今日(9月1日)、「写経会」(『仏説阿弥陀経』12回目)をしました 。
時間は、朝の10時から11時半までです。
まずは、おつとめ(礼讃文・仏説阿弥陀経・私たちのちかい)をしました。
その後、写経する部分について住職がお話しをしました。
そして、みなさんに写経していただきました。
◎お話は、「六方段(ろっぽうだん)」と「仏教の基本(三宝、四諦)」についてです。
①「六方段(ろっぽうだん)」について
六方段とは、六方(東・南・西・北・下・上)におられるガンジス河の砂の数ほどの多くの仏さま方が、阿弥陀仏のお徳(智慧)を讃嘆し、そのお救い(慈悲)が真実であると証明していてくださっていること。
また、ガンジス河の砂の数ほどの多くの仏さま方が、すべての衆生に「阿弥陀仏のお救いを信じ、念仏申して生きていくこと」をお勧めくださり、その通りに念仏申して生きるものを護ってくださるということです。
私は思います。阿弥陀仏のお徳(智慧)とお救い(慈悲)に対して、すべての仏さまが ” いいねボタン ” を押してくださっているのだと…。
そして、私たちは ” いいのボタン ” がガンジス河の砂の数ほど押されているのを知って、阿弥陀仏のお徳(智慧)とお救い(慈悲)を信じる身へと育てられるのです。
②「仏教の基本(三宝、四諦)」について
*三宝(さんぼう)とは、仏(ぶつ)・法(ほう)・僧(そう)の三つのことです。
仏教徒が最も大切にしないといけないものです。
・仏…真実に目を覚ました人、さとりを開いた人、覚者(かくしゃ)のこと。
・法…仏さま(覚者)が説く教えのこと。
・僧…仏さま(覚者)の教えを信じ、その教えを依りどころとして生きていく人々のこと。
この仏・法・僧の三宝がそろって教団(お寺)が成り立っていくのです。
また、この仏・法・僧の三宝を住持(とどめ護ること)していく職(務め)を住職というのです。
*四諦(したい)とは、さとりを開かれたお釈迦さまが初めて説かれたお説教のことです。
このお説教のことを初転法輪(しょてんぼうりん)といいます。
・苦諦…四苦(生・老・病・死)。思い通りにならないこと。
・集諦…煩悩(貪欲・瞋恚・愚痴)。身勝手なものの見方。
・滅諦…涅槃(煩悩の火が吹き消された清浄な世界)。さとり。
・道諦…道諦(正見、如実知見)。正しく、ありのままにものを見ること。
・苦諦と集諦は、迷いの因果。
私たちは、生老病死という現実だけでなく、さまざまなものを、自分の思い通りになってほしいと欲深く見て(貪欲)、その現実が自分の思い通りにならなければ腹を立てて悔やむのです(瞋恚)。そして、私たちは、いたずらに貪欲と瞋恚を繰り返し、自分の身勝手なものの見方を省みることをしないのです(愚痴)。
・滅諦と道諦は、さとりの因果。
現実を自分の身勝手な思いを離れ、正しく、ありのままに見ることです。すると、どのように抵抗しても、生まれたからには死は避けられないことが自ずと明らかになります(道諦)。
その結果、自分の死を受け入れ、命に限りがあることを知って、今の一瞬一瞬を大切に自分の命を生きるという、新たな自分が生まれるのです(滅諦)。
最近、トンボが飛ぶようになりました 。
今までは、” もう秋なのだなぁ ” と悠長な思いで見てたのですが、トンボがメダカを飼っている瓶の中に卵を産み、その卵からかえったヤゴがメダカを食べることが分かってからは、トンボを悠長な思いで見られなくなりました。
” トンボのやろう ”
決してトンボが悪いわけではありません。 みな一つの命を懸命に生きているのです。
四諦のお話を偉そうにしていながら、私はどこまでも身勝手な思い(貪欲・瞋恚・愚痴)から抜け出せずにいます。 これは生涯変わることはないでしょう 。
だから私は死ぬまで苦しみを抱えて生きていくのです。 きっと… 。
*次回の「写経会」は、10月1日(金) 午前10から11時半です。
お問い合わせは、明円寺まで (電話 0823-21-4103)。
よろしくお願いします (合掌)。