夫が赴任していたアメリカから帰国した時、とりあえず転勤者用の社宅に入れてもらった。その社宅が木場にあった。

 

土地勘のないところにアメリカで生まれた二人の娘をほぼワンオペで育てていると、心身ともに疲れ果て、パニック症候群にもなった。

 

そんな時、紹介してもらったのが、ホームドクターになったAクリニックだった。

清澄白河にあるので、木場からは少し遠いのだが、とても信頼できる先生だったので病気になると通うようになった。

 

Aクリニックに近いことが、今のマンションを購入する理由の一つにもなったほどだ。

家族で具合が悪いと通っていた。その頃は、今のようにクリニックが多くなかったので、とても混雑していた。予約の電話をしていなければ2時間くらい待つことさえあった。狭い待合室は座るところがなく、階段に座ったり、ずっと立っていたり大変だった。先生には、中学生の息子さんと、娘さんがいて、なんか親戚みたいにお互いの子供の話ができた。

 

時は20年近く流れて、息子さんは精神科の医師になり、娘さんは歯医者になった。

数年前から、時々診察が息子の若先生と先生の交替になった。例えば、月、水、金が息子さんなら、先生は火、木、土といった感じだ。若先生は、最初は自信なさげに、看護師さんに同意を求めたりしていたが、だんだんと自信をつけている様子だった。

 

そして、先日、久しぶりにいつもの薬をもらいにAクリニックにいくと、診察当番表に若先生の名前しかなかった。

 

「どうかしたんですか」と看護師の奥様にきくと、「先生は見た目は多少若く見えるけどもう75歳で、世代交代なんですよ」というのでびっくりした。ずっと診てもらっていたので、寂しい。それに若先生は、私にはちょっと合わない。

 

 Aクリニックは、たくさん通っていたお年寄りの患者さんが20年の間にかなり亡くなり、子供は小児科専門のクリニックができたので、そちらに流れ、患者がかなり減っていた。待ち時間がないのは私は有難いけど、経営は大丈夫かと心配している。

 

 毎年、実家から送られてくる珍味のウツボの佃煮を先生が好きなので、ミカンと一緒に持っていっているが、昨日、また従妹からたくさんのポンカンと八朔が送られてので、紙袋に入れてAクリニックに持っていった。

 

待合室に患者は一人もいなかった。(時間外だったのかな・・)

 

紙袋を渡すと奥様が「有難うございます」と笑顔で言ってくれた。青森出身の奥様の東北訛りが少しあるのが温かい感じで大好きだ。派手な感じが一切ない、優しい看護師さんで、何度もその言葉に励まされた。

 

ずっとAクリニックしか通っていなかったが、最近は最新の設備が整ったクリニックにかかることが増えてきた。胃と腸の内視鏡の検査をしてくれたクリニック、検診設備が整ったクリニックでは、健康診断をしてもらっている。

 

 Aクリニックの先生が辞めてしまうのは、ショックだったが、長年通っていた歯医者さんが辞めてしまうのもショックだった。

 

1月中旬に定期検査で歯科医院に行ったら、虫歯をチェックしてくれた院長先生が、「実は私は後半年で辞めます「」というので驚いた。歯科医院は別の医師が引き継ぐようで、名前も変わるそうだ。

 

もし、近くに開業するか、フリーの医師で働くなら、そこに通おうと思ってきくと、

「いえ、歯医者をやめるんです」というので、唖然とした。それで何をするんですかと聞こうしたけど、診察が始まって口を開けたので聞きそびれた。

 

後、半年はおられるようなので、次の検診で聞けるかなあ。まだ40代くらいにしか見えない。人生で全く別のことに取り組もうとしているんだなと思った。

 

 

前々回に書いた豪華なバラの花束だが、

 

最後の1本になった。

 

 

これだったが、約2週間咲き続けたのはすごいと思う。途中で枯れたバラはすべて、

ドライフラワにするために、私の部屋の隣の部屋にぶらさげている。そして、最後に残っている上記のバラの半分は切って、挿し木にした。根付くといいなあ。