Ayako先生 のブログより



こんにちは、ご訪問ありがとうございます。
ココロとカラダの調律師・パーソナルヨガトレーナーAyakoですクローバー

 


以前に参加させていただいた
大阪サンダハンでの

サンスクリットの勉強会の時に、
故長谷川先生からインド哲学の
このような言葉を教わりました。


「ブラフマン(=イーシュヴァラ・神)はラサなり」


「ラサ」とは、
サンスクリットで

「味・味わい」

を意味します。

 

(こちらは2012年1月9日のコラムを加筆修正したものです。)
 
これは単に舌で味わう
「味」だけではなく、
匂いや音など

「感じられるもの全て」

を含むそうです。


そして、このとき先生が
ある日本料理の料理人の方の
言葉を教えてくださいました。


「一口食べただけで『美味しい』というものは、本当の美味しさではない。一口食べただけでわかるものではなく、二口三口と食べ進めて、じんわりと広がる。そして食べ終わった時に、『ああ、美味しかった』と満足を得られるもの。それが『味』だ」


正確ではないですが、
このような主旨のお話でした。


この『味』が、ラサなのです。


そして、先生が続けてこう仰ったのです。 


「人生とは、まさに『ラサ』なんです」


私たちの生命は、
ブラフマンによって
与えられています。


そこには、「なぜ?」とか、
「どのようにして?」という
疑問を挟む余地はありません。


ブラフマンは
無限のエネルギーであり、
不可知なるものです。


そしてそこから
この世の全てが
生まれています。


私たちの生命は、
ブラフマンによって
生まれたのです。


私たちの人生は、
ブラフマンによって
与えられているのです。


そしてその人生は、
次々に新しいものを追い求め
一口食べただけで
次に行くのではなく、
料理と同じように
一口一口をじっくりと
「味わう」もの。


まさに人生とは
ブラフマンから与えられた
「味わい」なのです。


悲しみや苦しみの中にも
味わいがある。


ささいなものの中にも
深い味わいがある。


それを感じられるかどうかなのだと。


そして、万物にラサがあるのだから
自分自身の中にもラサがあるのです。


それは、ブラフマンなのです。


そして、そのブラフマンを
基盤とすることが心の軸となり、
ヨーガの八支則の
ヤマ・ニヤマに繋がるのだと
先生は仰りました。


ブラフマンはラサなり。
人生もまたラサなり。


楽しい時は、その楽しさを味わう。
悲しい時は、その悲しさを味わう。


幸せな時も、苦しい時も、
どちらも同じ「味わい」なのです。


たとえどんな味でも、
そこに人生の深みが、
ブラフマンがあるのです。


とても大切なことを教わりました。


今、この瞬間の味わいを
あますことなく
しっかりと味わえるように、
自分自身の人生を「味わう力」を
磨いていきたいと思います。


皆さまもぜひ
今この瞬間に潜んでいる
深い「味わい」を、
純粋に、そして全力で
「味わう」ことを
意識してみてください。


そしてその「味」の豊かさを、
あなたの「人生」の豊かさを、
感じていただけたらと思います。


長谷川先生は亡くなられましたが、
先生が教えてくださったこと、
先生から学んだ「味」は
これからもしっかりと
お伝えしていきたいと思います。