昭和の窓辺のブログ

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こう見えて(どう見えてるのか知らないが)、小学校低学年の頃はピアノを習っていた。もちろん団地住まいで決して裕福でない我が家にはピアノなどあるはずもなく、ヤマハのオルガンで十分満足していた。

 

団地の棟も、学校のクラスも隣だった「えみ子ちゃん」という子と2人、毎週欠かさず近所のスーパーの上にあったカワイの音楽教室に仲良く通っていた。お互い、家にはオルガンしかないけど、そこがまた仲間意識を強くさせる元にもなっていた。とても楽しかった。

 

なのにある日、えみ子ちゃんの家に遊びに行くと、我が家と同じ狭い間取りの一角に、真新しいピアノが置かれているではないか!

いつもと変わらず「入って入って~^^」と招き入れてくれるえみ子ちゃん親子だったが、自分が絶対に買ってもらえない高価なピアノをえみ子ちゃんが買ってもらった!と思うと悔しくて悔しくて、「あ、用があるから帰る!」と外に飛び出してしまった。自分から遊びに行ったのに「用がある」わけはないのだが。おそらく顔は泣くのをこらえて激しくゆがんでいたに違いない。家に戻って、ピアノ買って買って-と手足をバタバタさせてごねてはみたがしょせん叶わぬ望み。ひとしきり大泣きして諦めることにした。

元々別にえみ子ちゃんに恨みがあるわけではなく、その後もまた仲良く遊ぶようになり、一緒に「コールユーブンゲン」という教本を使った歌の授業まで受けたりした時期もあった。

 

一度、えみ子ちゃん一家の金持ちの知り合いが「ピアノを弾きにいらっしゃい」と誘ってくれたので、狛江にあるお屋敷まで、えみ子ちゃん親子と3人でバスに乗って遊びに行ったことがある。当時の狛江はまだ「市」になる前。市役所ではなく町役場があった。あたりにはこんもりとした森などがあり、すこぶるカントリーな感じだった。

 

僕らが家についた途端、ニヤニヤしながらピアノを隠すしぐさをして「弾かせないぞ~!」と叫んだ、我がままを絵に描いたようなそこの家の子とも次第に打ち解けてきた頃、お茶の時間になった。そこのマダム(ぽかった。髪型も頭の上に丸い玉が3つぐらい重なってるような)が、僕に紅茶を勧めながら「レモンにする?それともミルク?」と聞いてくれた時、本当はレモンの紅茶が好きだったにも関わらず、なぜか遠慮して「このままでいいです」とはにかみながら答えてしまった。そうしたらマダム、なぜか冷ややかに「・・・・・・変わってるのね」とつぶやいた。それだけでもせっかくのマダムの好意を無にしたようでいたたまれなかったのに、えみ子ちゃんのお母さんがそれに同調して「そうなのよ」と言ったので、僕の悲しみは倍加した。優しい人だと思ってたえみ子ちゃんのお母さんは、本当は僕のことをそんな風に思ってたのか!自分の親がいないところで言われたものだから、なおさら本音という感じがして悲しかった。ずっとのほほんと生きてきた僕にとっては、大人に皮肉交じりに何か言われたことなどそれまでなかったのだ。

 

えみ子ちゃんのお母さんや狛江のマダムがまだ健在なのか知る由もないが、大人の何気ない一言で傷ついた記憶が半世紀以上たった今でも残っていることに我ながら驚く。もちろん、それは何のトラウマにもならなかったけど、とにかく子どもって、くだらないこと覚えてるもんだなあとつくづく思う。だから自分も、年端のいかない子どもと話すときは、悪い印象を残すまいと気張ってしまうのでかなり疲れるのであった。