Ayako先生 のブログより



こんにちは、ご訪問ありがとうございます。
ココロとカラダの調律師・パーソナルヨガトレーナーAyakoですクローバー

 

 

皆さまは、

「サット、チット、アーナンダ」

という言葉を聞いたことはありますか?


ヨーガをされてる方であれば
聞いたことがあるかもしれません。


ヨーガの聖者に

「サッチダーナンダ」

という方がいらっしゃいますが、
これは

「サット、チット、アーナンダ」

をくっつけたものなのです。


そしてこの言葉は、

ヨーガに限らずインド哲学の

根幹となる大切な言葉です。

 

(こちらは2012年1月23日のコラムを加筆修正したものです。)

では、この

「サット、チット、アーナンダ」

とは何でしょうか。

 

 

それは、


सत् (サット)=純粋な存在
चित् (チット)=純粋な意識
आनन्द (アーナンダ)=純粋な喜び

 

という意味です。



これらの言葉は

私たちの「本質」を

表している言葉です。


何の汚れもない、純粋な存在。
何の汚れもない、純粋な意識。
何の汚れもない、純粋な喜び。


これこそが、私たちの
内側にある本質なのです。


汚すことも、
傷つけることもできない、
究極の純性。


そして、ここには
何の取り引きも
存在しません。


生まれたての赤ちゃんが
まさにそうですよね。


ただただ、

「存在する」

という奇跡。


「私がいる」

という意識と生命の喜び。


花や、木々や、動物や、
生きとし生けるもの全て、
自然や宇宙は、
まさに

「サット、チット、アーナンダ」

なのです。


そして人間もその一部であり、
「それ自身」なのです。


私は、純粋な存在である。
私は、純粋な意識である。
私は、純粋な喜びである。


とてもシンプルで
力強い真実です。


そしてヨーガは、この

「サット、チット、アーナンダ」

を言葉だけの表面的な理解ではなく、

「体験」

として理解し、
自分自身が純粋であることを
思い出すためのものなのです。


たとえ表面が
傷ついていても、
汚れていても、
嘘をまとっていても、
私たちの魂の本質は
純粋なものなのです。


ただ、それに気づいているか
気づいていないかの違いだけで。


そして「私」が純粋な存在であるように、
「あなた」もまた純粋な存在であること。


「あなた」は「あなた」にとっての
「私」であるということ。


全ての「私」は「あなた」であり、
全ての「あなた」は「私」なのです。


つまり、全てが平等に、
純粋な価値を持つ
純粋な存在なのです。


私だけが純粋で、
他が汚れているわけでもない。


誰かが純粋で、
私だけが汚れているわけでもない。


みんな、同じように純粋な存在なのです。
このことにも気づく必要があるのです。


この「サット、チット、アーナンダ」は、
シンプルですがとても深い意味を持ち、
言葉としては

「純粋な存在、純粋な意識、純粋な喜び」

ということではありますが、
その言葉「だけ」で
本質を理解することはできませんし、
またその本質を、正確に
言葉で言い表すことはできません。


理論としての理解だけではなく、
実践を通した体験としての理解を得てこそ、
本当に意味のあるものとなります。


しかし、まずは「私」も「あなた」も、
純粋な存在であるということを
知識として「知る」ことが
大切な一歩となります。


ヨーガをしていてもしていなくても、

「全ては純粋なもの(=プルシャ)である」

という前提に立てば、
自分のことも、相手のことも、
全てを「プルシャ」=「神」として
敬意を持てるようになる。


そうすれば、全てと争わずに
いられるようになります。


「サット、チット、アーナンダ」

という素敵な言葉を、
ぜひ、意味とともに
覚えていただけたらと思います。