昨日(10月1日)、「写経会」(『仏説阿弥陀経』13回目)をしました !!

時間は、朝の10時から11時半までです。

 

まずは、おつとめ(礼讃文・仏説阿弥陀経・私たちのちかい)をしました。

その後、写経していただく部分を住職がお話ししました。

そして、みなさんに写経していただきました。

 

 

◎お話は、「六方段(ろっぽうだん)」と「仏壇の歴史、仏壇のおかざり」についてです。

 

①「六方段(ろっぽうだん)」について

*六方段とは、六方(東・南・西・北・下・上)におられるガンジス河の砂の数ほどの多くの仏さま方が、阿弥陀仏のお徳(智慧)を讃嘆し、そのお救い(慈悲)が真実であると証明していてくださっていること。

また、ガンジス河の砂の数ほどの多くの仏さま方が、すべての衆生に「阿弥陀仏のお救いを信じ、念仏申して生きていくこと」をお勧めくださり、その通りに念仏申して生きるものを護ってくださるということです。

 

私は思います。阿弥陀仏のお徳(智慧)とお救い(慈悲)に対して、すべての仏さまが ” いいねボタン ” を押してくださっているのだと…。

そして、私たちは ” いいねボタン ” がガンジス河の砂の数ほど押されているのを知って、阿弥陀仏のお徳(智慧)とお救い(慈悲)を信じる身へと育てられるのです。

 

②「仏壇の歴史」と「仏壇のおかざり」について

*「仏壇の歴史」

仏壇とは、もともと仏像を安置する壇場のことで、本堂内に土を盛ったり、石を積み重ねたりして造られた高い壇のことでした。

それが鎌倉時代の頃より、仏教の世界観に基づいて、その中心にあるとされる須弥山(しゅみせん)を模して造られるようになり、寺院の仏壇は須弥壇(しゅみだん)と呼ばれるようになりました。

そのため在家で念持仏を安置している壇場だけを仏壇というようになり、それが今、私たちが仏壇と呼んでいるものにつながっているのです。

 

奈良時代の白鳳4年(685年)に、天武天皇が「家ごとに仏舎(仏壇)を置くように…」との詔を発したと『日本書紀』に出てくるそうですが、実際に在家に仏壇が置かれるようになったのは江戸時代からだといわれています。

 

*「仏壇のおかざり」

・浄土真宗では、中央に本尊の阿弥陀如来(または南無阿弥陀仏)を、右脇に宗祖・親鸞聖人を、左側に中興の祖・蓮如上人を安置することになっています。

・お花は、造花でなく生花をお供えします。(注意 : トゲや毒があるものはお供えしません。)

・仏飯は、朝お参りする前にお供えして、昼までにお下げします。

・線香は、香炉の大きさに合わせて2本から3本に折り、寝かせて焚きます。

・経本、念珠、式章は、丁寧に扱い、畳や床の上に直接置かないようにします。

・過去帳は、ご先祖の記録を記すものです。普段は仏壇の引き出しに入れておくか、仏壇の中央を避けて右下か、左下に置きます。(尚、浄土真宗では位牌は用いません。)

などなど、お話ししました。

 

 

お仏壇のお飾りについて色々と書きましたが、一番大切なのはご本尊の阿弥陀仏をお敬いする気持ちです。この気持ちが抜けると、いくら決められた通りにお飾りがなされていても、意味がなくなります。共々に気をつけましょう。

 

*次回の「写経会」は、11月1日(月) 午前10から11時半です。

  お問い合わせは、明円寺まで (電話 0823-21-4103)。

  よろしくお願いします お願い(合掌)。