こんにちは★

 

 

3月29日にNHKで放送された
【草なぎ剛のニュースな街に住んでみた】

 

 

結構深い題材だと思うんですが

すごく見やすい番組になってました。




印象に残った場面を簡単に★





 

 

韓国・ソウル

 

 

<初日の夜、食堂にて>

 

草なぎ「去年、新しく出発したし、何かこう、もう一度、何か忘れていた・・・簡単に言うと忘れていた情熱とか、そういうものをちょっと自分、あったよなと思って。

もう一度、自分を見つめ返すっていうね、自分の中でのね、裏テーマみたいなのが、実はあるんですよ。実は、はい。

今、僕、43なんですけど、35~36とかだと何か、自分探しの旅とかってちょっと何か、ちょっとむずがゆいところが・・・

 


柳澤「言葉が独り歩きしているようなイメージ」

 


草なぎ「そう。あるんだけど、今ちょっとしっくり来てる。何か、うん。」

 



 


一緒に同行する柳澤さんは、湾岸戦争(1991年)の時、多国籍軍が攻撃するイラクのバグダッドにいた。

頭の上をミサイルが飛んでいく所での取材をされていた方。

 

 



~街に住んで2日目~

 

草なぎさんと韓国の出会いは17年前。

韓国語を勉強して、テレビ番組に出演。人気者に。

街に溶け込んで、多くの人と出会ってみたいと考えていた。

 


 

ファンで役者の方の舞台稽古「大阪で過酷な日々を生きる在日韓国人の物語」を見たり


北朝鮮について話を聞く。

 


 

教会に集まる北朝鮮に故郷を持つ人たちの話を聞く。

朝鮮戦争で、国が南北に分断され帰れなくなった人々・・・失郷民。

 


 

108 空の階段を登る。

作ったのは日本。

日本が韓国を支配していた時代。

その時代に階段の上に京城護国神社をつくった。

神社にたどり着くために、階段の数が108。

 


1910年 日本が韓国を併合。

この街は、その拠点。


 

「あなたは大変難しいことをされようとしています。
この場所を知りたいと思うことは、この国の暗い部分をのぞくことなのです。
ここは他の街とは分け隔てられてきたから」

 

 

 

 

 

~街に住んで3日目~

 

街で一番古い市場。

1950年代に北朝鮮からやって来た人達が住み着き、「開放村」と呼ぶようになった。

皮職人の方や、陶芸家の方の話を聞く。


 

皮職人「長い歴史をも開放村に若い人たちが入り込むことで、歴史は続くと思います。
新しい歴史が重なって、新しい色が足されていくんです。」

 

 

 


失郷民の心の痛みを歌う歌手の話を聞いたり・・・

 

草なぎ「歌の力って何でしょうか?

 

歌手「うれしい時はうれしいと表現し、悲しい時は悲しさを伝えることができる。歌を歌うということは"幸せ"です」

 


新たな旅立ち。

 

それは草なぎさんにも重なる想いです。


 

草なぎ「何か・・・こう・・・やっぱり失うものもあれば、得るものもあるっていうか、人間。

何もかれもこれもっていう訳にはいかないので。

でも、去年、その大きな決断をした時に、僕は何かもう、全部それまでやってきた事って、そこにもう全部置いてきたんですよ。


何か・・・なので、未練もないし、何かあの・・・それによって新しく生まれ変われる。全部そこに置いてきた事によって、もう身も軽くなったし、だから、すごく景色も新しくなってすごい新鮮で、うん。・・・っていう、何か気持ちですかね。

 

 

 

靴屋さん、キョドン島の方々、ハルモニの話を聞き・・・

 

 

柳澤「何か、あっという間だったような気もするけどさ、とっても凝縮されて密度が濃かったなと思った。」

 


草なぎ「でも何か、ちょっと寄り添う事はできたのかなと、この街に。ペタッと・・・(窓に引っ付き)ペタッと

 

 

柳澤「この光景にね、この街にね」

 

 

草なぎ「この街に

 

 

 

 

♪流した涙は きっといつか

♪幸せの数になるだろう

♪溢れる笑顔は きっといつか

♪君を幸せに包むでしょう

♪寄り添い合うことは きっといつか

♪夢に見た本当の故郷に辿り着くでしょう

♪家族になれるでしょう

(作詞・作曲 草なぎ剛)