アースというDVDを観ました。
英国BBCが撮ったという、大自然のドキュメンタリーなんだけど。
いや~普段目にすることのできない大自然の映像には感嘆したね。
人間は、自ら望んでこの大自然を後にした。
自分たちの暮らす土地を別枠として設け、平坦な土地を築いて、建造物を建てて、そこで暮らした方が繁栄のためには良いと判断してのことだった。
それが間違いとか正解とかではない。
ただ、人間は自分たちの道を選んでそれなりに結果が出たというだけのことだと思う。
後になって温暖化がどうとか言ったところで、だから過去の選択を覆せるかと言ったらそれは不可能なのだから、結果として現在があるというシンプルな事実があるだけであって、「選択が正解だったか」なんて考えるのはナンセンスだ。
何故かというと、「では別の選択をした場合」の現在など存在しないからだ。
比較対象が無い以上、不正解と言ってしまうのはあくまでも想像上のシュミレーションと比較しただけの推測の域を出ない。
経済学ではトレードオフというが、選択は常に存在し、人間は(意志ある生物は)常に選択を繰り返して歴史を重ねている。
歴史にもしもは無い以上、選択の答えには「結果」があるだけであって、比較対象が無い以上それは正解かどうかなんて言えないのだ。
ただ、その選択をした時点では、それが正解に繋がると信じて選択した。
それは確実に言えることだ。
で、映画自体について思ったこと。
人間はそんな大自然を離れて、文明社会に生きることを選んだけど。
それでも、こうして大自然に対して憧れや懐かしさを感じて生きている。
それは、もう単純に「故郷への慕情」だと思うわけさ。
例えば上京してきたおれは、自ら望んで故郷を離れ東京に来た。
自ら望んで、そっちの方がきっといいことがあるに違いないと信じて来たにもかかわらず、やはり故郷を懐かしく思うし、またその土地を踏みたいとも思うわけさ。
自分を育んだ生まれ育った土地を自らの判断で離れても、やはり心の中に故郷に対する愛着、懐かしさ、慕情が常にあるわけさ。
人間の大自然に対する思いは、これの広義なものだと思ったわけ。
大自然を離れ、地球の中に人間が暮らしやすい土地を別枠で築き設けてそこに暮らしていながらも、それでいてやはり母なる大自然への憧れや、慕情が心の中に(もしくはDNAの記憶の中に)あるわけさ。
おれ個人が故郷を懐かしく思う気持ちと、人間という生き物が大自然を思う気持ちは、種類としては同じなわけさ。
故郷への慕情なわけだね。
でも、今の暮らしを選んだ時点で、「故郷へ帰る」ことは簡単ではなくなってしまった。
その点も一緒なわけ。
だから、懐かしく思いながら、少しだけ遠くに感じ、でもたまにそれが身近に来るとほっとする。
「故郷(ふるさと)は 遠くにありて思うもの そして悲しく思うもの」
おれの好きな室生犀星もそう詠っている。
おれは今は、故郷に帰ってずっと過ごしたいとは思わないけど。
でも、もっと気軽に「故郷」と「今の暮らし」を、壁を感じずに行き来したいなとは思うよ。
英国BBCが撮ったという、大自然のドキュメンタリーなんだけど。
いや~普段目にすることのできない大自然の映像には感嘆したね。
人間は、自ら望んでこの大自然を後にした。
自分たちの暮らす土地を別枠として設け、平坦な土地を築いて、建造物を建てて、そこで暮らした方が繁栄のためには良いと判断してのことだった。
それが間違いとか正解とかではない。
ただ、人間は自分たちの道を選んでそれなりに結果が出たというだけのことだと思う。
後になって温暖化がどうとか言ったところで、だから過去の選択を覆せるかと言ったらそれは不可能なのだから、結果として現在があるというシンプルな事実があるだけであって、「選択が正解だったか」なんて考えるのはナンセンスだ。
何故かというと、「では別の選択をした場合」の現在など存在しないからだ。
比較対象が無い以上、不正解と言ってしまうのはあくまでも想像上のシュミレーションと比較しただけの推測の域を出ない。
経済学ではトレードオフというが、選択は常に存在し、人間は(意志ある生物は)常に選択を繰り返して歴史を重ねている。
歴史にもしもは無い以上、選択の答えには「結果」があるだけであって、比較対象が無い以上それは正解かどうかなんて言えないのだ。
ただ、その選択をした時点では、それが正解に繋がると信じて選択した。
それは確実に言えることだ。
で、映画自体について思ったこと。
人間はそんな大自然を離れて、文明社会に生きることを選んだけど。
それでも、こうして大自然に対して憧れや懐かしさを感じて生きている。
それは、もう単純に「故郷への慕情」だと思うわけさ。
例えば上京してきたおれは、自ら望んで故郷を離れ東京に来た。
自ら望んで、そっちの方がきっといいことがあるに違いないと信じて来たにもかかわらず、やはり故郷を懐かしく思うし、またその土地を踏みたいとも思うわけさ。
自分を育んだ生まれ育った土地を自らの判断で離れても、やはり心の中に故郷に対する愛着、懐かしさ、慕情が常にあるわけさ。
人間の大自然に対する思いは、これの広義なものだと思ったわけ。
大自然を離れ、地球の中に人間が暮らしやすい土地を別枠で築き設けてそこに暮らしていながらも、それでいてやはり母なる大自然への憧れや、慕情が心の中に(もしくはDNAの記憶の中に)あるわけさ。
おれ個人が故郷を懐かしく思う気持ちと、人間という生き物が大自然を思う気持ちは、種類としては同じなわけさ。
故郷への慕情なわけだね。
でも、今の暮らしを選んだ時点で、「故郷へ帰る」ことは簡単ではなくなってしまった。
その点も一緒なわけ。
だから、懐かしく思いながら、少しだけ遠くに感じ、でもたまにそれが身近に来るとほっとする。
「故郷(ふるさと)は 遠くにありて思うもの そして悲しく思うもの」
おれの好きな室生犀星もそう詠っている。
おれは今は、故郷に帰ってずっと過ごしたいとは思わないけど。
でも、もっと気軽に「故郷」と「今の暮らし」を、壁を感じずに行き来したいなとは思うよ。