「ヤングジャンプ」元編集長 角南攻の編集バカ一代記 | スナミちゃんのひとこと

 

【創刊の時から編集者として携わった週刊少年ジャンプ(1968年創刊)表紙の「トイレット博士」は1969年 - 1977年に大ブレイクした。「トイレット博士」の中のスナミ先生は角南攻がモデルである)】

 

 

 

(創刊スタッフの一人であり、初代副編集長から編集長(1984-1992)となる週刊ヤングジャンプ・1979年創刊)

 

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【「少年ジャンプ」と名づけた男・メタクソ編集王/角南攻著 より】

 

担当は、漫画だけではない。この頃の「少年誌」は「すべてが少年漫画の雑誌」ではない。「少年のための(漫画中心の)総合誌」だから、記事ページもメチャ多かった。

中でも思い出深いのは「努力・友情・勝利」という連載取材読物である。

毎号、著名人3人が少年のためにこのテーマで語るもの。取材・撮影・原稿執筆すべてを一人でこなす。(略)沢田研二(ザ・タイガース)、萩割健一(ザ・テンプターズ)、青島幸男(放送作家、のちに東京都知事)(略)など。

1ヶ月で3人取材というハードさを経験することで「編集力」がメキメキついてくるのを実感。雑誌に載せるにはどういう内容をどれくらい聞けばよいのか。漫画の原稿用紙一枚は雑誌の1ページそのままだが、取材記事だとタイトル部分・写真・活字などを組み合わせて微妙に調整するので、レイアウトの感覚も鍛えられてくる。

 

【つづきはこちらで】

 

下矢印

 

 

【「少年ジャンプ」と名づけた男・メタクソ編集王」 角南攻著】

 

「メタクソ編集王」発売記念講演会&サイン会

荻野真先生(左)との対談にて(2014)

 

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「少年ジャンプ」と名づけた角南攻の編集一代記が、生の声でリアルに語られている貴重な映像です。とりいかずよし先生、永井豪先生、手塚治虫先生、赤塚不二夫先生など漫画家先生との秘話や、当時ならではの時代が生み出す破茶滅茶な話などを、角南攻が熱く熱く語っております。とにかく最高に面白いトークです!!

 

是非是非、皆さまお聞きくださいませ!!

 

下矢印

 

 

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角南攻の著書「スナミちゃんの超能力研究室」も最高に面白いですビックリマーク

 

例えば…………

 

【File7「!この目で見たホンモノの7人の妖精!!】

 

「小1の夏休みに要請に遭遇した!!』

 

小1の夏休みだったと思う。

ラジオ体操の帰路、早朝なのにうだるような暑さの中をボンヤリと、幅2メートルほどの小川の水面を見つつ歩いていた。

と、川辺のムラサキツユクサの中に、なんと7人の妖精がいるではないかァ!?

身長8センチほど、背中に蝶のような透明な羽が生え、赤・青・緑・黄と、7色のバレエ衣装を着た女の子たちが羽ばたいていた。ディズニーアニメも海外の絵本もほとんどない時代だから、ただ不思議で、呆然と目をみはるばかり。

突然、妖精がくるりと振り向き、ボクの目線が合った。その瞬間、視界全体がモノクロに変わり。静止画状態に!!

いやあ、驚きましたァ。

 

(つづきはこちらで)

 

下矢印

 

 

例えば…………

 

【File9「鼻の穴に入り込む超小型UFO出現?!」】

【File17「この目で見たアメリカのサイキック捜査!!」】

【File20「生霊の正体は体外離脱した幽体だった!!」】

【File21 「体外離脱すれば、超能力者になれる!!」

【File27「夢を利用して超能力者になる!!」】

 

File44まで。

 

「スナミちゃんの超能力研究室」ムー連載中の角南攻

 

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角南攻は愛知県名古屋市生まれということもあり、幼少の頃から大の中日ドラゴンズファン。「われらマスコミドラゴンズ会」では会長も務めさせていただきました。

 

ドラゴンズ会の最後のお決まり

 

フレー!

フレー!

ド・ラ・ゴ・ン・ズ!!!

 

という角南攻の熱い応援コールはドラゴンズ会の名物であり、ドラゴンズ会にはなくてはならないものでした。

 

 

中日ドラゴンズを熱く応援する角南攻 

 

 

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角南攻の秘話 No.29


「面白ければそれでいい」は角南攻の口癖のひとつでした。

その言葉通り、角南攻の周囲は360度面白さに包まれていました。

なんといってもメチャクチャ明るい性格の角南攻でした。

 

        ある年の節分にて

 

 

 

 

角南攻の直筆