第2回 ゲーム雑誌全盛の頃
「Beep」発刊当時ゲームをプレイする環境は、おもにPC-8801、X1、FM-7、MSX(1987年からX68000が加わる)などのパソコン、ファミコンやセガマークⅢ(1987年からはPCエンジンが加わる)などのゲーム機だった。
ゲームファンは、いろいろな選択肢の中から、親にパソコンを勉強するという言い訳をしてMSXを購入したり、近所の玩具店にファミコンが売ってなかったので仕方なくマークⅢを買ってしまったとか、それぞれの事情でマシンを購入し、それに対応したゲームソフトを購入してゲームをプレイしていた。
各マシンには、それぞれ専門の情報誌が発行されていて、とくにパソコン情報誌の数は多かった。
その中で「Beep」というコンピュータゲーム雑誌が1985年の1月に創刊された。
それまでソフトとハードの情報を掲載するハード専門誌は発行されていたが、ゲームというカテゴリーに絞り機種を問わず情報を掲載する雑誌はなかった。
その半年後に「ファミリーコンピュータマガジン」が創刊され、ゲーム専門誌で初めて100万部を突破することになるが、これ以降多くの出版社から続々とゲーム雑誌が発行されるようになる。
中には「ハイスコア」「ファミコンチャンピオン」「MSX応援団」などのように1990 年代になると消えてしまう短命で、しかも懐かしい雑誌もあった。
余談だが「ハイスコア」の編集者だった福島さんは、その後有名美少女ゲーム誌の編集長になった。
「ハイスコア」は、自社タイトル「ゾンビハンター」の攻略にどの雑誌よりもページを割いていた。音声入りの珍しいファミコンゲームだったが・・・。
