこのポジションで使われてきたがなかなか結果がでず、
ワイドやトップ下での起用の方があってるんじゃないかと思ってた。
でも、それは周りとの兼ね合いだということが気づかされた試合だった。

トップ下に元紀、右に村田、左に俊幸とスピードのある三人が揃ったことで、
翔の特性が生きた試合だった。
対人の強さを発揮し、または自分が動くことでスペースを作りまわりの三人が
そのスペースを突く。

結果的に翔自身でハットトリック。そして大前のゴール、浩太のゴール、平岡のゴール、
6点全てのプレーに翔が絡んでいた。

和製アンリと称され、高校時代にその才能をベンゲルに見出された若干18歳の少年が
海を渡り、労働ビザという壁にさえぎられ、レンタルでグルノーブルに移籍。
そして怪我との戦い。
思えば高校時代もさしたる結果を残せずに海外に渡った翔。
それでも、その経験は普通の18歳の少年ができるような経験ではなかったと思う。

そして日本への帰国という選択。
エスパルスを選んだというのはどんな思いだったろうか。
「ここで人間としてもサッカー選手としても、一回りも二回りも成長できるように、
僕自身も頑張っていかなければいけないと思っています。」
入団会見でこのように語っていた翔。
当時まだ22歳。「和製アンリ」ということばが独り歩きし、
エスパルス入団後もなかなか結果が出せずに、試合に出場しても罵声を浴びせられ、
さらに追い討ちをかけるように、エスパルスでも怪我に泣かされるようになる。

それでも、「このまま逃げるわけには行かない」と大幅減俸をのみ、
夕食を寮でとるという生活に切替え、TMや練習試合では徐々にその才能の
片鱗を見せ始めていた。
それでもまだ「三保の得点王」などと揶揄される状況に、翔自身どんな思いで
練習に臨んでいたであろうか。

レギュレーションが違う天皇杯やナビスコでもなかなか出場機会が廻ってこずに
出場しても交代出場でのわずかな時間では、なかなか自身の最高のパフォーマンスを
発揮するのは難しかったのではないか。

そしてようやく巡ってきた先発のチャンス。
ここで一気に爆発させた翔の才能に、スタジアムは揺れた。

次のダービーではラドンチッチが帰ってくる。
ラドンチッチ、元紀、俊幸に加え、村田、翔。この5人をどのように使いこなすのか。
少なくとも、翔は先発で使って、実力を発揮するタイプであることは
はっきりしたと思う。

いよいよ、呪縛から解き放たれるときが来たか。

「和製アンリ」などという他人がつけた称号はいらない。
今こそ、自分の力で、名前の通り「翔ぶ」時が来た。
スピード、強さ、高さ、その類まれなる才能を今こそ開花させるときが来た。

「伊藤 翔」本当の覚醒はまだまだ、始まったばかり・・・・・


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