第7回 GS倶楽部
「Beep」にはときどきゲームミュージックが収録されたソノシートが付録に付いていた。
このアイデアは、初代編集長豊田さんの発想だと思う。
当時自社タイトルのゲームミュージックに商業的価値があると考えているゲーム会社は、
それほど多くなかった。もちろん社会的な文化的価値などほとんど認められていなかった。
ゲームミュージックのソノシートを制作する場合、ゲームタイトル別に音源データがあるわけではなかったので、ゲーム基板やチップの端子にクリップを付けてダイレクトに録音していた。
話は変わるが、1980年代末まではゲーム画面の撮影は、アナログカメラで行っていた。
ゲームの攻略ともなると36枚撮りのフィルムで数本以上になることはざらで、マップ作りともなると、現像所から届けられた写真を1枚ずつ切り取りそれを繋げていく作業になった。作業はおもにライターや編集者が行っていたが、彼らのことを通称マッパーと呼んでいた。
雑誌や攻略本で掲載されていたマップが曲がっていたりしたのは、マッパーの未熟な技術のせいである。
さて、ゲームミュージックに話を戻すと、私が企画・監修した書籍に「GS倶楽部 」(ゲームサウンド倶楽部の略)という本があった。
編集作業は、「Beep」の編集スタッフだった白勢さんが行ったが、この本は、おそらく日本初のゲームミュージックに関する書籍だったのではないだろうか。
ゲームミュージックに関して原稿が書けるあらゆるライターに原稿を依頼し、編集部でそれらを継ぎ接ぎしながら一冊にまとめた。
ちなみに「すぎやまこういちのゲーム大博覧会」や「RPG幻想辞典・日本編」も私が企画・監修、白勢さんが編集した書籍である。
このアイデアは、初代編集長豊田さんの発想だと思う。
当時自社タイトルのゲームミュージックに商業的価値があると考えているゲーム会社は、
それほど多くなかった。もちろん社会的な文化的価値などほとんど認められていなかった。
ゲームミュージックのソノシートを制作する場合、ゲームタイトル別に音源データがあるわけではなかったので、ゲーム基板やチップの端子にクリップを付けてダイレクトに録音していた。
話は変わるが、1980年代末まではゲーム画面の撮影は、アナログカメラで行っていた。
ゲームの攻略ともなると36枚撮りのフィルムで数本以上になることはざらで、マップ作りともなると、現像所から届けられた写真を1枚ずつ切り取りそれを繋げていく作業になった。作業はおもにライターや編集者が行っていたが、彼らのことを通称マッパーと呼んでいた。
雑誌や攻略本で掲載されていたマップが曲がっていたりしたのは、マッパーの未熟な技術のせいである。
さて、ゲームミュージックに話を戻すと、私が企画・監修した書籍に「GS倶楽部 」(ゲームサウンド倶楽部の略)という本があった。
編集作業は、「Beep」の編集スタッフだった白勢さんが行ったが、この本は、おそらく日本初のゲームミュージックに関する書籍だったのではないだろうか。
ゲームミュージックに関して原稿が書けるあらゆるライターに原稿を依頼し、編集部でそれらを継ぎ接ぎしながら一冊にまとめた。
ちなみに「すぎやまこういちのゲーム大博覧会」や「RPG幻想辞典・日本編」も私が企画・監修、白勢さんが編集した書籍である。