昨日ふと思った



『弁当入れるの嫌じゃな

くなってるびっくり



 

子どものお弁当、

入れ続けて9年目にしてキラキラ

 





 



こんにちは。
うえはらさゆりです。
 

子どもの中学から始まったお弁当作り

ずっと苦痛だった

 

なのに、

なんで嫌じゃなくなったのか?

 

 

 

ニコニコ「前より時間が遅くなったからじゃないの?」

と、娘

 

朝早いのは苦手だからねー

単純にしんどい

 

確かにその通りグッ

 

 

でもそれだけじゃない

 

 

 

 

元々料理はそんなに嫌いじゃないのに、

なぜ弁当は嫌だったのか?

 

 

 

『毎日栄養を考えて、きちんとお弁当を入れなければならない』

『子どもにしっかり食べさせるのは母親の役割』

 

と思い込んでいたから

 

部活の母たちの会では『弁当をきちんと入れるよき母』が推奨される風潮があり、

その神話を信じて自分に課していたんだろうなぁ

だから、眠いときもしんどいときも

「食堂で食べて」とか、「買って食べて」などと言わずに

役割らしきものを全うしてた

実際そんな人は少なかったらしい、と後で知ったんだけど爆笑

 

 

そんな縛りがあったら

苦しくなる、嫌になる、

 

今となっては当たり前のこと

 

 

では、

その縛りどこからきた?

 

 

昔から母に、

母親は家の太陽、元気で笑ってないと、『えらいことになる』

 

子どもの健康を作るのはのは母親の役目、さぼると『えらいことになる』

 

食事一食一食を大事にしないと『えらいことになる』

 

って言われ続けてきていた

 

 

『えらいことになる』ってなんやねん!笑い泣き

 

 

それで自分の中に

→しんどくても頑張らなくてはダメ

→栄養豊富なものを毎日作らなきゃ

→お弁当毎日、がんばって作らなきゃ

 

と思い込みを作り上げ

自分を縛る材料にしてた、ということなのだ

 

 

子どもが病気で入院したりいろいろあって、

『えらいことになった』と思ったし、

悲しさと恐怖が強すぎて

『母としてちゃんとしなくちゃ、もっともっと…』って強く思った

 

自分の思い込みを強化させてしまったんやね

 

 

 

 

 

それが、

2年前の今ごろ、

心屋マスターコースに通うようになり、同期たちとの飲み会に参加して

 

 

私「明日早いからもう帰るわ、子どもの弁当入れなあかんし」

 

同期「一日ぐらいパンでもええやん」

「やりたくないことやめる」

「毎日やるって決まってるわけじゃない」

「たまには子どもにやらせてみたら?」

 

 

そんなやり取りがあり、、、

 

 

 

『弁当を入れるのは、私の役割というわけではない』

『ちゃんとやらなきゃダメって自分で思い込んでいるだけ』

 

 

自分の思い込みをはずすため、

少しずつ時間かけて実践してみ

 

 

 

 

しんどい時は無理をせず

娘に任せて

 

寝坊した時も無理せず

娘に任せて

 

 

 

 

はじめは罪悪感がわいたけど

 

 

 

結構楽しそうに作ってたり、

慣れてきて手早く作るようになった娘を見ると

 

「これでもいいんや」

って思えるようになった

 

 

娘は、私が手伝おうとすると

「ごちゃごちゃ言われたくない、

出来映え関係なく一人でしたい」

と言う

 

だから、全面的に任せる日も増え

 

 

「食材、何でもあるから明日弁当よろしく」

 

と言えるようになり…

 

 

面倒だな、と思った時は任せるようになった

 

 

一週間続けて作らないときもあった

 

 

 

 

そうやって

『私がしてもしなくてもいい』

経験を自分の中にすこしずつ積み上げてきた

 

 

 

 

弁当以外にも何度も手を変え品を変え

『自分を縛るのは自分』と気づかされることが起こり

 

その度、呪文のように唱え続けてたら…

 

 

強くあると思っていた、母からの呪縛さえもただの思い込みだったことに気づき、

もうどうでもいいことに変わってきた

 

 

 

 

そんなこんなで

飲み会生ビールから2年

 

 

2年!?そんなに時間が経ってたのか!?

よく粘ったなー私照れ

 

 

 

 

 

ようやく

 

子どもの弁当、

私が入れても入れなくてもどちらでもよい、

と本気で思えるようになった

 

やらなくても何とかなるし

ちゃんとやらなくても大丈夫

 

 

 

そしたら、

弁当作りが本当に苦にならなくなった

それどころか時々楽しくなるときもあるぐらいハート

 

 

気づいたら、

軽~い気持ちで毎日やってる音符

 

 

ビックリするよねーびっくり

 

 

『今日はいい感じの弁当!写メ撮ろう』

『スピーディーで手際よくない?私すごい!』

 

とか、鼻歌交じりでルンルン

 

 

 

 

 

何でもそう

 

『~べき、ねば、あかん、でないとダメ』

 

がなくなると、

背負いや気負いがなくなるから、

ラクになるキラキラ

 

ラクになると気持ちも身体も軽くなる

 

楽しくなって自分からやりたくなる

 

 

その過程で、人がどうかとか全く関係なくなる

『自分がどうか』しかなくなる

 

 

 

どんどん変わっていくキラキラ

 

 

ほんま、不思議よねーラブ

 

 

 

 

 

 

 

たかが弁当なのだけど

私を構成する、まぁまぁ大きな思い込みがあった

 

体感するまでに、

ホントに長い時間がかかったー

 

 

 

『石の上にも3年』

 

とも言うから、

まだあと一年ぐらいはうだうだやるのか?

→そういう意味違う笑い泣き

 

 

 
 

まぁ、これからも自分のこと、

辛抱強く見ていくことにしますグラサン