再び繋がった、その後に… -2ページ目

再び繋がった、その後に…

あるがままに心穏やかな楽しい日々を♪

少し前のことになりますが、友人とインド占星術の鑑定を受けてみました。

ある友人がインド占星術を学んでいて、一度チャートを見てもらったのですが、そのチャートを解説してもらうと、私が2歳くらいまでに入院があったこと、幼少期に身体が弱かったことや、目や皮膚が弱い、外国語習得の星など、あまりにすんなりきれいにチャートに出ているので、ちょっと驚いて興味を持ったので、彼女の先生に詳しく見てもらおうかとなったわけです。

ところが。

これが面白いことに、この先生、全くもって言葉足らずな上、特に友人の方に関しては、言うこと言うこと、「??違いますけど…?」。

普通に先生の言葉だけを聞いていたら、
「全く当たってないやん」
という感じだったんですよね。

例えば、30代~40代半ばにかけては、とても運勢の良い時期だったと言われ、更に現在を含む今後8~9年ほどは苦しい時期であると言われたのですが、ご本人からすると、その「運の良かった時期」って、ご夫婦仲も子育ても大変で、自分の実感として全然運が良かったとしか幸せだったなんて、全然思えない。
むしろ、「運気が低迷していまいち」な筈の、ここ数年からの方が、ずっと楽しくて充実していると。

それで、「何かおかしいですねえ」と色々と過去の出来事を検証していると、客観的事実としては確かに、その「運の良かった時期」って、彼女は色々な幸運には恵まれていたのです。

棚ボタ的に旦那さんにすごく良い条件の転職先のオファーがあったり。

自分の仕事も、すんなり転職先が見つかり、資格も取れたり。

良い条件で持ち家が売れて、転居がスムーズに行ったり。

でも同時に、転職や転居など、全体として色々と動きも多くて慌ただしい感じだった。
勿論、結構大きな嫌なこともあったそうです。

やはり人間、嫌なことの方が、印象には残ります。
で、振り返ると、自分の実感としては、別に幸せではなかったとなっているようです。

逆に現在はというと、そのような大きな出来事や動きはあるわけではないものの、前向きに着実に、目標に向かって努力をしていて、人間関係もきれいに整理されて快適。ご家族との関係も以前よりもずっと良い状態になっています。

インド占星術に限らず、西洋占星術にしろ四柱推命にしろ、所謂「運気」と、ご本人の実感って結構ギャップがあるようです。

私は占星術等の命術にはそれほど詳しい訳ではありませんが、逆に外側の立場からざっくり眺めた所、「運気の良し悪し」というのは、「大きな動きの有り無し」というのが実際のところだな、という実感です。

大きく動く時期には、大きな幸運にも恵まれるでしょうが、慌ただしくて落ち着かないのも事実です。

逆に、あまり大きな動きがない方が、落ち着いていろんなことに取り組めるとも言えるかもしれません。

前述の友人には、それは当てはまっています。

四柱推命で「空亡」の時期には、開業や引越しなどが良くないなどと言われますが、それをしたら不幸になるとか上手く行かないというよりも、やろうとしても動きが少ない時期なので、チャンスが掴みにくかったり、良い物件が見つかりにくかったりしますよ、というだけのことではないかと思います。
そういう時期であっても、良い物件が見つかったのなら、引越してしまえばいいのです。(実際、私の知人にも、そうやって引越して、良い状態になった人がいました)

ある客観的事実が、その人にとって良いこと・嬉しいことと感じられるのか、悪いこと・嫌なことだと感じられるのかは、本当、その人によって違います。

もし占いで「あまり良くない時期ですね」と言われたとしても、それはある事に対するその占い師の方の判断であり、あるいはそうでなければその占術で「伝統的にそう言われている」という決まり文句に過ぎないので、占いなどに行かれても、あまり占い師の方の発する言葉をそのまま字義通りに受け取らず、その中身をきちんと見ることが大切だと言えそうです。


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日本人は、宗教的な戒律を嫌う人が多いようです。

私も例外ではなく、「生命を大切するべきだから、肉食をするのはいけない」などという優等生なことを言われた日には、わざわざ焼肉を食ってやる、くらいの生まれてから42年間反抗期のような人間です。
あれやちゃいけない、これやっちゃいけないと言われると、確実にへそを曲げます。(笑)

しかし世界を見渡すと、食べ物に関する戒律がある宗教は数多くあります。

でもよく検討すると、実はこういった禁止事項は、現代の科学に照らすと理に適ったことだった、なんてことがわりにあったりもします。
(経典上で、どのような禁止理由が記されているのかはさておき)

イスラム世界では豚肉が禁じられていますが、暑い地域では雑菌が繁殖しやすく不衛生。(だから別に宗教上で禁じられている訳ではありませんが、インドでも豚肉はほぼ食べないようです)

しかも豚を育てるには穀物が必要で、人間の食べるものと競合するということもあります。

インドでは牛肉を食べることは禁じられています。
しかしインドみたいな人口の多い国で牛の肉を食べてしまうと、多分、あの人口を養い切れないでしょう。
それなら、牛を農耕の使役とし、牛乳を加工してたんぱく源とした方が、どう考えても効率が良い筈です。

また、牛肉は消化に悪いのも事実で、そういった意味でも、夏になると熱帯同然になる日本も含め、東アジア、東南アジアの地域では、あまり牛肉や豚肉のような重い食肉は食べない方が健康には良さそうです。

一方、欧米の人々は全体的に「肉食」のイメージですよね。

ある外科医の方によると、実際、西洋人と日本人とは内臓の構造自体が違い、日本人に比べると西洋人は肉や脂肪の消化液を作る肝臓と膵臓がやたらと大きく、その代わりにお米を消化する胃や小腸は、日本人に比べると小さ目なのだそうです。
(だから鍋物をすると、肉類はおかわりして大量に食べるのに、〆のご飯類が食べられないという西洋人の人が結構います)

西洋人は内臓の構造自体が肉食系のようです。
欧米にもベジタリアンはたくさんいるようですが、こういった消化器を持った人たちが菜食主義になるのは適切なのかどうか…私は専門家ではないので、分かりかねますが。

どうやらキリスト教では特に食べ物に関する戒律はないようです。

漫画の『聖☆おにいさん』でも、カインとアベルネタで、イエスが「父さん(神)」は肉好きで、贈り物でも肉系じゃないとテンションがあがらないもんで、野菜を贈ったカインがアベルを殺す事件に発展したのだと話し、ブッダは「人類初の殺人が君の父さんの好き嫌いのせいだったとはねぇ」としみじみ述べてるエピソードがありました。(笑)

…と思っていたのですが。

ニール・ドナルド・ウォルシュ氏の著書『神との対話』では、

「実はHEB(*Highly Evolved Being=高度に進化した存在)は決して動物を食べない。」
(p.457, N. D. ウォルシュ(1998)『神との対話③』, 吉田利子(訳)(1999), サンマーク出版 )

という、肉食をあまり望ましくないものするような「神の発言」が書かれていたのです。

この「神」って一応 ――まあ敢えて言うなら―― キリスト教徒に語りかけてる神なのに。

よく日本である批判に、

「聖書に、神が人間が他の動植物を自由に利用して良いと言っているかのように書かれてるから、西洋人がこの動物は殺すのは可哀想だけど、家畜化した牛や豚は食っていいんだというような、傲慢で訳の分からない主張をするのだ」

というものがあります。

で、それを思い出し、「聖書には別にいいって書かれてんじゃないのかなあ?」と思いつつ、うちにある聖書を見てみたのですが。

「神は御自分にかたどって人を創造された。
神にかたどって創造された。
男と女に創造された。」
(創世記1-27)

「神は言われた。
『見よ、全地に生える、種を持つ草と種を持つ実をつける木を、すべてあなたたちに与えよう。それがあなたたちの食べ物となる。
地の獣、空の鳥、地を這うものなど、すべて命あるものにはあらゆる青草を食べさせよう。』
そのようになった。」
(創世記1-29, 30)

あれ。

確かに植物は人間の食べ物として創ったって書いてるけど、動物は人間の食いもんだとは書かれてない……汗

「???」と思っていたら、少し前に仕事で知り合ったある女性は、アメリカで洗礼を受けたクリスチャンなのですが、彼女が洗礼を受けたセブンスデー・アドベンチスト教会は、「強制ではないけれど、菜食を勧めてますよ」と。

根拠は、私の思ったのと同じ、創世記の上記文面のようです。

セブンスデー・アドベンチスト教会の大阪教会のサイトによると、肉食が許されたのは、ノアが箱舟で食べ物がなかった際に、緊急策として、ということなのだそうです。

そうなのか?

てことは、肉食って元々は創造主の意志ではなかったの?

では、何で人間は肉食をはじめたんでしょうねえ。

Wikipediaに、ISKCONのプラブパーダ師の発言として、
「人間は動物を食べる存在として創造されたのではないとも述べている。」
と書かれていますが。

でも人類の歴史を振り返ると、農耕による文明が興ったのなんて結構後の話で、そもそもが狩猟と採集の生活をしてたんですよね?

ううむ。

このあたりの疑問に対するある程度筋の通った説明が見つかったら、また紹介してみたいと思います。えへへ…

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私は基本的に、普段は肉も魚も卵も食べてません。

でも「菜食主義者か?」と問われると、別に何か信念を持った「主義者」でもありません。

だから、外食の時、わざわざ選んで焼肉屋さんに行くことはないにしても、特に神経質になって動物性食品を避けようとはしません。
(そんなことをしようとすると、鰹節でお出汁を取っている和食がほぼ全て食べられなくなるので、人とのお付き合いが出来なくなります)

何故肉や魚を食べていないのかというと、

「何となく食べたいと思わなくなった。」

それだけです。

スーパーに行くと、多くの人は、「何を食べようかな。あ、今日はあれが安いな。ちょっとxxが食べたい気分かしら」なんて考えながらお買い物をするのではないかと思います。

私もこんな感じで買い物していたのですが、5、6年くらい前から、肉や魚をが食べたいなと思うことがなくなって、いつのまにかスーパーに行っても、肉や魚のコーナーに足を延ばすことがなくなったのです。

今は、可能であれば外食でも肉や魚はなるべく避けるようにすることが多いのですが、これは半年くらい前から、あまり大量に肉や魚を食べると、下痢または便秘になること多くなったから。

最近になって、私と同じような理由で、普段ベジの生活をしているという人が、わりに周りにいることに気づきました。

同年代の友人知人は、皆40代、50代ですから、年齢のせいもあるのかもしれません。(笑)

一般的な栄養学には反するので、時々、栄養は大丈夫かなと思うこともありますが、調子は良く、特に今のところ問題はないようです。

納豆やお豆腐などは勿論、ヨーグルトやチーズ、バターなどの乳製品は結構食べるので、大きく栄養を損なうってことはないのでしょう。

禅宗などの仏教や、ヒンドゥーの中でもヴィシュヌ/クリシュナ信仰をしている人たちは菜食主義ですが、世界の神秘思想家でも、例えばルドルフ・シュタイナーは菜食を勧めています。

「肉食をすると人間は地上に束縛されます。肉食をすると、人間は地上の被造物になるのです。
(中略)
肉食をすることによって、人間は地球と強く結びつきます。」
(ルドルフ・シュタイナー『健康と食事』, 西川 隆範(訳)(1992), イザラ書房)

肉や魚は非常に地上的なエネルギーのものなのだそうです。
もし精神的な修行をするのなら、菜食にすることを勧めてはいるものの、シュタイナーは肉類を食べたいのを我慢して菜食にすることを勧めているわけではありません。

解脱を目指して修行する人ならば、あまり肉や魚を食べて、「地上に束縛」されている場合ではないのでしょう。

私の周りでなんとなくベジ生活になってしまった人、あるいは誰かに勧められて、わりにすんなり菜食主義者になった人を見ていると、全体的にある程度「魂」が年を食って、「マーヤー」がぼつぼつ取れてきてる人なのかな、という気がします。

地上的なことや物質的、世俗的なことに興味が薄くなってくると、肉食が体質に合わなくなってくるのかもしれません。
実際に下痢や便秘までするくらいに体質が変わってくるということは、あまり栄養学の論理も、そのまま当てはめられなくなるので、そういう意味では栄養不足を心配することもないのかなとも思います。

でも逆に言えば、体質に合わなくならない間は、無理に肉食を止めてもあまり意味がない、むしろ普通に肉食をしておいた方がいいのではないかと私は考えています。

実際、マクロバイオテックなどの食事法を頑張って厳密に実践した結果、かえって体調がおかしくなったという話も結構ありますので。

とはいうものの。

環境問題や食糧需給の問題などを考えると、社会的観点からは、本当は人間は菜食に移行した方がいいんでしょうねえ…。(^_^;)

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スピリチュアルやニューエイジに興味のない人にはあまり馴染みがないかもしれませんが、世の中には占いなどの他、霊視やチャネリングといったセッションを提供している人がいます。

私自身は滅多にそういったセッションを受けに行くことはありませんが、信頼できるアメリカ人の方には、たま~に(数年に1度くらい?)お世話になることがあります。

チャネリングなどをする方は、その多くは、地球より上の次元の何らかの存在とコンタクトを取っているのだと思いますが、「どこから?」というのは、皆さん気になるところでしょう。

次元高ければ高い方が良いのかというと、必ずしもそうではないようです。

前回も少し書きましたが、あまり我々の存在する位置から乖離していると、いくら同じ物質界とはいえ我々は認識できない筈で、従って、これらの人々に情報を送っている情報源の存在は、それほど高くないところの存在なのだろうと思います。

が、それでいいのです。

英国人のヒーラー/ミディアム(霊媒)の故ベティ・シャインのヒーリングをサポートしていたのは、亡くなった偉人や医師などだったようです。

物質的な肉体レベルであれだけの効果を上げるには、逆に我々人間に近い存在であったからこそ可能だったと思うのです。
また、エネルギー的にあまり遠い高次元の存在であれば、あれだけの情報が言語レベルに変換可能なコミュニケーションは、不可能であったと思います。

それに次元が高くなることは、ごく単純なレベルで言えば、エネルギー的な振動がより高速になるということに過ぎない。

だから、その生命体の人格などとは必ずしも相関関係がある訳ではないと思います。
(でないと、様々な神話の神々があれだけ争ったり嫉妬深かったり、全然人間が出来ていないことに対する説明がつきませんよね)

ちょっと上の次元にいる、善意に満ちた、優れた人格を持つ霊(エンティティ)と繋がっているチャネラーさんなら、信頼できるということになるでしょう。

一方で、高次の霊的存在を装った、よく分からない霊みたいなものを高次の存在だと信じている霊能者やチャネラーの人もいるようです。

目に見えない世界への感覚がある程度開いている霊能者やチャネラーというのは、遺伝的にそうである人もいますが、育った環境によって培われてしまった人もいるようです。

例えば育った家庭環境が複雑で(両親のどちらかが癇癪持ちですぐキレる、DV、両親の仲が悪い、継母にいじめられて育った等)、周りの大人の動向をびくびくしながら伺いつつ育った人は、常にセンサーを張り巡らしておく必要があった為、自ずと第六感のような感覚が生まれてきたといったことがわりによく発生するようです。

こういった人でも、心の傷などをきちんと克服していれば問題ないのですが、そうでなければ、コンタクトを取ってくる霊(エンティティ)も、大概はあまり良くないものになってしまうようです。
だってその霊感って、不安や恐怖が元になっているわけですから。

よく言われる宇宙の法則で、

「Like attracts like.」

という言葉があります。
似たようなものが惹き合うということですね。

では、ある霊能者やチャネラーがちゃんとした人かどうか、どうやって判断するのか。

基本的には、その人が前向きに生きていること。

地に足がついていて、常識があること。

何より、その人自身が幸せで、楽しそうな人あること。

ここに尽きるのではないかと思います。


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前回の記事で、物質宇宙においては、地球の上にも下にも7階層ずつ、次元の異なる世界が存在すると書きました。

では地球より下の階層とはどういう存在なのだろう、と思っていたのですが、先週末にインドのチェンナイから来日されていたスワミにお訊ねしたところ、

「地球より下の領域は“タマス”の質が大きく、タマスの質が優勢になっている人は、地球より下の領域に行く」

というお話でした。

「タマス」と言われても、何のことやら分からない人も多いでしょう。

ヒンドゥーでは、この物質世界はサットヴァ(徳)、ラジャス(激情)、タマス(無知)の3つ質で出来ているとされています。(これを三つの(トリ)の質(グナ)=「トリグナ」と言います)

どの生命体もこの3つの質は有しているのですが、異なるのはその比率です。

例えば「ラジャス」があまりに優勢になると、次は動物に生まれ変わったりするということです。

「タマス」は「無知」と書きましたが、勿論これは一般的にいうところの知識や教養がないということではなく、神聖なるもの、精神的なものに関する知識や関心がないことを意味します。

地球よりも下の階層では、「タマス(無知)」が強いだけでなく、より物質あるいは「地」の要素が高いというのが基本的な性質です。

それだけの話なので、必ずしもそこが辛く苦しい地獄であるとは限りません。

勿論、そのような辛く苦しい地獄も存在するそうですが、ある意味地球よりも楽で楽しいところもあるようです。

イメージとして分かりやすいのは、ライダー版タロットの「悪魔」のカードではないかと思います。



このカードの説明については、レイチェル・ポラックの『タロットバイブル』の解説が分かりやすいでしょう。

「それにしても、カードの絵を見てみると、この人物たちは別に不幸せには見えません。身体は楽な姿勢を取り、顔はわずかながら笑顔です。タロットの読み手によっては、性的に抑圧された社会を忌み嫌い、『15.悪魔』をセクシュアリティまたは“お楽しみ”のカードと見なしています。
(中略)
鎖につながれた人物たちの絵柄からは、害がありそうで実害のない、ボンデージ趣味やSMといった性的ゲームのイメージが感じられます。」

次元が低いからといって、現在地球にいる我々の感覚から見て、必ずしも辛く苦しい訳ではないし、逆に高次元の方に行っても、今の我々の感覚からすると必ずしも楽しく軽やかな場所であるとも限らない。

前回触れた、地球より2階層上の「天国」は、本当に「天国」的な場所であるとしても、そこより上の階層になると、生命体は皆、ひたすら解脱を目指して、淡々と瞑想しているのだそうです。
想像しても全然楽しそうではありませんよね?(笑)

あまりに自分から乖離した世界のことは、なかなか認識が難しいものです。

このような上の次元にいる生命体は、我々のような物質的な楽しみには、もはや全く興味を持たなくなっているのだそうです。

そう考えると、この地球にいる人間の想像の及ぶ範囲なんて、せいぜいが上下2階層分くらいなのかもしれません。

それより上(あるいは下)のことは、現時点で想像を巡らしても多分無駄で、また自分がそこに近いところに行った時に考えた方が良さそうです。

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以前、英国人ヒーラー/ミディアム(霊媒)の著書を数冊読んだことがあります。

ハリー・エドワーズ著『Healing Intelligence』や、ベティ・シャイン著『スピリチュアル・ヒーリング』、ハロルド・シャープ著『ペットたちは死後も生きている』等。

この中でベティ・シャインとハロルド・シャープの両氏は、死後の世界について、概ね同様の説明をしています。

すなわち、人間も動物も、死んだら「天国」に行く。
「天国」とはとても美しく穏やかな場所で、そこで皆、永遠に楽しく過ごす。
あなたの周りの大切な人やペットが死んだとしても大丈夫。
彼らは幸せに暮らしているし、あなたもそのうちまた彼らに会える。

だいたいそういうことでした。
ここには特に輪廻転生や生まれ変わり思想はないようです。

しかしこの「天国」(あるいは「地獄」)。
国や文化によって、結構その描かれ方は違います。
また、ギリシアやローマ神話などでは、「地獄」とは異なる「地下界(冥界)」なんてものもあり、あの世は一体どうなっとるんや、という感じがします。

以前にも書きましたが、ヒンドゥーでは物質宇宙は階層に別れており、地球の上に7階層、地球の下にも7階層あるとされています。

実はこの中に、天国というのもちゃんと存在します。

物質宇宙とは、所謂「光の領域」から下のこの15階層、全てを含みます。
我々が合意的現実として認識可能な、この地球という物質世界のみならず、非創造物の世界全てです。
生命の樹でいえば、マルクトのみならず、樹全体は全て物質界です。

勿論、我々の地球よりも上の階層では、四大元素のうちの「地」の要素は低くなるでしょう。
エネルギー的には、これらの惑星では地球よりも、もっとずっと振動速度が速い。
そしてそこに生きている生命体は、我々ほどに時間や重力などに縛られておらず、寿命もずっと長いということです。

しかしともかく、「天国」は物質宇宙に存在する訳です。

「天国」は地球より2階層上に存在するそうです。
実はそんなに高い次元という訳ではなかったのですね。

でもそこはもの凄く居心地が良く、本当に「天国」なのだそうです。
物質宇宙の一部ですから、勿論そこに住む生命体にも寿命はあり、寿命が尽きたら、その人生における行いに応じて、それよりも上の階層に上がるのか、あるいは地球に舞い戻って来るのかとなるようですが、寿命ったって地球の生命体のそれとは比べものにならないくらい長いので、確かに地球に生きている我々からすれば、ほぼ永遠のように思えるかもしれません。

神々(日本やギリシア、ローマなど様々な神話で語られる神々?)の住む場所は、天国、あるいはそれより上の階層のようです。

我々は死んだら、何処に行くのか?

ヒンドゥー的にいえば、その人生の行いに応じて、この15の階層のうちの何れかに行くことになるということです。

そしてもう一つ、その人の意識の状態、あるいは希望も忖度されるようです。
以前にも書いたとおり、基本的にその人の考えていること、希望が現実化するように宇宙は出来ているからです。

以前私の知人がブログで面白い記事をあげていました。

彼女は沖縄出身で、英国人の旦那様とお子さんたちと共に世界中を旅しているスピリチュアルな方なのですが、以前見た夢で、不思議な場所の夢を見たそうです。

そこにはおじいさんやおばあさんなど懐かしい人たちがいて、彼女はふと気づきます。
ここにいる人は皆、亡くなった人たちだと。

沖縄では(日本のその他の地域も同様かもしれませんが)先祖崇拝を大切にしているので、沖縄の人たちは、死んだらその場所へと行く。

上述の英国人の方々は、キリスト教的な天国像がある為、おそらく殆どの人たちはそこへ行く。

神道の神々を崇拝する人たちは、その神々のいる場所へと行くのかもしれません。

このように考えると、文化ごとに様々な天国像があるのも納得がいきます。

この地球上で徳を積んで、天国に行って、その徳の貯金が尽きたら舞い戻って、を繰り返すのも、それはそれでその人の選択ではあります。

でも私はできたら、この物質宇宙からは、なるべく早く脱出する方向で努力したいな~、なんて思います。

だって、行ったり来たりを繰り返すほど、バニヤンの樹の根の如く、絡まりに絡まって、ますます大変になるでしょうから。えへへ…

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『バガヴァッド・ギーター』のクラスに出ていると、よく先生が

「家族・お金・健康で人間が幸せになれる訳ではない。だから、そんなものを目指して生きていても意味がない。幸せは掴めない」

と言います。

えええ~~~!ひよざえもん びっくり

何でやねん、ですよね。(笑)

だって普通は、家族関係が良好で、普通にお金に困っていなくて、健康であれば、だいたい人は、「私は幸せです」と素直に言えるのではないかと思います。

宗教思想の解説って、こういう表現が結構誤解のもとになるのですが…汗

世の中、特に日本では、宗教や何らかの宗教をやってる人を毛嫌いする傾向があります。
それが怪しげな新興宗教であれば勿論のこと、キリスト教や仏教系の諸派、神道といった、ある程度伝統のあるエスタブリッシュされたものであっても。

それは私も基本的に同じです。

胡散臭いと感じられる理由は色々とあると思いますが、一番大きいのは、

それをやってる人が、なんか暗い。

あまり幸せそうに見えない。

単に現実から逃げてるとしか思えない。


というのが大きいからではないかと思います。

残念なことですが、実際何らかの宗教活動をしている人の多くは、確かに現実から逃げてることが多いようです。

現実が辛い。
全然幸せではない。
そしてそこに向き合いたくない
だから、そういう世界に逃げてれば安心だという。(今時のスピリチュアルや占いなどが好きな人も、多少似たところがあるようです)

私の友人が言っていたのですが、彼女の昔の同級生(男性)が、ずっと仏教系のある宗派の修行をしていて、得度まで受けたけれど、結局のところ、長年奥さんやお子さんとはきちんと向き合っておらず、外から見ると一見平和な家庭のようですが、その内情は冷たいもので、家族バラバラ。

得度まで受けて、他人にお説教をする立場になりながら、自分の家族とはまともにコミュニケーションを取ることから逃げている有様で、友人はその人の状況に多少の同情を示しつつも、実際は呆れていました。

よくあることです。えへへ…

ところが。

私がここのところ、継続的に『バガヴァッド・ギーター』のクラスに出ているのは、そこの先生がそうではないんですよね。

先生は極めて聡明かつ常識的な人であり、きちんと仕事もされ、奥様と穏やかなご家庭を築いていらっしゃいます。お子さんも既にちゃんと独立してご家庭をお持ちのようです。

そうはいっても宗教ですから、いろんな人が来ます。
病んでる人も多いのではないかと思うのですが、どんな人にも丁寧に敬意を持って、正直に接し、自分には厳しく信念を貫いている。

普通は、誰に対してもこんな対応、できないと思います。
少なくとも私はまだまだ無理。

ISKCONにも色々と批判があり、正直、私から見ても結構突っ込みどころはないではないのですが、とりあえずは講義を受けて、色々と学ばせてもらうといいかも、何かあるのかな、と思えたのは、そこに介在する人、すなわち先生ご自身によるところが大きいです。

冒頭の先生の言葉は、先生自身は、「家族、お金、健康」は得た上での、その先の話です。

良いパートナーを得て家族を持ち、普通に生活ができるお金が得られて、特に病気や不調もなく健康というのは、目標ではなく、ある意味、当然こなすべき通過点ということなのでしょう。

でもある程度魂が成熟してくると、それだけではどうにも幸福は感じられなくなる。
そんな時が来るようです。

だから、結婚したいとか、彼氏と上手くいかないとか、お金に困っている、仕事にやりがいを感じられないなどの理由で宗教の門を叩くと、多分、おかしなことになります。

そもそも、そういった物質(人間関係なども含めた)への執着を捨てる方向に行きましょうというのが宗教なので、それが欲しくて得られないのが悩みになっている人がそんなとこに行ったって、何の悩みの解決にもなりません。

「家族・お金・健康では人間は幸せになれない」と言われて、「何言ってんの、この人?」と去っていくならまだ良し、変なとこにつかまったら、お金を巻き上げられたりしてとんでもないことになる。

そんなことをして現実から逃げても、現実の問題がどんどん膨らんで、取り返しのつかないことになります。

だから、こういった悩みのある人は、カウンセラーのところに行くなどして、自分及び現実と向き合って対処をすることが先です。

子供の頃、心の奥底深くに植え付けれて取りきれないインナーチャイルド的なものは、結構強力に作用して自分の行動を妨げていることが多いので、自分と向き合う勇気を持って、さっさとそれを取る方の動きをしないと、多分、一生どうにもなりません。
(とはいえ、カウンセラーの技量も差があり過ぎるようで、私はこれまで、一人のヒーラーさん以外は、お薦めしたことはないのですが…)

宗教だけでなくスピリチュアルにも言えることですが、自分と向き合うことから逃げて、ナントカヒーリングとかナントカセラピーとかだけを受けても、まあ十中百九、無駄です。

ただ、通常「これがあれば幸福である」というものをある程度通過した上で、それでもどうも「何か違うよね」ということなのであれば、多分、そこからが本当の霊的探求になっていくのではないかと思います。

でもいずれにしても。

人間関係や結婚、仕事といった悩みをお抱えの方は、まずはそれ(素敵なパートナーや家庭、やりがいのある仕事など)を得て、欲求を充分に満足させるのが先決です。

小難しい哲学や宗教はその後、後ビックリマーク

まずは大いに楽しむところから始めましょう~音譜ひよざえもん ラブラブ

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クリシュナが宇宙の創造主であると聞いて、思わず「なるほど!」と、私が納得してしまった理由の一つに、ISKCONの創設者であるA・C・バクティヴェーダンタ・スワミ・プラブパーダという人物についてのエピソードがあります。

プラブパーダ師はインドで製薬会社を経営する傍ら、30代でゴウディヤヴァイシュナヴァ(ベンガル・ヴィシュヌ派)の導師(グル)に入門を受けたそうです。
分かりやすく言えば、在家出家をしたということになるでしょう。

導師(グル)から入門を受ける必要があるのは、本当の宗教的な教えとは、導師(グル)から直接伝授されるべきもので、それ以外の方法では本当の解放(ニルヴァーナ)に至ることはできないとの伝統があるからです。

ヒンドゥーのこの種の伝統は、宗教への入信というよりも、西洋でいうことろの神秘主義思想/オカルティズムにおける秘儀参入の方が、イメージとしては近いのではないかと思います。

兎も角。

導師(グル)から入門を受けたということは、導師(グル)から一生のミッションとして行うよう言われたことは、絶対に一生をかけてでも、達成する必要があります。

プラブパーダ師が言われたのは、西洋へのクリシュナ信仰の布教だったそうです。

それで英語の機関誌などを発行していたそうなのですが、若いうちは会社の経営もあり、従業員も家族もいるわけですから、実際にはこれが限度です。

でも、「導師(グル)からの指示」=結局はプラブパーダの生まれ持ってのミッションは、それだけでは十分ではなかったようです。

なんと50代の時、会社が倒産したのだそうで。

どっかーんビックリマークドンッ

で、言うなれば、一家離散です汗

かくして、プラブパーダ師は宗教活動に専念できるようになり(無理からに?)、69歳になって、アメリカ行きの船にご好意で乗せてもらえたので、所持金たった5ドルだか7ドルだかを持って、渡米。

その後の活躍は、皆の知る通りではあるのですが。

しかし…やるよなあ。宇宙。えへへ…

このあっさり感。この破壊力。このシュアな的確さ。

私がリコネクションを受けて以来、「宇宙のメカニズムってこうだよな」と思っていた、そのまんまやがな。

そう。

やらなければならないことがあるのに、それを分かっていながら、ぐずぐずと引き延ばしていると、タロットの「塔」の如く、
「どっかーんビックリマークドンッ
が起きる。

私の周りもいます。

リコネクション後、それまでの人間関係が激しく壊れた人。
会社が合併吸収などで事実上、なくなるも同然で、転職を余儀なくされた人等々。

我が友人の一人はそれを、

「陽気でマッチョなアメリカ人の兄ちゃんにスパコーンビックリマークと勢いよくはたかれて、“どおっ?俺?グッジョブ?”と、天からにいっと笑って親指たてられてる感じ。きいい~~~、口惜しい~~~ビックリマークあせる

と表現していましたが。

そうなんですよね。

人生でえらい目に遭うのって、だいたいが促し。

極めてあっさりしていて、場合によってはかなり当たりもきつい。
でも明るい。

クリシュナ神って、横笛の名手で、いっつも陽気で明るく楽しい神様なのだそうで。

そうだろうねえ…この宇宙を作ったんだったら汗

プラブパーダ師も、いきなり事が起こった時は、

「何するんや~~!?むかっ

と言いたかったでしょうが、多分クリシュナ神からすると、

「え?お前これで気兼ねなく動けるようになっただろ?俺ってやる?グッジョブ?」

くらいの感じだったでしょう。(笑)

この話を聞いた時、やはり創造主ってクリシュナ神なのかもな、と思ってしまいました。
同時に、リコネクション、あれの効果は実に、本物だったのだな、とも。

しかし何れにしても。

とんでもない状況が降ってきた時、一時は動揺するにしても、これをも宇宙(あるいは創造主)からの慈悲なのだと感謝できるくらいでなければ、本当の上昇=アセンションなんて、望めないのは、確かなことだろうと思います。ジジ

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魂がある程度「年を食ってくる」と、普通に言われるところの幸せ、すなわち仕事での成功ややりがい、子供やパートナーといった家族との幸せ、楽しい友人たちとの人間関係などだけでは、単純に幸せを感じられなくなってくることが多いと述べました。

それに加えて言うなら、既存のシステムや誰かが開発したメソッドなどが、あまり当てはまらないことも多くなってきます。

世の中には、素晴らしい医師に会って、治してもらって感激して、自分も医師になろうという人がいます。

あるいは素晴らしいカウンセラーや占い師さんなどに救われたから、自分もそのようにして人を助けたい、と思う人も少なくないでしょう。

こういう人は、まあ幸せです。

でも、私が見ている限り、ある程度「マーヤー(物質的幻想)」が取れてくると、段々とそうもいかなくなっている人が多いように思います。

だから、こんなことがよく起こります。

どの病院に行っても、自分の不調が治らず、東洋医学やヒーリングなども試したが、どれも帯に短したすきに長し。
色々な有識者に訊いても、参考になる情報が入ることはあれど、結局は自分で自分の身体と向き合って、自分でああでもない、こうでもないと試行錯誤するしかなく、しかし最後に意外なとこからソリューションが見出せた、なんてことが。

分かりやすく身体の例を用いましたが、これは、精神的なことや人間関係でも同じです。

リコネクションを受けて、「嫌なことばかりが起こる」という人は、こういう「ある程度魂が年食って、だいぶマーヤーが取れてきた(=レベルアップしてきた?)」タイプの人が多いです。

そして、それでも飽くまで既存のシステムやメソッドの中にソリューションを探そうとしている限り、「そこは違うよ」とはねられます。

だって、それはあなたのやるべきことではないから。

他人の作り上げたものの中に、何らかのソリューションを見つけることがあなたのやるべきことではないのです。

宇宙は、あなたが違う方向に進もうとしていると、ぱこーん!とどついて、方向転換させようとします。
これは、ことが重要であればあるほど、結構痛い目にどつかれます。
具体的に言えば、嫌なことが起こります。

何かをどれだけ一生懸命やっても、ある方向に進めないのだとしたら、それは「そっちは違うよ」というメッセージです。

逆に、ちゃんと行くべき方向に進もうとしていると、かなり道なき道で困難なように思えても、ちゃんと努力して自分の手足を動かして、諦めずに行動していれば、適切なタイミングでチャンスを与えてくれます。

特にリコネクションなど受けなくても、こういったサポートは常にあるのですが、受けてしまうと、「やっぱこの辺でいいや」という妥協を許してもらえなくなるので、逃げたい人は、とことん辛くなる可能性もあると思います。

でも仕方ないのです。

だって、
「私は上昇の方へと向かいます」
と宣言しちゃったんだから。

でもそこを抜けると、それまでには想像もできなかった充実感という幸福が待っています。
それは、私自身、そして私の友人たちの経験からも、自信を持って断言できます。

もしリコネクションを受けた人で、人生が辛くなる一方だったという方は、ある意味諦めて、自分と向き合い、自分に軸を戻した上で、自分で考えて行動しなければならないと、腹を括っていただければと思います。えへへ…


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別にインドの『ヴェーダ』云々でなくとも、スピリチュアルやニューエイジに興味のある方なら、

「今生きているこの世界がどちらかといえば幻想で、死んだあとの世界(霊界とか天界とか)の方が本当の世界なのだ」

というような考えを持っている人はわりにいるのではないかと思います。

ヒンドゥーでは、起きて、動いているこの現実世界が本当の世界なのだと思い込ませる為に、「マーヤー」という無知のヴェールが掛けられているのだといいます。

シュタイナーはこれを「地上の知覚内容のヴェール」と言いました。

でもこれがないと、自由意志を駆使して、色々なものを飲んで食べて、恋愛を楽しんで、ということができないし、ある意味これがあるからこそ、現実的な社会生活が営めるという側面もあるのですが。
(でないと、世の中はカオスと化しますよね。インドなんかは幾分その傾向があるように思えますが…)

ただ、どうやら何度か転生を重ねて魂が成長していくと、現実的な部分、つまり仕事やお金、家族、健康などが充実していても、どこか満足できない、というように段々となってくるようです。

それはそうですよね。
いくら自分が幸せな状況でも、ふと世の中を見渡すと、何の罪もない子供が虐待されて殺されていたり、戦争や飢餓があったりと、「何でこんなことが起こってしまうのか?」と考えざるを得ないようなことがたくさん転がっているからです。

「若い」と、自分が楽しいとまあそれでいいかな、と思えることも多く、あるいはもう少し成長した人は、「じゃあ少しは社会貢献しなきゃ」とボランティア活動や社会運動的なものに専心するということなるかもしれません。

でも「魂」がもっと「年を食って」くると、段々と「いや、そんなんしても、根本解決にならないよね?いやまあ、今現時点で苦しんでいる人を助けに行くというのは尊いんだけど…」というようになってきて、自分は、ではどう動くべきなのか?が段々と分からなくなってくるのです。

「そんな繰り言を言ってないで、とりあえず動きなさいよ」というのは、基本的には正しいのですが、でも世の中の大きな矛盾などということを根本的に解決してくれるわけではないのは事実です。
いくらコツコツと積み重ねても。

そうなってくると、人は精神的、霊的なことなど、「目に見えない世界」に興味を持ち出すのだろうと思います。

ヒンドゥーでは、この「マーヤー」の掛かり具合を何段階に分けて考えます。

最初は「アンナ・マーヤー」。
これは、食物に依存して生き抜くことだけが目的の段階で、動物などがこれにあたるそうです。
「自分さえよければ」という生き方をしていると、次の世では本当に動物に生まれ変わっちゃうかも?ということですね。

もう少しマーヤーが取れた段階が「プラーナ・マーヤー」。
これは家族や物、お金などを所有したいと思う段階。
そういうと、単なる物質主義者のようですが、家族や仕事を健全な形で長期に渡って維持する為には、それなりの実際的な努力、そして人に対する配慮や思い遣りなど、精神的努力が要るものですから、この段階にある人の多くは、程度の差こそあれ、一般的にいうところの普通の健全な社会人なのではないかと思います。

更にもう少しマーヤーが取れると、「ギャーナ・マーヤー」の段階に。
ここにある人は、わりに思索を重ねる傾向にあるようで、そうすると先程のように、「世の中に潜む根本的な矛盾」なんてことに思いを馳せ、何とかできないかと悩むことになります。

この「ギャーナ・マーヤー」の段階で何を選択するか次第で、本当の意味で自分が魂だと悟る「ヴィッギャーナ」、「アーナンダ」の段階に至るのだそうですが、とりあえずこれはここで置いておきます。

私は「リコネクション」のセッションを提供していましたが、別にリコネクションなんか受けなくたって、元々人間は宇宙のメカニズムの一部として、宇宙には繋がっています。

生きている中では、日々色々と思考し、感じ、行動を起こすわけですが、少し前の記事にも書いた通り、私たちの心の中というのは意外とまとまっておらず、混乱していて、その混乱の結果、表面的には自分が望んでいなかった、あるいは自分の為には本当は全くならないようなことが具現化したりしています。

その結果、良くない方のカルマを積むことも多いので、時を経ても、必ずしも常に右肩上がりに上昇(成長)していくとは限らないということになるのです。

リコネクションを受けるというのは、おそらく、宇宙(あるいは至上主)に向かって、

「私は上昇の方へと向かいます」

と宣言することのではないかと最近思っています。

世の中の多数派は、「プラーナ・マーヤー」の段階なのではないかと思います。
そして、多数派であるだけに、この段階にある人にはわりに幅があるのではないかと思うのです。

「ギャーナ・マーヤー」の段階にある人、「プラーナ・マーヤー」でもかなり「ギャーナ・マーヤー」寄りに近くなってきている人たちは、実は「プラーナ・マーヤー」のその他の人たちや、「アンナ・マーヤー」の段階の人たちよりも、思考が混乱しているのではないかと思います。

せっかく物質界には来たけれど、素直にに物質的な楽しみを享受できない。かといって物質的な欲がないわけでもない。
自分が本当に何を欲しているのか、どの方向に向かいたいのかが、自分でもよく分からないまま、上がったり下がったり、右往左往してしまう傾向があるようです。

でもリコネクションを受けると、その人の表層的な思考がどうあれ、上昇方向にスイッチさせられることになるのです。

宇宙(あるいは至上主)は受けた人の宣言を受けて、

「え?お前上昇希望?OK!じゃあそっちにスイッチしとくから。
今まで、どっちに行きたいのかわかんなかったけど、とりあえず希望が出されるままに与えてたんだけどさ。
了解了解!
じゃあそっちに向かわせるようにお前の人生動かすからね~。」

と、了承してくれます。(笑)

かくして。

表層的な思考で自分が思っている希望とは、全然違う方向に行くこともままあって、

「何?あんな高いお金を払ってリコネクションを受けたのに、何にも変わらなかった。何も良いことなんてなかった!」

となる人がかなり多いのではないかと思うのですが、その辺をまた改めて、考察してみたいと思います。

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