携帯ブッ壊れてたので
ペタ&コメント出来ずで申し訳ないですm(_ _)m
えっパソコンあるやろって
ダァ♂が仕事で使ってるから使えないんどす
本日お休みやったんで、携帯復活させてきやした
今日は出先なんで明日、皆様のとこへ遊びに伺いますので
あっ先にペタからやっつけるので、
コメントは時間かかるかもしれませんが怒らないでね
1月17日、5時46分…
あの日の出来事は、
昨日のことのように思い出します。
阪神淡路大震災から13年…
あっという間だったような、そうでないような感じかなぁ。
毎年いろんな特集番組等やってるけど、
少し複雑な気持ちになっちゃいます。
当時、カップルや友達数人と遊び感覚で
現場を見にきてた人達がいたけど、
怒りを通り越して悲しくなった覚えが…。
1月17日、
私はいつものようにベットで寝てました。
一瞬、体が浮いたような感覚で(ホンマに浮いてたと思う)
メチャクチャ揺れてる…。
私は兄が嫌がらせでベットを蹴ってるのかと思い、
『やめろやボケッ』
っと起き上がったら、誰もいない…。
何?っと、呆気にとられてたら
起き上がってなかったら
私が寝ていたであろう場所にタンスが倒れてきて呆然。
(目が覚めてなかったらマジやばかったかも)
寝起きだった為、地震だと気付くのに数秒かかりました。
私が住んでた地域は、家の中はメチャクチャやけど、
家が崩れたりといった酷い被害が少なかったので、
『凄い地震やったなぁ。
目が覚めんかったら危なかったわ。
お父さん大丈夫かなぁ?』
っと、
普通に話しながらテレビをつけたら
(すぐテレビ見れなかったけど)
衝撃的な映像が目に飛び込んできました…。
一瞬、夢かと思い、我が目を疑いました。
当時は携帯を持ってる人が珍しく、
外からの連絡手段は公衆電話からがほとんど。
案の定、使える公衆電話は長蛇の列。
父も長い列に並び連絡がついたのは、
地震から数時間後。
崩れ落ちた高速道路を父は毎日通っていたのですが、
地震がおこる30分前に通過してたみたいで無事でした。
父はいつも早過ぎやろってくらい、
早め早めに行動する人なんで。
父の無事は確認できましたが、通れる道が少ないので大渋滞…
父が帰宅できたのは地震から約2日後。
が、ほとんど寝る間もなく再び会社に出勤してました。
(帰宅したけど1~2時間ほどで会社から呼び出し )
親戚や仲の良い友達は
被害の酷いとこに住んでたので、
心配やから何回も電話したけど
発信規制があったためか繋がらず…。
当然、学校も休みで(行く気なかったけど)
家でジッとしてるなんて出来なかった私は、
兄のバイクを無断で借り
(震災の時は無免許でも捕まらなかったので…。
普段ならメチャクチャ怒られるけど、
状況が状況なので親も黙認…)
お水や食料等、持って行けるだけ持って行きました。
バイクを走らせれば走らせるほど、
見慣れてるハズの景色がなく、まるで戦場…
何故か涙が溢れてきました。
あの時の光景は今でも目に焼き付いてます。
当時まだ10代、友達が亡くなったり、
好きだった人が亡くなったり…
現実を受け止めるのに時間がかかりました。
友達が亡くなった時の状況が載ってる記事を読んでも、
亡くなったという実感がわかなかった。
友人の母親は瓦礫の下敷きになってましたが、
時間さえあれば救出できたと思います。
だけど、周りはまだ火の海で…
息をしたくても思うように息が出来ない、
熱いというより痛い。
周りの人達も、これ以上は無理や…
っと、泣き叫ぶ友人を無理矢理、
離れた場所へ連れて行きました。
助けたくても助けられない。
自然の前では人間は無力なんやと感じました。
『なんで私が死ななあかんねん』
っと叫んだ
友人の母親の最後の言葉が忘れられません…。
好きだった人は遺体が見つからず、
死体置場(山積みの中)を
必死に捜しまわったのを覚えてます。
10代の頃の幼い恋でしたが、
今、思い出しても辛いです。
今でも少し揺れただけで当時の記憶が甦り
怖くて震えが止まらず泣きそうになります。
阪神淡路大震災から13年…
今でも立ち直れてない方は沢山いらっしゃるんですよね…。
1月17日は忘れられない日、
忘れちゃいけない日。
阪神淡路大震災で、
お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りいたします。