
眞田雅則さんがこの世を去ってもうすぐ3日。
未だに信じられないし、受け入れたくもない現実ですが、明けて今日が葬儀。
そういう日に思い出話を書いてしっかりとお別れをしないといけないと思い、書きます。
選手としての眞田さんに関して言いたいことはこれだけ。
最高のゴールキーパーでした。
失点しても眞田が止められなかったんだから仕方ない、そう思えたGK。
残念ながらそんな眞田さんの領域に肩を並べるようなGKは未だに出てきていません。。
そんなプレーに関しての思い出は皆さん十分お持ちだと思うので、ここからは個人的な思い出話。
この十数年の間に、蛇塚や三保、そして日本平等で何度となく眞田さんにサインを頂き、
時にはお話させていただくこともありましたが、そんな中で特に思い出に残っている話です。
一つ目は1996年9月。
ナビスコカップ決勝戦を数日後に控えた蛇塚グラウンドの話です。
その日は、数日前に購入したチケットホルダーを持っての練習見学。
練習終了後、眞田さんが見学者エリアに近づき、サインに応じて下さいました。
チケットホルダーの裏面にサインを書いた眞田さんは
「これカッコいいなぁ」と呟き、書いたのとは逆側、つまりチケットを入れる側を見たんですが、
その時既にそのチケットホルダーにはこのチケットを入れてありました。

眞田さんがチケットを見たので
「決勝戦、行くので頑張って下さい」というありきたり過ぎる言葉を掛けたところ、
「ありがとう、頑張るよ」と返して下さいました。
そして迎えた9月25日・決勝戦。

PK戦を迎える直前、我々のゴール裏に向かって伝説のあのポーズ。
それを見た瞬間、数日前の「頑張るよ」という声が頭の中に響き、
身震いしたのと同時に絶対に勝てると確信しました。

それから15年。毎試合使っているのでほとんどサインは消えてしまっていますが、
眞田さんと掴んだ初タイトルの思い出と共に、今後もこのチケットホルダーを使い続けるつもりです。
2つ目は引退試合直後の2004年末、三保グラウンド。
ユースコーチ時代、そして今年はお会いしてお話しする機会は残念ながらなかったので
今思えばこれが眞田さんに頂いた最後のサインでした。。

サインを頂いた直後、「お疲れ様でした」と、またしてもありきたり過ぎる言葉を掛けると
「今まで(応援)ありがとう」と返して下さいました。
お礼を言いたいのは完全にこちらの方なのに、単なる一ファンにそういう応対をして下さる眞田さん。
良い人ほど早く…というのが本当にそうで、残念でなりません。。。
そして最後のエピソード。
これに関しては「神様からのプレゼント」としか思えない話です。
1997年3月。この年はリーグ戦の前にナビスコカップが開幕したんですが、
その開幕戦の平塚戦(日本平)で開幕記念Tシャツが発売され、
それを購入するとくじ引きが出来るというので購入したところ、
引いたくじに書かれていた番号と同じ番号の書かれた安っぽいビニール袋を手渡されました。
100均のレジ袋のようなその袋を見て、中身には全く期待していなかったんですが、
開けたところ出てきたのが

「1」と書かれたアップシャツと

同じく「1」と書かれたハーフパンツ。
この年から練習着スポンサーがフコク生命から清水銀行に変わった為、
前年まで使用していた練習着をこの抽選の賞品にしていたようで、
その中の1番、つまり眞田さんが使用していた練習着セットを当てたということです。
そして約1ヶ月後、その日は日本平で練習だったので原付に乗って見学に行きました。
当時のエスパルスは今と比べて練習見学者が桁違いに少なく、
この日も日本平での練習だというのに、50人位しか居なかったはず。。
そして練習終了後。
ロータリーの片隅に止めた原付に跨って引き上げてくる選手を出待ちしていましたが、
数少ない出待ちの人はもっと関係者出入口に近いところに陣取っていたこともあって
ロータリー周辺で選手を待っている人は他に誰も居ないという状況。
そして大半の選手が帰ったあと、引き上げてくる眞田さんの姿を確認したので
原付から離れ、サッカー少年像の近くで眞田さんを呼び止めました。
くじ引きで当たったとかいう話をしながら練習着の上下両方にサインを頂き、
一度はお礼を言って眞田さんの元を離れたんですが、
たまたま原付を停めてあった方向に眞田さんの車も停めてあったようで同じ方向へ。
そこで咄嗟にくだらないことを思いついたので、
原付の横あたりに来たときに眞田さんにもう一度声を掛けて、
原付にサインを頂きました

正確に言うと、原付に貼ってあったエスパルスのエンブレムシールの上にサインを頂きました。
「このバイク、俺の名前を書いたら俺のものになるの?」
と、真剣な話の時も冗談の時もあまり変わらないあの落ち着いた口調で言われたので
冗談だと分かっているのに上手い返しが出来なかった自分が情けないです。。
ちなみに、その原付はそれから1年ほどで走行中に急にエンジントラブルに見舞われて廃車に。。
修理に行ってそのまま戻ってこずに廃車になった為、
残念ながらそのシールを剥がして手元に残すことは出来ませんでした。
その後に乗り始めたのが現在も乗っている原付ですが、こちらも眞田さんのサイン入りでした。
さすがにそれに関してはサインをステッカーに頂き、それを原付に貼るという方法でしたが…
ただ、さすがにこれは長年風雨に晒されたで完全に消えてしまいました。。
話をサインを直接書いてもらった時に戻すと、書き終わった後の眞田さんが掛けて下さったのはこの一言。
「気をつけて帰ってね」。
もう、本当になんでこんな方が早く逝かなければならないのか…

本音を言えば祈りたくないけれど…
でも、けじめをつけないと。。
眞田雅則さんのご冥福を心よりお祈りします。
ありがとう、勇気の守護神!