ただ、実際のシステムの機構(メカニズム)は、我々の表層的な思考力によって想定しているものとは多少異なるだろうと思います。
宇宙にはもう一つ、「カルマの反動」という重要な原則があるからです。
「カルマ」とは、よく「業」などと記述されていますが、サンスクリット語の直訳では「行為」を意味します。
「行為」ですから、良い行為も悪い行為も含まれます。
悪いことをしたら自分に悪いことが返ってくる。
良いことをしたら自分にも良いことが返ってくる。
神様のご褒美とか罰とかというようなものではなく、そういうシステムなのだとシンプルに考えてください。
カルマを解消するには、2つ方法があるそうです。
一つは、自分のした行為をそのまま受けること。
よく『バガヴァッド・ギーター』のクラスで先生がおっしゃる例えを使わせていただくなら、
「隣のxxさんにムカッと来たので殴った。
だから次は自分が誰かに殴られることになった。」
まあそういうことです。(笑)
しかし、例えば殺人を犯すとか、かなり重い罪になると、そのカルマは来世に持ち越されるのだそうです。
それゆえ、本多信明先生の著書『インド占星術入門』によると、過去のカルマには2種類あると説明されてます。
・サンチッタ・カルマ:
過去世において行った行為の結果が蓄積されたすべてのカルマ
・プララブダ・カルマ:
サンチッタ・カルマの一部で、現在の生で経験するカルマ
カルマを解消する方法として、もう一つの方法は、主の御名を唱え、至上主に奉仕して、お願いすることだそうです。
この方法を取ると、必ずしも自分でカルマの反動を受けなくても良いのだそうです。
(この辺りになると、宗教実践の話になりますので、あまり詳しくは述べませんが、苦行や供儀などを重ねると、自分の行為によるカルマは消すことができるし、光の領域までは行くことが可能だが、それ以上の「精神界」へ行きたいとなると、行為以前の心の動き(実際には殴らなかったけど、憎しみは抱いた等。「バーサナー」と呼ばれる)を浄化しなくては、行くことができない。その方法が主への献身奉仕なのだということです。)
いずれにしても、実際の現実化/物質化にあたっては、この2つの要素(その人(魂/霊)の希望/意志=潜在レベルからの本当の意志(True will)、過去のカルマ)を考慮して、結果が算出されると考えたら良いのではないかと思います。
輪廻転生について考えてみましょう。
世界の殆どの地域では、細かい部分では相違していても、だいたい生まれ変わりの思想があります。
ないのは、多分キリスト教文化圏くらいで、世界的に見ると、欧米だけがちょっと特殊だったと言ってもいいくらいです。
しかし近年では、西洋でもぼちぼち生まれ変わりの思想を持つ人が多くなっているようです。
西洋のニューエイジ系の人たちの言う生まれ変わりでは、人間は人間にしか生まれ変わらないとされますが、インドを始めとして東洋の多くの国では、過去の行い次第では、動物にも生まれ変わる可能性があるとされます。
日本で現在、スピリチュアル系の人たちが一般的に受け容れている考え方は欧米のニューエイジ系の転生観だと思います。
すなわち、この現実世界は「学校」であり、我々はそれぞれに課題/使命を持って生まれてきている。
それをこなして、レベルアップしていき、最終的にはニルヴァーナ(多くの場合は光との合一)を目指して進んでいく。
転生と転生の間には、あの世で反省したりレクチャーを受けたりして、次の課題や使命を自ら選ぶ。
だいたいこんな感じでしょうか。
しかし、この考え方には、納得できない人がいっぱいいると思います。
いくら学びの為といっても、あまりといえばあまりに苛酷な環境に生まれている人がたくさん存在し、いくらなんでもそんなものを自ら選ぶとはとても考えられない。そこで何か魂として、レベルアップできる余地は本当にあるのだろうか?
そんな例を、私も直接的、間接的に色々と見聞きしてきたからです。
村上春樹氏の翻訳で日本でも出版されている『心臓を貫かれて(原題:Shot in the heart)』という本などを読めば、それはより分かっていただけると思います。
前回書いたように、宇宙というのは非常にサクッとしたシンプルなシステムです。「我々がこう考えたら(あるいは感じたら、反応したら)、次の瞬間にはその思考と諸条件が計算されて、自動的に何らかの結果が起こる」というようなイメージの方が近いと思います。
インドでは、輪廻転生は基本的に、「死ぬ時の意識に応じて、生命体は次の肉体を獲得する」とされます。
「あなたが望んだ通りのことがもたらされる=あなたが死ぬ時、思うこと、心にあることの方へと動く。」
この方が、宇宙のシステムとして、やはりぴったり来ます。
よく言われるのは、今男性に生まれている人は、その前の世では女性だったということです。
死ぬ時に、配偶者のことを思いながら死んだから、女性の肉体を得たのだ、ということです。(逆に女性の場合も同じです)
肉ばかりガツガツ食べたいと望んでいて、実際にもずっとそのように行動している人は、次は肉食獣に生まれ変わる可能性もある、などと言われたりもします。
人間であっても、アジア人よりは肉食の西洋人に生まれるのかもしれません。
もう輪廻の輪から解脱したい、と常に至上主に思いを馳せている人は、死んだら至上主のもとへと行けるかもしれません。
しかし、別にそんな抹香くさいことはどうでもいいのよ、今の人生が私は幸せなの。家族にも夫にも恵まれて、自分の才能を活かした仕事をできて。次もこんな人生がいいわ。と思っている人は、勿論、また物質界に生まれ変わることになります。
(但し、その人のそれまでの人生の行い次第では、今の人生と同じくらいに恵まれたものになるとは限りませんが)
救いがたく悲惨な環境に生まれて、両親に虐待された末、幼くして死に至らしめられることになった、などという場合、その子はあまりに気の毒ではありますが、ヒンドゥー的には、何か過去世にあったのだ、でもこれでカルマが解消されたのだから、次の人生はもっと幸せになれるだろう、というように考えるようです。
本当にそうなのかは分かりませんが、でもそう考えた方が、単に世のは不平等で、いつ突発的な不幸が降ってきて地獄のような状況に陥るかもしれないなどと考えるよりも、救いがあるような気もします。
兎も角。
そのように考えて周りの人を見てみると、転生の回数が多いと思われる人は、全体的にちょっと大変な人生の人が多い一方で、その分色々な救いの手や幸運にも恵まれているように思えます。
色々と間違いも犯したかもしれないけれど、良いこともたくさんして、ご縁のある人もたくさんいたのだろうな、と感じられます。
でも、こういう人たちは、一般的な物質的「引き寄せ」があまり上手くいかないことが多く、お金に苦労しがちだったりすることも、わりに見られます。
何度も転生して魂自体がある程度「老成」してきている分、物質面にあまりストレートに欲求が湧かないというのもあるのですが、受けるべきカルマの反動も色々あるからなのではないかと思います。
逆に、比較的容易に物質的「引き寄せ」が出来る人の多くは、「若い」魂であるように感じられます。
こういった人たちは、「若い」分、仕事や趣味といった現実的な楽しみをストレートにエンジョイでき、物質面でもストレートに欲しいものは欲しいと思える傾向があるので、当然ながら欲しいと思ったものを「引き寄せ」られますし、それを邪魔するカルマも少ないので、より現実化/物質化しやすいのだと思います。
現代の日本でスピリチュアルなどに興味を持つ人というのは、その多くは、「老成」ゆえに現実社会で苦労している人たちなのではないかと思います。
ではその苦労、報われる可能性はあるのでしょうか?



クリックお願いします






」とか歌ってたなあ、なんてことを、何となく記憶している人も多いのではないかと思います。



(笑)