(創刊の時から編集者として携わった週刊少年ジャンプ・創刊は1968年)
1968年の春、集英社に入社したボクが、少年誌編集部に配属されて半月たったある日。小柄だが異様な元気さで、社内じゃ「チビッ子ギャング」と異名をとる長野規(ながの・ただす)編集長が、ツカツカとボクの机に歩み寄ってきた。ヤバッ。「スナミィ、新雑誌のタイトルを3つ書いてみろ。15分以内に提出だ!」と、3枚の紙を渡された。(テストですかァ? すでに決定している新雑誌のタイトルを当てろってかァ)
【「少年ジャンプ」と名づけた男・メタクソ編集王/角南攻著 プロローグより】
(つづきはこちらで)
【「少年ジャンプ」と名づけた男・メタクソ編集王」 角南攻著】
(編集者から編集長となる週刊ヤングジャンプ・創刊は1979年)
(ノベルティグッズやイベント、学園祭。ヤングジャンプは青年の生活に入り込んだのがライバル誌と全く異なる点。雑誌の外にある若者たちの熱気をグラビアや漫画に取り入れ、1980年代の青春誌界を独走!上はサマー合宿の様子)
「メタクソ編集王」発売記念講演会&サイン会
荻野真先生(左)との対談にて(2014)
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「少年ジャンプ」と名づけた角南攻の編集一代記が、生の声でリアルに語られている貴重な映像です。とりいかずよし先生、永井豪先生、手塚治虫先生、赤塚不二夫先生など漫画家先生との秘話や、当時ならではの時代が生み出す破茶滅茶な話などを、角南攻が熱く熱く語っております。とにかく最高に面白いトークです!!
是非是非、皆さまお聞きくださいませ!!
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角南攻の著書「スナミちゃんの超能力研究室」も最高に面白いです
例えば…………
【File1「永井豪ちゃんが語る時空を超えた記憶の怪!!】
「永井豪ちゃんは世界の『漫画の神様』
日本では、手塚治虫は漫画の神様、赤塚不二夫はギャグの神様、梶原一騎は原作の鬼神、この50年余り、常に先頭に立ち、漫画大発展の道を切り開いたのはこの偉大な3巨匠である。一方、世界で「漫画の神様」と呼ばれているのは、永井豪である。とくにヨーロッパの漫画ファンにとっては、神様以上の偉大なる存在。日本の首相より有名人なのだ。その理由は、約30年前に大ヒットした『マジンガーZ』のテレビアニメが、イタリア、フランスのテレビ局でタダ同然というより、まったく無料で放映されたこと。なんと90パーセントの高視聴率で、欧州の子どもたちの人気を独占した。
(つづきはこちらで)
例えば…………
【File6「超能力を使ってラスベガスのカジノで大当たり?!」】
【File7「この目で見たホンモノの7人の妖精!!」】
【File12「UFOに遭遇すると超能力が発言する?!」】
【File13「UFOとスプーン曲げブーム」】
【File25「『夢日記』で潜在意識をコントロールする!!」】
File44まで。
「スナミちゃんの超能力研究室」ムー連載中の角南攻
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角南攻は愛知県名古屋市生まれということもあり、幼少の頃から大の中日ドラゴンズファン。「われらマスコミドラゴンズ会」では会長も務めさせていただきました。
ドラゴンズ会の最後のお決まり
フレー!
フレー!
ド・ラ・ゴ・ン・ズ!!!
という角南攻の熱い応援コールは、ドラゴンズ会の名物であり、ドラゴンズ会には、なくてはならないものでした。
中日ドラゴンズを熱く応援する角南攻
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角南攻の秘話 No.21
どんな時でも、目の前にいる人をきちんと見つめ、話をしていました。少しでも勇気づけ希望を抱かせることを信条としていました。会合などが終わると、皆、意気揚々と歩いている姿が今でも印象的に残っています。
角南攻の直筆
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